震災クロニクル10/16~11/15(53)

マラソン大会はマスコミも含め、多くの人で賑わった。未だにシャッターを閉めている店がたくさんあり、公園、学校で空間線量計が設置されているにも関わらず多くの人々が笑顔で汗を流したのである。勿論、心の中はどうなっているのかは知らないままに。

本当は安全じゃないことも、復興していないことも皆知っているんだ。ただ、震災前の賑わいが仮初めに始まったことに喜んでいるにすぎない。放射性物質が飛散してまだ一年も経過していないのに、この所業は人外のものと憤慨している老人もいた。様々な思惑が交錯しながら、震災後初のマラソン大会は大成功で幕を下ろした。

そして、その次の日からまたマスク姿が常態化した毎日が何事もなく続いていく。

何て悲劇的なことだろう。

何重にも重なりあった思惑がこのマラソン大会には敷き詰められていた。

復興の象徴としての思惑。
放射線量が低くなっていることをアピールする狙い。
そして、企業誘致、再開のアピール。

勝手にしたらいい……ただその道化師に子供を使っていることに憤りを感じるくらいだ。しかもその後のリスクマネジメントもしっかりとしていることに計算され尽くした悪どさが馬脚を表す。

「マラソン大会に参加する上での同意書」

万が一放射線のトラブルがあるかもしれないということは主催でもわかっているのだ。理解した上で、責任を逃れようとする狡猾な作戦。

本当に血の通っている人間とは思えない所業だった。

これからこのイベントは毎年行われることだろう。その度にこの事を忘れないよう心に刻んでおこう。これは禍根になる……。確信にも似た予感が全身を駆け巡った。

秋風は寒さと放射性物質を山から運んでくる。

枯れ葉は放射線量が高い。

山の除染はしていないから、勿論、山の土壌も高い。それが吹き下ろしの冷たい風となって僕らの街に吹きつける。よって、また町中の線量が上がる。結局のところ鼬ごっこだ。
除染は一回では終わらない。月日がたてば、また高くなる。そうやってずっとセシウムやストロンチウムとの戦いは続いていくのだ。

山の除染もやらないと、この問題は解決しないだろう。しかし、山にはもっと深刻な問題が隠されていた。

地下水の汚染である。

不思議とこの問題はテレビやメディアでは触れられることは滅多にない。いや、本当は問題にすべきなのだが、何処からか圧力がかかっているのだろうか。誰もが蓋をするようにこの問題には触れようとはしない。

僕たちの考えすぎなのだろうか。

しかし、この問題は何年先までも引きずることになるであろう事案だ。

臭いものには蓋……

きっと予感は当たっている。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》