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変身③

 目覚めたらケモ耳少女になっていた男性の話。

※当記事、及び関連する私の著作物を転載した場合、1記事につき500万円を著作者であるFakeZarathustraに支払うと同意したものとします。

※本作品に於ける描写は、現実的な観点での法的な問題、衛生的な問題をフィクションとして描いており、実際にこれを真似る行為に私は推奨も許可も与えません。当然、その事態に対して責任も負いません。

※フィクションと現実の区別の出来ない人は、本作品に影響を受ける立場であっても、本作品の影響を考慮する立場に於いても、一切の閲覧を禁止します。

※挿絵はDALL·Eを用いています。


 何だかんだとここでの生活は悪くない。
 みんなで毎日買い物に出かけるし、屋上でラジオ体操をするぐらいには身体を動かせる。
 ご飯も美味しいし、一緒に頑張って生きている実感がある。
 軽い内職もやっていて、それも一つずつみんなで片付けていくのは、いい手慰みになっている。その手慰みが酒代に消えていくのだけど。
 思った以上に豊かな生活だ。

 ただ、豊かとは言え"余裕"をあまり感じないのは、予算を大幅に余らせると、暫く補助金が減額されるからだ。
 家電の故障や家の修繕などに対する積み立ては行っているが、それはあくまでも掛け捨て保険のようなものなので、自分たちの貯金残高が増えていくわけではない。

 これは一生補助金と協力金の縛りから抜けられないようにする仕組みだ。
 自分たちで事業を興した時の支援はとても魅力的だが、様々な方法で国から逃げる事が不可能になる罠でもあった。

 そうなれば、死ぬことのない我々が(本来そうすべきである)長期的展望など持てる筈がない。
 刹那的に年金や補助金を使う。それも家の中で使えるものだけに。
 そして、マスコミはそういう実態を取り上げて「"発症者"は甘えた生活をしている」と、差別を助長するようなことを言うのだ。

 マスコミが我々に好意的であることは殆どなくて、だから我々はその手の取材を断っている。
 そして、偶に国のサイドから依頼された記者がコタツ記事を書くのに協力するぐらいしか、一般人が発症者の実態を知ることはないのだ。


 悪いことはない。
 罠にハマらないように気をつけよう。
 そうしていれば、ずっと穏やかに生きていける。

 手慰みの方法は沢山ある。
 四人で麻雀やそのほかのゲームを楽しんだり、ヨガに挑戦してみたり、凝った料理やお菓子を作ってみたり、写経なんて年寄りじみたこともやってみる。近頃は、講義を無料でネットに公開している大学も多いし、お金を掛けずに何かを学ぶと言うことはそれほど困難な仕事ではなくなった。勿論、学位が手に入ることもないのだけど。
 日々は充実している。
 三人の仲間は優しいし、私もその優しさに報いようとしている。

 今の状況は、むしろ幸せにさえ思える。
 家の外に目を向けなければ。


 家の壁は定期的に落書きをされる。
 こういう街だから、落書きぐらいよくあることだが、私たちの家の場合は明らかに悪意の籠もった文言が書かれる。
 監視カメラを付けているけれど、まぁまぁ普通にやっていく。
 あまりにも脅迫的な文言となったとき、やっとで警察が動く。
 そして、捕まるか警察の巡回が増えると一旦収まる。
 それからまた暫くして、新しい連中が落書きや嫌がらせをする。

 深夜に大音量を鳴らすと言うのもまぁまぁある。
 スピーカー満載の車が延々アイドリングしてたり、暴走族が執拗に巡回したり、通りすがりにクラクションを鳴らしたり、爆竹を焚いたり。
 尤も、この周辺に住んでいるのは我々だけではないので、そっちの方は割とすぐに警察が動いてくれるけど。

 自分の人生の不満の解決から目を逸らすために、誰か自分より立場の弱い人間に対して嫌がらせをする人間なんて、たかが知れている。
 壁も窓も防音だし、定期的に超撥水加工をしている。窓ガラスは強化ガラスなので、ひとつかみほどの石程度ならば割れない。

 そういう対策の費用は全て税金から出ているけれど、こういうのも"必要な支出"なのだろう。
「私たちをいじめることで、いじめられない人が出てくるなら、それもいいことでしょう?」
 面々はこうした問題に対して、心を凍らせている。

