「4seasons]

その日は朝から暖かかった。

駅の改札で待ち合わせをしていると、燕が目の前を横切った。行き先は壁側に据え付けられた巣だった。よくこんなところに巣を作るものだと感心してしまう。

「都会の特権だよね」

隣に、自然な仕草で立った友人が言う。待ち合わせの時間から十五分遅れのことは、一切口にしない。

「燕の巣を見られることが?」

 時間のことは言ったところで無駄だ。そう思って冗談のような会話を続ける。

 どうせ何時ものようにメイクや服にこだわって遅れたのだろう。以前、相手は友達なんだからそんなに気を使わなくてもと言ったことがある。今日の私なんて、ブルージーンズに黒のロゴが入った白いTシャツである。気を使う方が馬鹿らしくなりそうな格好だ。だが彼女は、おしゃれな人は気を抜かないものだと言い切った。なら早く起きろと思ったが、面倒になって諦めた。

「燕なんかに癒されるところが」

その冷え切った言い方に、彼女の周りだけまだ春が来てないんじゃないのかと突っ込みたくなる。服装は、白いブラウスにミントグリーンのフレアスカートと、確実に春服に変わっているのに。季節は私たちを置いて、どんどん先に進んでしまう。

「さ、行こっか」

肩までの髪がふわっと浮き上がり、彼女のパステルピンクのヒールがカツカツと高い音を立てる。私もすぐその後を追った。

「で、今日は何を買いたいの?」

彼女との買い物は質疑応答から始まる。

「今から使えるような春っぽいものかな」

「例えば?」

「ふわっとしたやつとか、パステルカラーのとか」

「トップスとかボトムとかで言うと?」

「トップスとワンピースかな……あ、あと靴も」

「オッケー」

駅ビルに入っているお店の一つに入る。よくある若い女性向けの都会的な店内は、冬から一転して華やいでいた。早くも春服のセールが催され、店内は賑わっている。

「これは?」

襟が大きく開いたブラウスを渡す。水色のストライプの地に白い花が刺繍されている。その地に足がついたふんわり加減は、彼女の好みかつ似合う服なはずだ。

「可愛い!」

思った通り、彼女の表情は明るく輝いた。いつも冷たい風を纏っているような彼女には珍しい表情。こんな顔も見せるから、私は彼女を嫌いにはなれない。つい甘やかしてしまう。

私はトップスに絞り、他の服も次々に手渡す。わずかでも表情が曇ったものは取り除き、試着したところを見る。その中で更に良かった服を選ばせ、次の店へ移動する。これを幾度も繰り返し、遅いお昼を食べながら再度相談。その結果決まったものを購入する。

これが、私が買い物に付き合うときの流れである。

こうしてみるとファッションのプロのようだが、別に私が特別ファッションに詳しいという訳ではない。似合いそうだなと思ったものを口に出していたら、いつの間にか付き添いを頼まれるようになっていたのだ。

洋服は嫌いではないから構わないのだが、決めさせるのが大変だ。私の意見ではなく、本人に決めさせなくてはならない。そして、女の子は往々にして優柔不断である。彼女も例外ではなかった。

「どうしようかなー、最初に行ったとこのブラウスも良かったし、あの通りのとこのTシャツも良かったし……」

彼女は食後のコーヒーを混ぜながら考えこんでいた。案の定、今回も時間がかかりそうだ。

「ね、どっちがいいと思う?」

この場合、「どっちも似合っていたからどっちでもいいと思うけど」というのは不親切な答えなんだろう。

「最初のはちょっと大人っぽく綺麗目にまとめたいときで、二つ目はカジュアルな感じだから動きやすくかつおしゃれにしたいときじゃない? あとは他の服との合わせやすさとか」

これで、いいだろうか。

「そうだよね。どうしようかな……」

再び考え出した彼女だったが、ふと思考を止めてこちらを見た。

「ちー、ありがとね。一緒に来てくれて助かったよ」

「いえいえ、どういたしまして」

「私、春服って好きなんだけど苦手みたいで。ふわふわした、いかにも女の子っぽいものでしっくりくるのってなかなかないんだよね」

「そんなことないでしょー」

「ほんとほんと。今日も、よくこんなに似合いそうなの見つけられるなって思ってた」

確かに彼女が典型的なパステルカラーの春服を着ると顔がぼやけやすいのは事実である。選ぶとき、少し注意する必要はあった。

「それは良かった」

「むしろ私はちーの方が春服似合うなって思ってるんだよね」

「そう?」

「うん。なんか春のイメージなんだ。あきって」

「そっか。あんまりパステルカラーとか着ないからなー」

「着てみるといいよ。肌白いし、絶対似合うって!」

自信ありげに断言し、彼女はまた切実な悩みに戻っていった。楽しそうに迷いながらコーヒーにささったストローを回す。

その様子こそ、春色に相応しいと思った。

  ***

じりじりと陽が肌を焼いていた。横を歩く友人が、涼しげな顔で言う。

「今日暑いねー」

「ねー……」

四月の空は、早くも五月晴れを通り越して熱で歪んでいるように見えた。気がつくと汗が滲んでいる。

中庭の芝生の端には、見覚えのある人だかりができていた。新入生の歓迎会と称したピクニックは、二十人程度が集まった。毎年部室で行う慣例だったのに、折角だから外でやろうと覆したことを私はすでに後悔していた。

