鉄道ファンという一度滅ぶべき存在

最初にお断りしておく。
私は撮り鉄の鉄道ファンである。物心ついたときから通勤電車大好き人間である。国鉄時代の通勤電車、あるいは営団地下鉄時代を含む東京メトロの車両が特に好きだ。

だが、今ではほぼ過去形になったと言ってよい。もうかれこれ2年ぐらいはまともに撮りも乗りもしていない。

それは、私が私自身を含む鉄道趣味全般を嫌悪してしまったからだ。

「一部の馬鹿のせいで」という前提が間違っていた

私はいわゆるゆとり世代である。インターネットが普及する時期に育った。
周囲の流行りに馴染めずリアルでは疎外されていた中で、インターネットで触れる鉄道趣味の様々なコンテンツや、あるいは鉄道系のネット掲示板でお互い顔も名も知らないが話は合う遥か遠方の同志の存在に、それはかなり救われたものだ。

だが、15年ほど前から自分の周りでも徐々に空気が怪しいと感じるようになってきた。
走行中の列車にフラッシュを焚いたり、駅で撮影していたら挨拶もせず前に割り込んできたり・・・それでも、当時はまだトラブルには至らなかった。親の教えが活きたのかもしれないし、単に私が臆病だっただけかもしれない。

そしてネット掲示板に代わってSNSが広まり、ネット上での鉄道ファンの人口が増えてきたと感じるのと同時に、トラブル沙汰も頻繁に目にするようになった。曰く、
・駅のホームで撮影ポジションを巡り喧嘩になる
・撮影ポイントで対向列車に被られて罵声が飛ぶ
・線路敷地内に侵入して撮る輩が現れる
更には
・一般利用客が撮影の邪魔だからと暴行する
・私有地に勝手に立ち入った上に撮影の邪魔になる草木や設備を勝手に伐採する
・撮影ポイントで勝手に管理者を名乗って占有し、後から参加した鉄道ファンに場所代を強請る
・車両基地イベントで撮影を邪魔した子どもを人質にとって親に謝罪を強要する
・グッズ販売で転売を目論む輩同士の買い占め競争が起こる
そしてつい先日は
・ラストランの車両の窓から手は出す顔は出す紙まで出す
・保存車両の回送を撮るために営業終了した駅や踏切内に侵入して列車を強制停止させるetc...
あるいは昔からあった問題がインターネットの発達によって表沙汰になっただけの話かもしれない。が、ともかくツイッターに載せた写真へのクソリプ罵倒が可愛く思えるぐらいである。本来それでさえ全く褒められたものではないのに、だ。

多くの常識を弁えた鉄道ファン達は、「あんなのは鉄道ファンじゃない」「ああいう一部の非常識な輩のせいで鉄道ファン全体に悪い印象を持たれてしまう」と言う。
私もかつてはそう思っていた。鉄道ファンではない知人に「結局は同じ穴の狢だよ」と言われても反抗し、私が撮影する際に身の周りでそういう鉄道ファンを見かけたら、穏便に声をかけてきた。またSNSで「ルールと常識に則った行動を心がけよう」と、何年も言い続けてきた。

だが哀しいかな、平然と非常識な行動をとる輩は、声を掛けたら鬱陶しそうな表情で無視すればまだ良い方で、暴言で返してくることもあった。掴みかかられそうになったことさえ一度や二度ではない。その対抗策として、有志が集ってマナーに則った行動を呼びかける連帯を立ち上げようとしたこともあったが、折悪しくその頃に某在阪大手私鉄界隈でいわゆる「自治鉄」の問題が俄かに目立ち、根本的な思考は自治鉄と変わらないことに気づき、自然消滅してしまった。

それ以降も留まるところを知らない非常識な鉄道ファンの暴挙愚行の数々、そしてそれらを咎める声があっても一向に改善しない状況、更には咎めると見せかけて単に晒し合いの泥仕合にしかなっていない罵倒合戦、そして本来非常識を自覚すべき人が自覚せずのさばり続け、常識を弁えた人ばかりが必要もなく傷ついて収縮していく不条理、それらを数年に渡り見続けた末に、私は鉄道趣味全般を嫌悪するに至り、ひとつの結論に達した。