 私も当初は腹を立てていたけれど、腹を立てるだけ無駄と言うか、これは一生腹を立てなければならないと悟ったとき、全て諦めへと移っていった。


 外に出て受けるのは、せいぜい通りすがりの酷い言葉ぐらいだ。
 それ以上やらないのは、商店街の自警団みたいなのがいるからだ。
 一応、商店街の組合の一部が組織していて、歩きタバコや行儀の悪い連中をつまみ出している。
 これは一時期この商店街の治安が悪化した時期があるからだ――むしろ、その治安の悪い時期があったからこそ、グループホームが認められたと言うのもあるけれど。

 自警団と言えば聞こえは悪いが、組合の若い人がトラブルを解決するという意味では頼れる存在だし、手に余る問題はすぐに警察を呼んでいる。
 商店街のネットワークはなんなら警察より初動が早い。

 商店街が盛り返した理由で一番大きな理由は、シャッターを下ろした商店を一つ一つ説得して、他の人にお店を貸すように努力した結果だ。
 それがこの商店街をカオスな空間にしているというのは確かである。

 そしてその折に自警団が結成された。
 それが今に続いている。

 と、ここまで言うと、その自警団が我々の味方かと思えそうだが、別にそういうわけではない。
 むしろ我々は"インベーダー"の方である。
 だからこそ、トラブル解決で貸しを作る努力をしている節すらある。
 少なくとも、発症者が引きつけるトラブルに迷惑をしていると言う態度は隠さないのだ。

 特に商店街から無理な要求をされることもないし、少なくとも土地から建物から国の持ち物故に、大きな動きが出来る訳でもない。
 とは言え、こちらが気を遣わないではいられない。
 そういう事情で、お出かけは本当に必要最低限の出来事なのだ。

 今となってはネット通販で何でも手に入るが、十五年前はそれも限られていた。
 三人は私以上に苦労しているのだ。


 そんな折、発症者にとって大きな事件が起こった。

 あるフリーライターが発症者を用いた売春を告発したのだ。
 これに対して、ネットでの反応は激烈で、仮にそれが大人であっても、子供の身体をした人間に対する性行為に対する忌避感が強いのが分かる。

 厳密に言えば児童売春ではない。
 そして、"独自のネットワーク"による集客自体は、摘発の対象にはならない。
 問題は、ただの発症者がどうやって客を集めたのかということである。

 問題のフリーライターは事件を主導したある人物を特定していたし、これは明確に管理売春だと警察に告発した。
 だが、警察はなかなか動かず、そしてオールドメディアは一切その問題を取り上げることはなかった。

 そうしているうちに、犯人と目された男は自殺、一方、フリーライターは行方不明になった。
 その後、警察は売春の事実を認めて、被疑者死亡で書類送検した。

 とは言え、その犯人の男はいまいち素性のはっきりしない人間で、さる半グレグループの一員だとされた。
 尤も、別の記者がその半グレグループと接触したとき、「そんな男知らねぇぞ」と言われたそうだが。

 売春を行っていた発症者は合計六名。そして、重要となる顧客リスト――と言うか客付きのスマホは押収されたが、偽名で登録され転売された番号なので顧客を特定するに至らなかったと発表される。

 そういう事情で問題は有耶無耶になった。


 叩く相手が死んでしまったとなれば、発症者に対するバッシング以外振り上げた拳を下ろす先がない。

 少し前までは「売春してでも金を稼げ」と言われていたのに、こと事件が発生すれば「元男が気持ち悪い」とか「ロリコン相手にするとか正気じゃない」とか酷い言われようだった。

 ここに至っても、発症者側のコメントはない。誰も聞かない、誰も話さない。
 国も「プライバシー保護の観点から追加の調査を行わない」と宣言した。
 当然、国会で取り上げられることになり、そこから報告書が作成された。

 自主運営のグループホームに、犯人の男が接触し、その時点で二、三の金銭的トラブルが発生したと言う。
 そして、男は売春を提案し、発症者六名はやむなく同意。
 グループホームを舞台にして事実上の管理売春が十年近く行われたと言う。

 その報告書には、男がどうやって顧客を集めたのかが不明で、問題の顧客は不明なままだ。
 一応、"発症者も被害者"と言う体裁になっていたが、野党の議員が「これって本当に被害者かどうか分かりませんよね?」と言って物議を醸した。

 その議員は発言の撤回をすることになったけれど、ネットでは「よく言った」と言う声の方が多かった。
 勿論、ここに至ってもオールドメディアが何を取り上げることなどないし、それについては陰謀論にまで繋がる"謎"と笑われた。


 最終的に「特発性体組織再編症の保護に関する法律」が修正されることになる。
 何らかの方法で収入を得る場合は、それを月ごとに報告する必要があり、また取引する相手に関しても、一定の制限を加えると言う内容だ。
 つまり、包括的に収入を管理すると言うわけだ。

