「World is Myself」 Side Story 〜歌絵&淳〜2

第2話

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 いつだったか、お母さんに言われたことがあった。

 『歌絵の描く絵は、どれも夢があって大好きよ』

 それが始まりだった気がする。
 空を飛ぶイルカ。
 ワニと遊ぶ犬。
 輪になって、動物と人間が笑顔で踊る。
 世界中に降り注ぐ流れ星を拾う私。

 沢山、沢山、絵を描いてお母さんにあげた。
 もっともっと喜んでもらいたい。

 あの頃の世界は、眩しく七色の光に満ちてた。
 友達がいないことをお母さんは心配していたけど、そんなことは些末なことだった。

 だって、私にはお母さんがいればよかった。

 いつでも、その場に居て、名前を呼んでくれた。
 そして、また、両手に抱きしめて貰うんだ。

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「びっくりするじゃないですかー、ぶっ飛ばしますよー」

 今日はコアラゾーンに来て、木にぶら下がるコアラを見ながら絵を描いている最中に例の変な男が現れた。

 正確には歌絵の集中力が切れて辺りを見渡したところで、すでに視界の中にいた。

 正確には歌絵の集中力が切れて辺りを見渡したところで、すでに視界の中にいた。それも、山ほどのスズメに餌をやりをしていて、その中心に。

 その光景は、もはや餌やりというより禿鷹にたかられている草食動物のような悲鳴が出るような目を見張るものだった。

 焦った私が手に持っていた鞄で追い払うと中からお腹を抱えて笑っている彼が出てきたのを見て、思いっきり鞄で頭を叩いてやった。

「いや、加減がわからなくてね。雀たちがあんまりに集まってきてくれたから、楽しくなっていたのだが」
「馬鹿ですか、知能を子宮に忘れてきた人ですかー?雀の餌を箱いっぱい買ってくる人なんていませんよ!」
「生まれたての幼児に知能なんぞあるわけないだろう」
「比喩ですよ!冗談くらい通じてくださいよー」
「なんだ、そういうことか。個数なら間違ってないぞ、君と2人でやろうと思っただけさ」
「通常2人分とは、箱ではなく2パック分買うのが一般的という、一般論から勉強しなおして出直してくださいー」
「ははは、そうだな!明日は2パック買ってこよう」
「明日もやる気なんですか、懲りない人ですねー」

 ぐったり項垂れる歌絵を置いて、鳥の毛だらけのスーツを見に纏った男性は颯爽と去っていった。
 あの人は本当にここに何をしにきてるのだろう。今日はもはや、勧誘すらされなかったなーなどと考えながら、そこに男性がいることに違和感を覚えてない自分がいた。

 興奮状態から呼吸を整えるように、ふう、と大きく息を吐いた。

 こんなに感情的になったのはいつぶりだろうか。改めて考えると、恥ずかしくて顔が赤くなるのを感じた。

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 翌日は、宣言通りに2パックの雀の餌を手にした男が現れた。
 カンガルーエリアにいた歌絵を当然のように見つけてきた。既に何匹か餌に釣られて雀が寄ってきている。

 2人で餌やりをしながら、歌絵は常々思っていたことを聞いてみることにした。

「こうして毎日私の元に来て、大統領とやらは暇なんですねー」
「そんなことないよ、この後帰って毎日怒られながら大忙しだよ」
「そこまでして私の元に来ることに意味はあるんですかー?」
「意味はある。僕は大統領だから、優秀な人材には手を尽くすさ」

 かなり斜め上の回答を受けた歌絵は、訝しげに淳の顔を見つめると

「私を外に連れ出して、描いて欲しい絵でもあるんですかー?おあいにく様、私は描きたいものしか描かない主義なんですよー」
「ああ、それはない。だが、詳しくは答えられない」

 全く、と歌絵は肩を落とした。

「少しは、駆け引きとかないんですかー?本音ばかりでぶつかっても、思ったようにことは運ばないでしょう」
「残念だが、君ほど優秀な人間になると小手先の心理テクニックなど意味をなさないからね。案外、こうして本音を伝えた方が気持ちがダイレクトに伝わっていい方向に転ぶことが多いんだ」

 言ってる側から駆け引きなしでぶつかってくる淳の人間性を感じることはできた。

「それでも、私はあなたについて行く気はないですよー」
「それは残念だね」

 手元にあった雀の餌が2人とも空になったタイミングで、淳が立ち上がった。

「それじゃあ、また明日」

 当然のように来て、さらりと帰る淳。

「優秀な人材…ですか」

 画家として一気に注目されて天才とまで言われたことがあるが、褒め称えるどの言葉も歌絵が欲しいものではなかった。

「私は、普通で良かったのですよー」

 ポツリと、つぶやく言葉は歌絵以外の耳には届かずに消えた。

第3話

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 6歳にして、全国規模の絵画コンクールで優勝した天才。そんな分かりやすい肩書が歌絵の人生に付き纏うようになった。

