「トートバック」

 私が幼い頃、母はいつも、キャンパス地でできた白いトートバックを持ち歩いていた。前面に青の絵の具をポタリと数滴落としたような模様が描かれ、中に何が入っているのか予想ができないほど大きい。小さかった私は、母がそれに手を入れるたびにドキドキしたものだった。私にとっての四次元ポケットだったのだ。
 そのトートバックは、今、制服を着た私の膝の上にある。何度ちょうだいと言っても「ミナミには新しいものを買ってあげるからね」とかわされたトートバック。私はこれが欲しかったのに、いつも「古いから」とか「白のバックなんてどうせ汚すでしょ」と言って断られてしまった。もしかしたら、母の大事な思い出の品なのかもしれない。そう思っていつしか諦めた。


 それなのに。


 生成りの白に青い模様が映えていたバックには、今や赤い模様が染み込んでいた。車にはねられた時、そばに落ちていたという。バックを抱きしめると、鼻が毎日のように嗅いでいた母の香りを捉えた。
 こんな形でもらいたいわけじゃなかった。
 母がいないということが、次第に現実味を帯びてくる。襲いかかってくる現実から、心を保つので精一杯だった。
 バックを抱きしめると、何か違和感があった。わずかな重みと硬い感触。中に何かが入ったままなのだ。
 手を中に入れる。使い込まれた布は、しっくりと手に馴染んできた。見つけたものを並べていく。小銭入れ、定期、手帳。それから。
「っ……」
 タグが付いたままのトートバック。
 母と同じ形のトートだが、黒の布地に白抜きでアルファベットのMの文字が染められている。


 ミナミ、のM。


 どうせ汚すでしょ。


 母の言葉が蘇る。
「……もう」
 いつまでも子供扱いして。
 私はバックを抱きしめた。

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