震災クロニクル8/1~15(49)

東京電力の仮払いから、僕らの街が3つに分断されていた。

A地域→原発から20km圏内。居住制限区域。
B地域→原発から20~30km圏内。旧屋内退避区域 。
避難準備区域。
C地域→原発から30km圏外。AB地域の小中学校は
この地域で仮校舎や合同校舎で再開。

この分裂がより顕著になったのは、義援金の配布のときだ。原則30km圏内居住の住民に約34万円給付される。つまり同じ市内のC地域には同市内でありながら、全く支払われないのだ。これにはC地域の住民たちが声をあげた。

不平等だ!
こっちだって避難しているんだ!
同じ市民なのにどうして支払われないんだ!

その怒りがAB地域の住民に対しての嫉妬や妬み、怒りとなって様々なトラブルの原因となった。

実際に耳にしたのは、C地域の仮設住宅に住んでいたA地域の住民が、C地域の住民に、
「なんだ!えらそうに!ここに住まわしてやってるのに!」

呆れた。お前の土地か?

実際にそう発言したC地域の住民が声高らかに銭湯で話していた。人の気持ちも混沌として、鬱蒼とした閉塞感が重く私たちの日常にのし掛かっていた。

ズシリ……

重い空気が空を覆って、私たちの醜態を空から隠してくれればいいのだけれど……。

そんないがみ合いが方々で起こっていた。

そんな中、ある市議会議員が妙案を出した。AB地域の義援金から少しずつ天引きして、C地域の義援金にしようとの案だ。

この案に対して今度はAB 地域の住民やそこ出身の議員が怒り出した。

「なぜ全額もらえないんだ!」

「他地域だって、原発からの距離で給付されているんだ!」

「そんな例外は受け入れられない!」

もういいじゃないか。34万円が30万円になろうとも、この市民同士がいがみ合うこの状況がなくなるなら、減額されようがそれはそれで構わない……正直な自分の気持ちだった。

「そんなことこの市内で言ったら、トラブルのもとになるから絶対に言っちゃダメだよ。」

前の職場の同僚とご飯を食べて、そんな話をしたらそう注意された。それほどまでに同じ市内に住む人々の心は離れていたのだろう。

結局のところ、最終的結論は……

AB地域の義援金と同額を市の財布から出して、C地域の住民の義援金にするというものであった。

しかし、その出費で市の予算のほとんどがなくなってしまうという危険な状態になったことは言うまでもない。

こんな危険な状態にしてしまった民意って本当に正しいのだろうか。

「みんなもっと冷静になろうよ!」

大声で叫びたかった。ただ大声で。みんなに届いてほしかった。

でも、そのときはただ虚しく夏空が突き抜けるような青のもと、ちっぽけな自分の無力さだけが、暗がりの気持ちを一層黒く塗りつぶした。

夏は隆盛を極め、お盆を迎えようとしている。こんな醜態を晒す僕たちのもとへ本当にご先祖さんは帰ってきてくれるのだろうか?

今年の夏は暑さとは対照的に、人の心にすきま風が吹く、淋しく虚しい底冷えのする世知辛いものとなりそうだ。

僕らは人間の本性を見たのだろうか。

物凄い荒んだ荒野に僕らはポツポツと点在しているだけで、僕らの繋がりなんて、何もない。

そこには手前勝手な利己主義だけがギラギラと眩い星のごとく、この街を彩っている。

僕はそこにただ立ちすくむしかなかったのである。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》