「一部の馬鹿のせいで」は間違っていた。鉄道ファンそのものが、もはや自浄能力を持たない、もうどうしようもない反社会的な集まりなのだ。

鉄道ファンではない知人の「結局は同じ穴の狢だよ」という指摘は、その通りだった。

「非常識な鉄道ファン」の共通項

SNS、特にツイッターでの鉄道ファン同士のトラブルを長年見続けると、肌感覚ではあるが非常識な鉄道ファンにはいくつかの共通項を見出すことができる。

・SNSのアイコンやヘッダーが鉄道車両かアニメ(ソシャゲ)の美少女キャラかアイドル
→ツイッターのプロフィールからして、オタク感丸出しである。もちろん、これだけで非常識とは言えない。もはや意味はないが、この段階ならまだ常識を弁えた人も多い。ただし版権キャラクターの公式画像などをそのままアイコン等に用いている人、著作権の方は大丈夫なのだろうか。

・プロフィール欄で使用機材を自慢し、他人の写真を勝手に批評する
→高い金を出して手に入れた高性能機材なら、さぞかし自慢したいことだろう。それだけならまだいいが、所詮はアマチュアなのにプロ並みの高性能機材を使っているというそれだけの理由で、他人の写真を見下す人が存外多い。そういう人に限ってコンパクトデジカメやスマートフォンで綺麗に撮影された画像を見ると、やれ露出がどうのトリミングがどうのと言いがかりをつけて何が何でもこき下ろさないと気が済まないようだが、自分の腕を振り返る知能はないように見える。写真の価値観など十人十色なのだから、プロ気取りの勝手な批評など求めていないし大きなお世話である。

・やたら専門用語を使いたがる
→レチ(列車長=車掌)だのウヤ(運転休止)だの、あるいは列車番号や電略記号など、鉄道職員の方々が使ってそうな専門用語や記号を使う人がいる。彼らと繋がっている気分が快感なのかもしれないが、使ってる当人がそもそも鉄道職ではない場合がほとんどだ。往々にして専門用語の意味を知らない人を馬鹿にしがちだが、そういった知識は詰め込んだ割に常識を学業や仕事で身につけてこれたのか、甚だ疑問である。

・鉄道車両や駅の蘊蓄をひたすら書き連ねるか、なりきりbotになる
→やっている本人は楽しいのかもしれないが、自己満足以外の何物でもない。見てる側は何のエンターテイメント性も感じないし、Wikipediaから抜粋して転載しただけの情報など何ら一切有益ではない。

・言葉は通じるが、読解力がなく、意思疎通ができない
→ツイッターのクソリプがいい例である。ある鉄道車両の画像を載せたとして、投稿者をリプライに巻き込みながら内輪でだんだん脱線していく会話を続けたり、Wikipediaに書いてあることを転載する程度ならまだましな方だ。
脈絡もなく本当に意味の分からない、反応に困るリプライや引用ツイートを送ってくる鉄道ファンが多い。ましてそれをリプライだけでなくダイレクトメールで送ってくる場合もあるが、いったいどういう反応をすればご満足いただけたのか、未だに皆目見当がつかない。

・気に入らないことがあると相手が鉄道ファンだろうが一般人だろうが鉄道職員だろうが罵倒する/晒す
→乗務員や駅員の立ち位置が邪魔だから文句を言い、一般人が邪魔だから恫喝し、鉄道ファンが自分の邪魔をしたと勝手に思い込んで盗撮して顔写真を晒す。更にはそれに理屈をこねくり回して、正当化し開き直る。「自分が鉄道事業者にとって最大のお客様であり、鉄道職員と同格で一般利用者よりも上の立場の、最優先待遇を受けて当然の存在」だと盛大に勘違いしている。そんなでかい面をしていいのは、一個人でその鉄道事業者の抱える債務を全て肩代わりしたときぐらいのものだ。当然できはしまい。

・常識に則った行動ができない
→常識とは、広辞苑に曰く「普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに、理解力・判断力・思慮分別などを含む。」とある。駅、列車内、あるいはおおよそありとあらゆる衆目のある公の場において、周囲に一切配慮することなく車掌ごっこや寝そべりぬいぐるみの陳列など、まるでその場だけ自分たちが貸し切ったカラオケルームかの如く行動する鉄道ファンの多いこと。
そして非常識でも周りに害を振り撒かないうちならまだしも、公の場であることを忘れたまま、その場を侵した者がいれば激しく憤慨し排除するが、本来は逆だ。公の場にそぐわない行動をとった方が公の場から排除されて当然なのである。

