福島の復興の裏側で

2018年12月
震災から7年。復興は進んでいる「はずである。」

仮設住宅にも空きがでてきた。
民間の住宅に移ったか、それとも建てたか。
はたまた遠くに移り住んだか。
原発から20~30キロの街(南相馬市)。

小高区は南相馬市で一番南の街だ。原発距離も一番近く、避難指示の区域だった。現在は解除されたが、インフラがまだまだ整っておらず、そこらじゅうに黒い大袋(汚染土)の山。住民のまだ多数は戻ってこない。
解体作業員 建設作業員 原発関連の出稼ぎが民間の住宅に入っている。空き家に入っている。
朝になると、数少ないコンビニに一日の買い出しに来る。そのまま仕事に向かうらしい。ものすごい数だ。インフラが整っていにいところにコンビニが3件。うち1件は6時にならないと開店しない。早朝にはコンビニが大盛況になる。しかし、その客の質は最悪である。女性店員にいいより。言いがかり。暴言。ゴミ投棄なんでもありだ。

覚えていろ。小高のコンビニにたむろする作業員ども。
貴様らに地元民としてはなんの感謝もない。早く出ていけ。

彼らが地元民に言い放ったコトバ

「俺たちがいなけりゃ、オメーらはここに住めねぇだろ。感謝しろ」

それに対して私が反論した。
「福島がなかったら、お前らホームレスだろ。仕事があってよかったな。」

壮絶な自虐ではあったけれど。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》