当たり前のことに気づいただけだけど。
当たり前の話を書こうと思う。
最近は1日に2つ、あるいは3つ投稿している。まだちょっと多い。1つにしたいと思うけど、1つにできない。たぶん今も1つだけの文章を1日中その場所に置いておくのに不安を感じるんだろう。
単に書きたいことが多くて下書きに溜まってきてるだけという理由もあるけど、書きたいことが多いのか、書かなくちゃいけないと義務感を持ってしまっているのか、実は自分でもよく分からない。
でも本当に書くことがなければいくら義務感を感じても書けないものは書けないはずで、書けるということは書くことがあるからだろう。
うん。
毎日、文章を投稿してからなんどもnoteを開く。そのたびに何かのお知らせが届いている。それは2つだったり10だったり、半日以上開かなければ20か30くらいになるかな。
今朝はあまりにゆっくりとnoteを開いたので、44の数字が表示されていた。
実は今日はすごく遅くに起きた。目が覚めて時計を見たら昼前だったことにかなり驚いた。よほど体も心も疲れていたらしい。10時間以上、寝続けたことになる。いくら何でもこれはめずらしい。
あ、そういえばね、たまにお知らせ機能にバグがありますよね? 同じお知らせが3回くらい繰り返されている。ほかの方のページでもコメントが3回くらい繰り返し表示されているのを見かけたこともある。バグなんだろうな、と思っています。
話を戻すと、投稿してから時間が経って、その次の投稿をしなければ、お知らせがどこかの時点で「0」になる。その後、何度か開いてもいつも「0」のまま。
当たり前だね。
当たり前なんだ。
それが今日の「当たり前の話」
何も投稿しなければ誰にも何も読んでもらえなくて、過去記事を読んでくれる人もいるけど、過去記事ってそんなにスキはもらえない。だから新しい投稿をしなければお知らせは「0」になる。
このままずっと何も投稿しなければ、ずーーっとずーーっとお知らせは「0」のままで、このアカウントは眠ったようになるんだろうな。
そうか、何も書かなければ「0」なんだ。
そんな当たり前のことをなんとなく漠然と受け止めた。
noteにデビューして以来、私は毎日何か書いている。はじめの頃は1日に4つ。それから3つとか2つとか。
それはつまりnoteを開くたびにいくつかお知らせをもらっていることになる。もうずっと9ヶ月の間、そうやって過ごしてきた。それにすっかり慣れてしまった。
だから投稿したあとに半日ほど経って、お知らせをたくさん受け取って、それから何もしなければ「0」になるということにあんまり気づいてなかった。「0」になる前にまた次の投稿をしちゃうからね。
え? だから何? って話だよね。ごめんごめん。
ただ、当たり前のことに気づいたというだけの話。
何も投稿しなければ、お知らせは「0」になる。
ただそれだけの話。
ちょっと何か思考が後ろ向きなのかもしれない。
私がここに文章を残す意味ってなんだろう。
そんなことをデビュー以来ずっと考えてたけど、今も答えはまだ出ていない。「書くことが好きだから」なんだけど、うーん、それがほんとの答えなのかって分からない。
依存・・・かな。
たぶん。
noteに依存してるんだろうね。
だけどこれだけ大量に文章を書いてしまうと、アカウントごと、すべての文章ごと、これまで残したすべてのコメントごと、noteでの自分を消し去る勇気なんて持てないと思う。
そんな怯えにも似た気持ちを持ちながら、また1つ文章を投稿する。
今日の文章はちょっと暗いですね。なんとなく書きたいことを完全には言葉に置き換えられなかった気がします。その「0」という当たり前のことに気づいて自分が何をどう思っているのかまで深まっていないです。あるいはそこまで深めたくない気分だったのかもしれないです。
でもちょっとだけ明るい気持ちがほしいな。
明るい写真が見たい。
そんな気持ちだったので、今日のトップ画像には明るい写真をお借りしました。写真っていいね。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