自分が楽だと思っているときは相手が我慢しているとき。

このタイトルは若いときにとても親しい人から言われた言葉で、多分これが意外とトラウマになっています。

というのも、すごく大好きだった彼に、すごく幸せだった時期に気づかないうちに浮気されていて私は振られてしまったことがあるからです。

彼のことはそのときまでに付き合った彼氏の中で一番気があうと私は思っていた人でした。一緒にいて何より楽しかった。細かいことをごちゃごちゃ言わないけど結構繊細で優しい。そんな彼のことが好きで彼を疑うとかもなかったし、とっても好き同士の二人だと思っていたんです。いつも笑ってくれた彼を信じきっていた。

ところがある日に浮気を伝えられて別れたいと言われます。

ちょうど「自分が楽だと思っているときは相手が我慢しているときだ」の言葉を言われてわりとすぐだったので、あぁ、このことなんだとその言葉がしっくりきてしまいました。

知らず知らずに私は彼に甘えていたのかもしれません。わがままだったのかもしれません。きっと私は幸せだったけど、彼はどこかで無理をしていたのかも。

その言葉が今もずっと心に引っかかっています。

だから私は自分がその人と一緒にいて居心地が良かったり幸せだったりすると、相手が無理をして私に合わせてるんじゃないかと疑うようになりました。

相手を信じられないというのとは少し違うんですが、喧嘩をしなかったり平和だったりすると逆に不安になるんです。何か我慢してるんじゃない? ちょっと不満でてきてない? とかそういう心配が湧いてきます。

だからどうだという話ではないです。

でもこのタイトルの言葉は意外と真実だと思っています。

どうでしょうか。

#エッセイ #真実 #我慢 #幸せ #浮気 #恋愛 #トラウマ

そのとき彼の彼女の座を私から奪った子は職場の後輩でした。

彼に浮気を打ち明けられたとき私は「仕方ない」と思いました。かわいくておっとりしてる彼女はたぶん、私よりも人柄のいい子だったから。

私は自分のことを自己肯定感が低いタイプではないと思っているんですが、もしかしたら低いのかもしれません。よく分からない。

浮気されるたびに「だって私はこんなところが彼女に負けてるから」とか「あんなところがダメだから」とか「私より彼女のほうがあなたにふさわしい」とか、きっとそんなふうに思ってしまいます。なんでだろうな。「仕方なかった」という理由がほしいのかな。

だからといって悲しくないとかそういうわけではなく、もちろん悲しくて傷つくんです。食べなくなるし寝なくなるタイプです。自分をボロボロにしてしまいたくなる感じです。

こういう経験って忘れながら生きているはずだけど、思う以上に心につらい気持ちが残っているみたいで、何かのきっかけでどれほど深くにそうした感情が染み込んでいるのかに気付かされます。

信じてる人に裏切られたつらい出来事って、長い年月が経つと「あんなこともあったな。もういい思い出だな」なんて思うときもあるけど「いい思い出」になるはずないんです。

その苦しさに蓋をしただけで、深く強く心の奥底に残っていると思います。自分の人格やその後の恋愛にも影響していきます。

誰かを裏切るということは罪深いことですね。

お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