意図せず人を傷つける文章を書きたくないけど、書いてるときもあるんだろうなって思う話。
「そんなつもりはなかったのに」と言葉でのやりとりで、意図せず相手を傷つけてしまうことってありますよね。
noteで文章を書くようになって、はじめのころに気を使ったのがこの「意図せず人を傷つける文章」をうっかり書いてしまわないかということです。見えない誰かに気を使っていたように思います。
ここでの発信は自由です。
もちろん誹謗中傷をするような激しい文章を書く人はあまりいないと思うけど、自分の書きたいことを書いたときに、それが誰かの心を傷つけてしまう可能性がないとはいえません。
簡単なことです。
たとえば親の話を書くとします。私の父はこんなで、私の母はあんなで、とても素敵な両親だったと幸せいっぱいの文章を書いたとします。それを見て傷つく人もいるんだと思います。
私が幸せそうなご夫婦の物語を読むときにほんのり傷つくのと同じです。
自分が得られないことに対して、羨望の気持ちと嫉妬の気持ちと寂しい気持ちが入り乱れるのは誰にでもあることだと思います。
じゃぁそうしたもしかしたら誰かを傷つけるかもしれない文章を書くことは控えたほうがいいかというと、それはなかなか難しいですよね。
それぞれの育った環境が違えば価値観も違う。普通と思うことが違うから、どこをどう控えていいかは判断がつきません。
noteでの文章は一般公開されています。誰でもが読めます。フェイスブックなどのように読める人を制限できる仕組みはないです。
そんな見えない大多数の人たちの心のすべてを傷つけない文章なんて書けるものではありません。
文章は人の心を良い意味でも悪い意味でも動かしてしまう。
しかも文章は形になって残ります。
つまり何度でも読めます。何度も傷つけてしまうかもしれません。
そう考えると文章って怖いですね。
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仲良しなご夫婦の物語を読んで少し寂しくなるときもありますが、大丈夫です。「よかったね」って思える心の余裕が今はあります。少し前の私ならきつかったかな、って思うけど、今はだいぶ落ち着いていますよ。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