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戦略的モラトリアム【大学生活編⑦】

日時・天候

8月・夏季休業・毎日晴れで毎晩熱帯夜

大学生初の試験は終わりを告げた。そのまま夏休みだが、どうもすっきりとしない。終業式なるものがあるわけでなく、なんとなく休みにフェードインしてしまうので、気持ちの切り替えができないのだ。それはそれで中・高と違ってよいのだが、何となく腑に落ちない気分だ。試験の出来はよく分からないが、自分なりにベストを尽くしたと思う。今となってはどう足掻いても後の祭り。今となっては深く考えても仕方がない話である。どうしても気になるなら教授に聞きに行けばいいだけの話だが、そんな勇気も持ち合わせていない。

自分は学校というものに抗い続けて、現在に至った。しかし、今はその学校の試験に一喜一憂している。こんな自分を客観的に見つめたときに「なんて情けないのだろう」と少し侮蔑した目線になる。自虐的になってしまうのが嫌で、できるだけ、試験のことは考えないようにした。しかしながら、毎日スケジュールがオールクリアであることを神に感謝しよう。何をするわけでもない毎日をただただ垂れ流すことがモラトリアム人間としては健全な生き方であろう。それが自分に与えられた猶予期間の有意義な使い方であることは間違いなかった。

コンバ・合コンで時間を使い果たす。バイトで汗水を流す。

どれも大学生の夏休みにはありきたりのことらしいが、自分はそれを良しとしない。いや、時間の無駄遣いであろう。せっかくの休みを他人と過ごすなんて耐えられない。毎日は自分の時間でいっぱいにすることが最も有意義な使い方ではないだろうか。

屈折した考え方だと突っ込まれそうだが、そんな後ろめたさは口を紡ぐことによって解消されたのさ。毎日、昼頃起きて、ただのんびりと過ごすのは自分を少し独善的にした。自己肯定感が満たされると、今度は他者への関心が少しなりとも出てくる。自分の気の変わりように嫌になるのだが……。

熱帯夜の小さな部屋で流れるオールナイトニッポン。

専門学校の寮のときから、いや不登校のときから毎日の日課になっているこの至高の深夜。自分の明日のことについて少し真剣に考えた。


盆になろうが、正月になろうが、粘着質な地元に帰るつもりはなかった。ここで4年間の鎖国生活は順風満帆。何も病むことはなかった。しかし、このアパートの家賃やその他生活費をもらっている実家へのどうしようもない後ろめたさ、背信感は拭えない。どうしようもないこの気持ちは毎日少しずつ膨らんできて、頭の中を占有し始める。オールナイトニッポンの快活なトークは頭の中を通り抜け、自分をさっと熱帯夜の関東から連れ去ってくれるのだが、この後ろめたさが大きくなるにつれ、面白トークが頭に入らなくなった。

「何かしないと……」

急き立てられるかのように、この休業中に動き出すよう気持ちが固まった。アルバイトでもしようか……。金銭面の自立がこの後ろめたさを払拭してくれるだろう。

翌日、早速仕事探しを始めた。そんな自分を脳内モラトリアム人間があざ笑うかのよう。もう一人の自分が炎天下を歩く若者をバカにしていた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》