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誰にどう思われても気にしない強さはないけど、悔しいって思う気持ちを持つ強さはあるよ。

ネットは便利だけど、読まなくてもいい文章を読んでしまうこともある。今日はいくつか続けざまに動揺する文章を読んでしまった。

まず、私世代の女性を「おばさん」とかそういうふうな言葉で描かれている文章。そうした文章を読むと自分が「おばさん」だと見られる年齢なんだと感じ、noteでの文章をためらいそうになる。椿の甘い恋の文章。

でも私は「おばさん」になることを拒否しつづけている。

昔はある程度の年齢になると、もしくは子供がいる女性はみんな一様に「おばさん」の枠に入れられた。

近ごろは友達のママを「おばさん」とは呼ばず「○○ちゃんのママ」と呼ぶ傾向があることも関係していて、私は子供たちから「おばさん」と言われたことが人生で覚えている限りでは3回くらいしかない。なんなら仲良しのママのお子さんからは「椿ちゃん」と呼ばれている。

未婚女性も増えているから、昔ならたぶん結婚してるだろうと思われる年齢の女性でも未婚だったりするので「おばさん」なんて失礼な呼び方を避ける人も多いんだと思う。

40代で「おばさん」という言葉をまだ受け入れたくない私は往生際が悪いとは思う。でも人から「おばさん」と言われるのも、自分で「おばさん」と呼んだりするのも嫌。

ほかにもうっかりこんな文章も見かけた。当人の意識は変わらないのに女性を見る周りの目が変わるそうで、10代はこれこれで、20代はこれこれ、30の大台に乗ると「イタイ」に変わると。

じゃぁ40代の私はどうなるのかな。

こういう雑誌の記事には40代は語る必要もない存在と思われているようだ。

40代は恋しちゃダメ?

もともと不安定気味な性格なので、一度動揺を感じるとそこに少なからずとらわれてしまう。

見知らぬ誰かに何を思われてもいいとかそういう他者をはねつける強さが私にあるかというと、ちょっと足りない。でもないわけではない。だからこれからも書くと思うし公開すると思うけど、こうしてときどき動揺するのはこの先も変わらないだろう。

でもなんか、ちょっとくやしい。

動揺してしまう自分がくやしい。なんとなくくやしい。

年齢に負けるみたいで、世間の目に負けるみたいで。

だからまた書くぞ。

甘い甘い恋の文章を。


#エッセイ #年齢 #女性 #イタイ #文章 #恋

トップ画像にお借りしたお写真のタイトルは「それがあなたと誇れるように。」です。青木さんのお写真はいつも優しい。今日の記事にぴったりかな。



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