 私たちのところは問題ないが、この改正がある程度資金をプールしていたグループホームの発覚に繋がったりした。
 それよりも問題なのは、私たちの使っている内職の業者が、国の審査に不合格だったということだ。

 勿論、就業の制限と言う意味では大きく不利益を被ると言うことで、「透明性の高い職業への斡旋と補助」の条項が増えることになる。
 つまりは、我々はより"管理"されることになるのだ。

 いずれにせよ、その法律が出来たことでも、"擬似的児童売春"に対する一般人の嫌悪感は酷くて、「売春はNGだけど、風俗店はOK」とあざ笑う人さえ出てきた。

 とばっちりを一番食らったのは、グループホームの間接的な管理を任されている自治体である。
 透明性の高い仕事って何だとか、それは何処に需要があるのかとか、具体的にどれほどの予算が出るのか。
 全ては謎だった。


 市の担当者に相談されるけれど、こっちとしても「あまり表に出るような仕事はしたくない」と伝える他なかった。

 そんな折、"発症者の人権に憂慮する市民"と称する団体が生まれた。
 どうもリベラリストを名乗りつつ、障害者だの性的マイノリティだのを政治と税金せびりの道具としか見ていない人間のようだ。

 サヤカさんや他の面子のツテで調べる限り、評判はよくない。
「勝手に乗り込んできて、好き勝手喋り散らした挙げ句、会報に大嘘を書き立てていた」
 と聞けば、実にありがちな話だった。

 なので、発症者のグループホームにとっては、殆ど出禁の組織なのだ。
 とは言え、勝手に発症者の代表面をしている。
 国内の発症者が三十五人なのに対して、件の組織の構成員が百人を超える時点で何か笑ってしまう。

 じゃぁこの団体が何を目指しているのかと言えば、「透明性の高い事業」による上前をはねたいと言うことのようだった。
 代表が国会議員の旦那と言うのだから出来すぎた話だ。


 この流れに棹さしたのは、再びネット発のメディアだった。
 東京のある区が、あの団体と結託しているらしいと言う噂を聞きつけ、情報開示やら何やらと盛り上がっていたのだ。

 尤も、これは発症者差別が根底にあるので、あまり喜ばしいことかと言えば微妙だった。
 しかし、件の団体の怪しさが明るみに出るにつれ、"出入りしてる発症者が誰もいない"と言う事実に、多くの人が疑いと非難の声を上げる。
 そして、その段になってやっと「利用される可哀想な人」と言う属性が付与されたのだ。

 勿論、そういう"可哀想ランキング"なんてものは、ちょっとしたことで簡単に変わってしまう。否、変わらないものは幾らでもあるけれど、発症者がそこに挙げられるのは、あくまでも暫定でしかないのだ。

 大体、この観点とて、「気に入らないリベラリスト(もどき)を殴る為の材料」でしかない。だから一般市民がこの一件で発症者をよく思うようになった訳ではない。


 問題の団体は、「自分たちを批難する人たちは発症者とセックスをしたい変質者だ」と捲し立てるし、一方、批難する側の言葉もお世辞にも上品とは言えなかった。

 何にしても、この論戦に我々発症者が絡んでくることはない。
 だが、そういう中で、「じゃぁ、透明性の高い事業ってなんなんだ」と真面目に考える人も出てくる。

 幸か不幸か、その事業に乗り出そうと言う人が、我が街から出てきた。
 それが地元で飲食店チェーンを経営している山県さんと言う男性だ。
 地元密着型の飲食店を十二店舗展開していて、食を通じた社会貢献を標榜する会社として有名だ。
 実際、子ども食堂やフードドライブの運営、食品のリユース、リサイクル事業の展開などを行っていて、まぁまぁ有名な人だ。

 こういう経営者は何かと馬力がある。
 すぐに市役所を巻き込んで、私たちのところへやって来たのだ。


 彼は彼なりに発症者のことを調べていて、それは確かに正確だし、肯定的な内容だった。
 だから補助金だとか協力金だとかの背景に対して、一定の同情はしてくれたし、「現状をなるべく変えたくない」と言う意思も理解してくれていた。

 とは言え、市の担当者としても、国の意向には逆らえないし、手をこまねいていたところで、怪しい団体は次から次へと出てくるだろう。
 そして、そういう連中にいいように使われるようになるのは目に見えていた。

 山県さんはその辺について、「一番の障害は差別意識でしょうね」と的確な答えを出してきた。
 否、誰でもそれぐらいのことは分かっている。だが、分かっていてもそれを口に出せるかどうかは別のことだ。
 特に、実行力のある人間の発言には一定の責任が生じる。