・上記のような問題行動を障がいを言い訳にする
→ADHD(発達障害)、アスペルガー障害(自閉スペクトラム症)、双極性障害、躁鬱病、適応障害、統合失調症etc... とにかく何らかの障がいを患っていることをプロフィール欄などで強調する人もそこそこ目にする。
だが、これらの障がいを理由に問題行動について開き直っていないか。
もしそうならば、私はあえて声を大にして言う。障がいを持っていることが他人に罵詈雑言を加えて暴行していい理由にはならない。
障がいを患っていても、それと社会との間でなんとか妥協点を見出して折り合いをつけようと努力している人なら私は尊敬するし応援する。
だがそういった努力を一切放棄し、アドバイスを求めることもなく与えられても耳を貸さず、それでいて「俺は障がいを患っている。だから俺がどんな問題行動を起こしても大目に見ろ。お前らが譲歩するのは当然だ。」と考え、今後も改める気がないのなら、それはかつて被差別部落問題を盾に好き放題暴れ回った「えせ同和やくざ」と同じ心理である。
同じ障がいで心底辛い思いをしている人に謝ってもらいたい。そしてその舐め腐った態度を改めるまで社会に出てこないでもらいたい。


以上、私が今まで見てきた中で思いつく限りのものを並び立てた。当てはまるものが多い鉄道ファンほど、問題行動を起こしSNSで炎上しやすい印象を受ける。

そしてここからが大事だが、私はそういう非常識な鉄道ファンに改善を期待しない。改善を望めるような人ではないというのが今の私の考えだからだ。

「鉄道ファン=恥」という流れを作り、滅ぼす

留まるところを知らない非常識な鉄道ファンの暴挙愚行の数々、そして自浄能力のなさ、改善の見込めなさ。
だが、それでも鉄道ファンの問題行動を減らしていく方策はある。

鉄道ファンという趣味嗜好が社会的に恥ずかしいという意識を増やし、鉄道ファンそのものを滅ぼす。自浄能力がないのだから、全部丸ごとだ。

もちろん、日本国憲法で信心・思想の自由が保障されている以上、鉄道ファンの嗜好を思想教育のように強引に変えることはできない。また現在数多くある鉄道趣味のビジネスを強制的に妨げることもできない。
やるには、周りから外堀をじわじわ埋めていく方が効果はある。引き合いに出すのは好ましくないが、ネクロフィリア(屍体性愛)など、常識に照らし合わせて明らかに公衆の面前で公言し行動するのが憚られる趣味嗜好に鉄道趣味を含めて、それを常識とすればよい。

例えば、鉄道を撮影している鉄道ファンがいれば「公衆の面前でよくもあんな恥ずかしいことをできるものだ」と後ろ指を指す。鉄道グッズを買った鉄道ファンがいれば「年甲斐もなく情けない」と白い目で見る。鉄道ファンという存在を、これまで積み重ねた悪行の数々という事実を盾に、徹底的に軽蔑していくのだ。

そして、上述したような非常識な鉄道ファンほど高慢でプライドだけは滅法高いため、この流れの前には鉄道ファンとしてのプライドもズタズタに崩されていくだろう。反発してきたら冷徹に事実を示せばよい。そんな状況下で「それでも俺は自分の『好き』を貫く」と言い続けられるほど強い人間ではないのだから、自尊心を保つために自発的に鉄道趣味から離れていくはずだ。その過程で、鉄道趣味の市場も緩やかに縮小していくだろう。

どんな趣味の界隈においても、母数が増えるほど非常識な人間も増える。
逆も真なりで、母数が減れば非常識な人間も減っていく。

鉄道ファンという存在にかつてなく厳しい冬の時代を迎えさせ、一度徹底的に滅ぼす。それでも生き抜いた僅かな有志に、先述したような問題行動がない、本来あるべき望ましい鉄道ファン界隈の再興を託せばよい。

かつては鉄道ファン当事者であり自身も滅ぼされるべき身として、私はそうなることを望む。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?