「World is Myself」 Side Story 〜歌絵&淳〜1

2040年9月。

 雲ひとつない空から日差しが照り付ける夏の日。

 青々とした空の下、椎山歌絵は1人、スケッチを楽しんでいた。歌絵の目の前にはキリンが歩いており、その姿を見ながら軽快に描いていく。

 歌絵が顔をあげるたびに、赤い髪飾りが付いた左右の黒髪のツインテールが揺れて跳ねた。紺のブレザーにピンク色のリボンの制服を着た中学2年生の歌絵は、幼さを残しながらも、凛々しい顔立ちをしている。

 歌絵がいる場所は、動物と直接触れ合えることを売りにした動物園。間近で動物の姿を見られるのは、歌絵にとって嬉しい限りだった。最近は、毎日のようにここに来て、絵を描いている。

 他の客は、別の動物を見に行っている為、この辺りには歌絵しかいない。そんな静けさを心地よく感じていた折に、降って湧いたように気付いたら、隣に人が立っていた。

 横目で視線を向けると、男性のようだ。
 どっか行けという、気持ちで一杯の歌絵は、当然声を発さずに黙々と描き続けた。

 そんな沈黙を男性は、当然のように破った。

「きみを退屈から救いにきた」

 開口一番に口にした言葉がこれだった。

 言葉の内容に対して、理解が追いついたところで隣に立つ人物の顔をしっかりと見たが、知らない顔だった。

 整った顔立ちに痩せた体つき、二重まぶたで爽やかさのある黒髪のショートヘア。年齢は、20代後半くらいだろうか。こんなやつは、知らないと歌絵が怪訝な顔をしていると、

「良かった、こちらを向いてくれたな」

 などと、爽やかな笑顔を向けてきた。
 1つ大きなため息をついて、視線を手元に戻そうとする歌絵に、

「おおっと、不躾ですまなかった。好きなアニメの台詞でね、1度言ってみたかったんだ。良ければこちらの話を聞いてくれないか」

 焦ったような声を漏らした。
 こうなっては、一先ず話を聞かなければ何処かにいかないだろうと悟り、諦めて視線を合わせた。

「なんですかー、これでも暇じゃないんですが」
「それは失礼した。平日の昼間に、動物園に日々入り浸っているのを見て、多忙とは思わなくてね」
「さいっこうに、嫌味なお言葉どうもですー。それが分かったら、もういいですかー?」
「そう言わずに、5分でいい。きみの時間を貰えないか?」
「既に3分は経過しましたけどねー」
「そうだね。じゃあ、本題に入ろう。僕の名前は、大塔 淳(だいとう あつし)。僕と一緒に来て欲しい。ここよりも、きみの感性を刺激する場所に連れて行ってあげるよ」

 これ以上ないほど、怪しい誘いを受けた。
 ただ、この誘い方から歌絵は自分が何者なのかを相手は知っていると悟った。

「わたしのこと、知っているんですねー」
「もちろん、世界的に有名な画家だ。僕も自宅に1枚飾らせて貰っているよ」
「それは、どうもご購入ありがとうございますー。言うほど有名でもないですけどねー。サインは書きませんよー」

 棒読みでぶすくれた表情を見せる歌絵に淳は、首を左右に振った。

「ああ、それはいらないんだ。僕は、きみを連れていきたい場所があるから、一緒に来てくれたらそれでいい」
「ぜん!りょく!でお断りしますー」

 ぷい、と歌絵は、キリンに向き直り、てこでも動かないという強い意志を見せた。

 淳は、その姿を見届けると踵を返した。

「今日は振られたが、明日は連れ出してみせるよ!」

 ははは、と笑いながら去り行く淳に目線を合わせることはなかったが、帰れ帰れと毒づくように心で呟く歌絵の表情は、不機嫌を体現したように口をへの字にして怒りを露わにしていた。