 ただの何の責任も持たない人間の言う「発症者差別はよくない」は、どう足掻いたところで表面的である。
 本当に発症者のことを調べようとしているのか、理解するつもりがあるのか、そもそも本当に良くないと思っているのかを、誰も詰めて証明させるなんてしない。
 だけど、彼がそう言うのであれば、そしてそれを公共の場で言うのであれば、「お前もあの団体と同じではないのか?」と言う批判にきちんと応える必要がある。

 山県さんは、誰か有識者を求めていたようだけど、発症者差別の有識者なんて過去に見たことはない。
 勿論、例の団体のように勝手に名乗っているような部外者はいるだろうが。

 山県さんはそういう意味で、正しく連む相手を探していた。
 差し当たり、「発症者問題検討委員会」と言う市のプロジェクトが立ち上がり、彼がオブザーバーに呼ばれることになった。

 まめなことに、彼はその進捗を伝えてくれるし、もし良ければ委員会に出席して欲しいと言う旨のことを伝えてくれる。

 そんな辺りで、商店街の会長さんが委員会に招かれることになった。
 あまりいい予感はしなかったが、私たちは会議に出席することになった。


 委員会については、初っぱなから差別が話題に上がる。
 概ね、根強い偏見をどのように打開していくのか? と言う話で、お役所仕事的にはチラシを作るとかシンポジウムを開くとか、企業への啓蒙活動を図るとか、そういう意見が出てきた。

 そんなものは絵空事とは思うが、そういう仕事もまた仕事だし、それが全く役に立たないと決めつけるのも良くないだろう。
 ただ、山県さんとしてもそれが抜本的解決ではないと言う意見を出していき、会議は立ち止まった。

 こういう会議、大体根回しで話が済んでいて、それの確認だけだと思っていたから、案外会議会議しいことをするんだなと驚いた。

 そこで商店街の会長が手を挙げる。
「そのぉ、発症者の方がですね、トラブルを起こしているとは思ってはいませんが、そういう方々がですね、何というか、引き寄せられていると言う事実がありますのでね、こう、その辺がどうにかされないと、我々としても手放しに受け入れられないのですよ。
 まぁそのぉ、現実、我が街に住まわれている訳ですし、そういうのを被害者と言う意識でおられると、我々としてもなかなか受け入れがたいものがありますね」

 それはあまりにも正直な内容だった。
 私達は、自分のことを被害者と言い募りたい訳ではないのだけど、しかし、人から見ればそのように見えてしまうのは確かだろう。

 ここでの無理のある反論は悪手だろう。
 役人は少し焦ったように「そのような意見もありますし、一筋縄ではいかない問題ですね」と話を締めようとした。
 そこに山県さんが言う。
「いやぁ、それは何というか、子供のいじめと似ていますね。
 これでも児童問題には多少明るいつもりですけどね、いじめがあるとクラスの子はこう、いじめられる子にも問題があるって言い出すわけですよ。
 そして、先生方としても問題の子をどうにかすれば、問題は解決するって思うんですよね。実際、クラス全員相手するより、一人を相手にする方が楽ですし。
 でもまぁ、我々大人でも実際直面することですけどね――相手に怒る為に怒る原因を探す人なんて、社会生活していれば誰しも出逢うんですよね。
 クレーム対応で散々苦労しましたよ。
 そういう人は、怒る事が目的なんで、最初に言ったことがクリアしたら、すぐに次の理由を考えるんです。ずっと終わらないんですよ。
 こういうのは、それと同じなんだと思うんです。
 いじめにしても、発症者への嫌がらせにしても、本質的には問題行為自体は彼らの責任でしょう。
 そういうところで、"君たちが嫌がらせする理由も分かるよ"と言ってしまうのは危険だと思うんですよね。
 じゃぁ、そういう乱暴な人たちは、発症者がいなくなれば大人しくなって、良き市民、良き顧客に戻るとお思いですか?
 きっと別の口実を作って、また別の人に嫌がらせをすると思いますよ」

 会長は呻り、そして役人は嘆息した。

 サヤカさんが手を挙げる。
「私達としても、こういう状態に慣れきっていて、異常を異常と感知できていないのかもしれませんね」

 結論として"異常を明確にする"と言う目標が立てられた。
 そして、調査予算やその他諸々は、また役所の方で調整するらしい。

 全体的には良かったのかなと思った。
 家に帰って四人でビールを飲んだ。
 それは何というか、いつもより少し美味しかった。


 以下はカンパ用スペースです。
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