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noteのあなたに恋をした。

「花音さん、はじめまして。桜坂と言います。素敵な詩ですね。とても心に響きました。僕は小説しか書いていないんですが、こんなに短い文章なのにすごく心が揺さぶられました。また読みにきますね」

そんなふうにあなたがコメントをくれたことで私たち二人はnoteで繋がりました。

「桜坂さん、はじめまして。コメントありがとうございます。桜坂さんは小説を書かれているんですね。私は思いついた短い言葉を書いているだけなので小説を書かれる方ってすごいなぁと思っています。私も読みに伺いますね」

そんな1往復のやりとりのあと、桜坂さんは私をフォローしてくれました。私も桜坂さんのページに行っていくつか小説を読ませてもらいました。プロフィールを見ると男性でした。彼が書いているものはどれも恋愛小説で、男性とは思えない優しい描写に満ちたものでした。私はすぐにフォローをクリックしたんです。

それからお互いに毎日投稿する文章を読むようになりました。必ず「スキ」をつけてくれるので私もいつも読みにいきました。小説だけでなく、ときおり日常のことが伺える文章を投稿していて、自然と親しく思うようになりました。

たまにご家庭のことも書かれていました。私もそうですがお互いに配偶者がいて子供が2人います。私は結婚して10年ちょっとと書いていますが彼はおよそ15年のようです。わりと環境が似ていることからコメントのやりとりも回数が増え、自然と桜坂さんがくれるコメントを楽しみにするようになりました。

「今日は風邪を引かれたんですか。明日も寒いようですからお大事にしてください」

「学生時代の思い出は懐かしいですよね。あの頃は若かったなぁって自分の青春時代の一コマもふと思い出しました」

「優しい詩ですね。心が軽く穏やかになりました。いつも花音さんの詩に癒されています」

「この二人の続きがすごく気になります。主人公の男性は彼女にどうやってプロポーズするんでしょうか。ドキドキして読んでいます」

互いの作品の感想を言いあったり褒めあったりとやりとりは数ヶ月ほど続きました。

いつの間にか桜坂さんの存在が私の中で大きくなっていて、とても気になる男性になっていきました。

暖かい春の日、桜坂さんが「クリエイターへの問い合わせ」を通じて私にメッセージを送ってきてくれました。note上ではない私だけに向けての個人的なメッセージに気持ちが高まりました。

「よかったら個人的に連絡を取りあいませんか? 小説のことも花音さんのような年代の女性からアドバイスをもらえたらありがたいです」

私は少し迷いました。メールでの個人的なやりとりを既婚者の私がしていいのか戸惑ったんです。

でもメールだけだし、実際に会うわけではない。桜坂さんも「小説のアドバイス」と書いているし、とつい返信とともにnote用に作った連絡先も伝えてしまいました。

「小説の中で出てくる女性のこの場面の感情はこの流れの中ならどう思いますか?」や「男性に関心がある場合の女性の態度としてはこの描写で雰囲気は伝わりますか?」といったまじめなやりとりもしながら、「今日は仕事でこんなことがありました」といったnoteには書いていない出来事もメールには書かれていました。私だけに見せてくれる桜坂さんの心の動きを知れることにかすかな優越感も感じました。

私は夫とはあまりうまくいっておらず、桜坂さんも奥さんとは考え方がどうも合わないようで、なんとなく私たちは心を通わせて本音を見せ合える関係になっていったんです。普段言えないようなことも彼になら素直に話せるようになりました。

彼の体調が悪いときにはいたわるメールを出し、誰かに伝えたい小さな驚きとかワクワクしたことも書きました。私のささいな日常の出来事をとても楽しんで共感してくれる桜坂さんの存在は私の心を満たしてくれました。

新しい明るい色の洋服を買ったり、キラキラしたアクセサリーを眺めたり、なんだか人生に小さなときめきが生まれたんです。

夫はそんな私に特に気づくこともなく、いつもスマホばかり見ていました。

必ず丁寧に返信をくれる桜坂さんはとても思いやりに溢れているのに、とチラリと夫を眺めます。

桜坂さんも同じようなことを書いていました。妻は自分にそれほど関心がないんだろうと。あまり自分を思いやってくれないと。

そうして私たちは少しずつ心の距離が近づいていったんです。

ある日、桜坂さんからこんなメールが届きました。

「花音さん、一度ご一緒に夕食でもいかがですか? いつもアドバイスをもらって充実した時間をいただいているので、お礼にご馳走させてください」

すごく心が弾みました。

私も桜坂さんに会ってみたいと日増しに思うようになっていたからです。

お食事だけなら問題はないでしょう。いつもメールでやりとりしているようなことをレストランで会って数時間話すだけなら誰に責められるようなことでもありません。

日時と場所を決めるやりとりを交わしました。

夫にはその日は学生時代の友達と出かけると言おうかと迷っていたら、運良く「その日は同期と飲みに行くから夕食はいらない」と夫から言ってきたのです。好都合でした。

何度も何度も着替えて、桜坂さんと会う日の洋服を選びました。こんなに誰かと会うのが楽しみなのはいつぶりでしょうか。

レストランでの待ち合わせは19時。

桜坂さんは彼のお気に入りの小説をテーブルに出しておくと言っていました。タイトルは『3月に出会った幸せ』。それを目印に私が彼に声をかける予定でした。

レストランに入った私は中をさっと見渡しました。

男性が一人で座っているテーブルが見えました。観葉植物の影になっている奥のテーブルでしたが、目立つようにテーブルの端に本が置かれています。

緊張のため少し歩きにくさを感じながらも、ゆっくりと落ち着いて近づきました。本のタイトルを確かめないといけません。私はテーブルの本ばかりを意識していました。

タイトルは『3月に出会った幸せ』

タイトルを確認してホッとした私はスーツ姿の桜坂さんらしき人物の後ろ姿にあらためて目をやりました。

見慣れた背中でした。

夫です。

私は混乱しました。おそらくこれは夫です。

桜坂さんは夫だったんです。

私は顔を硬直させて慌てて入り口に戻りました。店員さんが走り去る私に驚いて、水を入れたグラスを乗せたトレーを持ちながらビクッと動きを止めています。

まさか私が彼の前に座れるはずがありません。そんな恥ずかしいことはできません。おそらくもう私は桜坂さんに恋をしていたんです。夫とは知らずに彼の優しさと穏やかさと誠実な人柄にとても惹かれていました。

駅に早足で向かう途中、夫がずっと若い頃に小説を書いていたことを思い出しました。恋愛小説だったとは。あんな情熱的なストーリーを夫が書いていたとは。

私はとても混乱しました。

自分が桜坂さんに惹かれていたことを棚に上げて、夫が私以外の女性を誘ったことが無性に許せませんでした。私以外の女性は私なのに。

ともかく電車から桜坂さんにメールをしました。待ちぼうけになっている桜坂さんには申し訳なく思ったからです。

「すみません、急用で今日は伺えなくなりました。また夜にメールいたします。本当に突然のキャンセルで申し訳ありません」

私はスマホを閉じました。

じわじわと苛立ちのような感情がこみ上げると同時に、深い絶望を感じました。

桜坂さんを失ってしまった。

それと私たち夫婦はこの13年間、互いの何を見てきたのかと。

桜坂と名乗る夫が文章でだけ見せた本音の数々を思い出しながら、嫉妬のような感情が私を襲いました。でも私は誰に何を嫉妬しているのか分からないです。

今日の夜、私は桜坂と名乗る夫になんとメールを送ればいいのでしょう。


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#短編小説 #note #恋 #浮気   #夫婦

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