****

 歌絵の家は、裕福というわけではなかったがどこにでもある普通の一般家庭だった。父は、サラリーマンで母は学校の先生。

 1人でいることが多かった歌絵が自分の世界に入りこんで絵を描く事が大好きになったことは、必然といえば必然でその才能が開花したことは喜ばしいことではあった。

 ただし、両親の想いとは裏腹に自分の世界に入り込み、周りのことをお構いなしに行動する歌絵に手を焼いた。

 友人は出来ず、父親も関わりを持ちたがらず、母親だけが唯一歌絵の相手をまともにしてくれる存在となっていた。

「歌絵ー」

 今日も気がつくと、見たこともない場所に自分がいて、目の前には完成した白鳥の絵があった。

 どうやら、何処かの公園のようだ。

「ママー」

 ギュッと抱きしめてくれる両手。
 温かい胸の中に飛び込むのが大好きだった。

「帰ろうか」
「うん!」

 そうして、2人で手を繋いで歩いて帰る道はいつも輝いて見えた。今でも、夢に見るほどに。

****

 「ん…うん」

 目覚めて、身体をおこすとその場所を見渡した。目の前には、湖があり、白鳥が数羽泳いでいる。

 そこは、動物園にある湖のあるゾーンだった。昨日のことがあって、場所を移動して対処したが気付いたら寝ていたようだ。

 身体を伸ばして、隣に置いたままのスケッチを手に取った。

 子どもの頃から、自分は変わっていないんだなとため息を漏らしながら、スケッチを開いて白鳥を描こうとした。

「お、描き始めるのかい。じゃあ、その前に今日も5分だけ時間もらっていいかな?」

 また、気付いたら隣り座っていた変なやつ。

「まさか、私が寝てる間も隣で覗いてたんですかー?」
「なに、3時間ほどきみを待っていただけだよ」
「気持ち悪いのでそうそうにお帰りくださいー」
「手厳しいな」

 そう言ってくすりと笑った。
 変な挙動さえなければ、イケメンと呼ばれる部類に入る人物なのだろうが、いかんせんここまでの行動は不審者のそれである。

「今日は白鳥か。美しいな、僕も好きだよ」
「そうですねー、思い入れはあります」
「白鳥には、黒い羽毛を持った種類がいることをきみは知っているか」
「ブラックスワン、と呼ばれる種類ですよねー?」
「その通りだ、彼らはかつて存在しないと思われていた。だが、オーストラリアでその姿が確認されてからは常識を覆すようなあり得ないことは起こり得るものだという象徴のような生き物となった。そこから、経験から予測できない事象が多大な影響を及ぼすことを理論をブラックスワン理論という」
「そうですか、一度見てみたいと気はしますね」
「なら、一緒に観に行くか?」

 そう告げると、手を差し伸べた。
 その手を一瞥すると、ぷいっと、歌絵はそっぽを向いた。

「おあいにく様ですー。行くなら、自分でいきます。お金ならありますから」
「だが、そこまで辿り着けるかもわからないだろう」
「本当に、どこまで私のことを知ってるんですかー?怖いんですけどー」

 ぞぞぞ、と後退りした。
 突如付き纏ってきている男がやたら自分に詳しいなんて、ストーカー以外の何者でもない。

「ははは、また失敗したな。いやはや、女性を口説くのは不慣れでね。職務では、打率10割なんだが」

 そんなことを口にしながら、また踵を返して去っていこうとしている。

「また、明日来るよ」
「来なくていいです。貴方は何者なんですかー?」

 私の言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべて口にした。

「僕は、大統領さ」

 それじゃあ、と軽く手を振って去っていった。

「……」

 電撃が走るとはこのことだろうか。
 胡散臭さが10倍増しになった。

 頭が痛くなる。
 あの様子では明日も来るのだろう。

 だけど、彼がわたしを連れていきたい場所とはどこなんだ。

 少しだけ、興味が湧いていることを気づかないふりをすることにした。

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