 学校に行けば誰もが彼女を知っていて、特別扱いを受けることもあったが歌絵にとっては良いことなど何もない。

 何故なら歌絵にとって、絵は楽しくて、母が喜ぶから描くもの。興味のない赤の他人が下した評価なんて、ちり紙ほどの価値もないのだから。

 だから、学校に行かなくなったのは必然で、そんな歌絵に対して母が何も言わずに接してくれたことは歌絵にとっては救いだった。

 そんな状態の歌絵が学年トップをキープしていたことは、目の上のたん瘤のようなものだろう。

 誰もが面白くないと言った表情を浮かべていたことを歌絵も察していた。

 下らない。
 そんな一言で、歌絵がそんな周りの視線なんて気にしないでいられたのも一重に母の存在が大きかった。そんな歌絵の母が亡くなったのは、歌絵が10歳のときだった。

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「椎山くん」

 そんな声を聞いて、歌絵は意識がハッキリとしてきた。最近、自分の名前を言われてないからか、他人事のように感じて反応が遅れる。意識が覚醒することで、徐々に自分の世界が現実世界に侵食されるような感覚を覚えた。

 いつもの男が足が当たりそうなくらい目の前にいてびっくりした拍子に後ろに後退りすると、

「あ、」

 頭から大粒の雨足を受けた。
 どうやら、いつの間にか雨が降り出したようだ。

「あまり動かない方がいい。僕はもう1本携帯式があるから使ってくれ」

 手元に渡され、反射的に手に取った。
 普段ならば、このような天気が不安定な日にはいつもは来ないようにしているけれど、今日は何故か来てしまった。
 いや、本当は分かっている。
 自分が期待してしまっていることくらい。
 本当は分かっているんだ。

「どうした?」

 変な男、淳は心配そうに目線を合わせるように屈んでこちらの表情を伺ってきた。本当に変な人だ。

「私は、あなたに期待してしまっているのですよー」

 それは2つの意味をはらんでいた。
 1つは会いにきてくれること。
 もう1つは、

「怖いのです。ここ以外の場所が」

 これは、他人には口にした事のない吐露だった。
 きっと、歌絵の態度から想像した人はいないだろう。
 強く、孤高な人物。
 そのように写っている歌絵は、その実、

「家族が、親戚が、生徒が、先生が、他人が」

 ウサギのように弱々しい人物だった。

「そのすべてが、私にとって恐怖の対象なのですー」

 その言葉の通り、彼女は付いて行きたくないのではなく、ここから出たくないのだ。
 母を失った日から、彼女にとってこの世界は安息できる場所がここしかなくなった。

「貴方はどうして私に拒絶されても会いに来るのですかー?」

 それは前日の質問とは、似て非なる問い。
 打算的な理由でもいい。
 ちゃんと聞きたいのだ。

 淳は、手を差し伸べて歌絵を立たせた。
 181cmの淳に対して、143cmの歌絵は歌絵が見上げるような背丈の差があった。

 それでも、また淳が屈んで目線を合わせた。

「君は、過去の僕に似ているんだ。こう見ても、僕は学力や運動力の面で言えば分かりやすく抜きん出ていて周りよりも優れていた。そのことで周りは羨望よりも、嫉妬の対象に僕を見た。分かりやすく村八分状態だったね。中学生までは、友人などいなかった」

 今の姿からは想像出来ない過去を語る淳は、どこか寂しそうにも見える。

「だけど、世界は僕たちが思っているよりも広くて、優しいものだ。それを椎山くんにも知って欲しい。だから、僕はきみをここから連れ出したい」

 歌絵の脳裏に世界という単語から、1つの歌を思い出した。小さい頃によく、母が歌ってくれていた歌だ。

 その歌の意味が小さい頃から、分からなかった。

「世界は広いと思いますかー?」
「その答えは、きみがその目で見て判断したら良いと思うよ」

 全く答えになっていない。
 だけど、きっとそうなのだろう。
 こんなところにいる限り、答えは出ない。

「明日、テストを受けに学校に行かないといけないのです。学校に迎えに来てくれますか?そしたら、貴方について行きますー」

 それは、願いに近い取引だった。
 彼にとってプラスになるとか、歌絵にはわからない。でも、

「分かった、必ず行くよ」

 淳は、力強く承諾した。

「それじゃあ、今日は引き上げよう。少し濡れたから、風邪を引くかもしれない」

 歌絵は、上下に小さく顔を動かし、荷物を持ってその場を後にした。

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