油絵の具の匂いが食欲を失くさせるとはいえ、ここまで暑いなら部室の方がましだったのに。

2リットルのペットボトルが4本入ったビニール袋を抱えて運ぶ。幾ら美術部とはいえ、この位の筋力はある。明日は少し筋肉痛になるかもしれないと思いつつ、冷たいボトルに頬を寄せる。冷えた水滴が心地良かった。

「せんぱーい、こっちの準備できました!」

「はーい、ありがとう」

ドゴン、ドゴン、と重いペットボトルを置く。ブルーシートの上には、既にコップと菓子類が並べられていた。

「えーそれではー、新入生歓迎会を始めまーす! カンパァーイ!」

通常通りテンションの高い部長の音頭に従って、部員たちは紙コップを触れ合わせる。私は乾杯もそこそこに、手に持った紙コップを空にした。炭酸が喉を刺激する。

「はやっ!」

「あっつくて……」

「先輩暑がりなんですか?」

そう声をかけてきた後輩は、空いたコップにもう新たな飲み物を注いでくれていた。完璧な接待だが、何も聞かずさっきと同じ飲み物を入れたのが惜しかった。私は別のものを飲もうとしていたのに。というか、歓迎する側が接待されてどうするんだ。ありがたいけれど。

「うん、まあね」

その後輩は、四月の早いうちからよく顔を出していた。長くて明るい茶髪にピアスが見え隠れする。美術部には珍しい、キラキラした一年生女子。

「でも先輩夏似合いますよね」

「え?」

突然どうしたと言わんばかりの私に、彼女は飄々と続けた。

「何かこう……汗がきらめいてる感じが」

「そ、そうかな」

どんな感じだ。

 後輩は私の後ろで雑にまとめただけの髪を弄んで言った。

「特にこの黒髪ポニーテールですよ。この格好で顔を洗ってるところとか、夏のイメージにぴったりじゃないですか。入道雲バックにイラストにしたいくらい」

「それはどうもありがとう」

夏は私とは程遠い季節だと思うけど、とりあえずお礼を言っておく。

礼を言われてこれで会話は終わりと思ったのか、後輩はお菓子を食べるのに専念し始めた。

一見キラキラ女子に見える彼女は、実は不思議ちゃんだったと二年生の中で噂になっていた。外見はチャラチャラしているが、行動はまともで、口を開けば不思議ちゃん。三段階のギャップはもうギャップと言っていいのかすら分からない。

「先輩、早く食べないとお菓子なくなりますよー」

見ると、既に用意した三分の一が消えていた。犯人は件の後輩だった。

美術室は静かだった。空気がひやりと冷たくて、日差しにさらされていた肌にはありがたい。

あまりの暑さに耐えかねて、一人先に引けてきた私は、昨日の絵の続きを描くことにした。

鞄からスケッチブックを取り出し、キャンバスに立て掛ける。描きかけの下絵が顔を出した。夕日が沈む海を、窓から見た絵にするつもりだった。昨日、窓辺に置いた白い巻貝の凹凸に苦戦したところで終わってしまったのだった。

黒い芯だけを長く尖らせた鉛筆を持って、作業を開始する。

全体の配置を確認し、貝殻の続きに戻る。見本に持ってきた貝殻は、理科室にあった大振りのものだ。棘が多く、正確にそれらしく描くのが難しい。

形が取れたら、影をつけていく。後で水彩絵具で色をつけるから、濃くする必要はない。丁寧に、うっすらと影をつける。力を入れすぎると濃くなってしまうし、入れなさすぎると黒鉛が画用紙に残らない。

そうしているうちに、形がずれていることに気がついた。また修正しなければならない。消しゴムを手に取り、慎重に画用紙を擦る。消しすぎては訂正が面倒だ。

終わったら再び影付けに戻る。

しゃっ、しゃっ。鉛筆の音が、静かな室内に響く。

「やっぱり夏の絵なんですね」

肩が大きく跳ねた。

ゆっくりと声がした方を向くと、先ほど会話をした後輩が真横に立っていた。茶色い髪で顔がほとんど隠れている。

「びっくりした……」

後輩は、髪の隙間からふふっと笑った。

  ***

 三階に行くのは勇気がいる。

学年が一つ違うだけなのに、そこはもう別の空気が支配している。一階もそうと言えばそうなのだけど、自分がついこの前までいた空間は、まだ私を受け入れてくれる気がする。二階の方がよそよそしいくらいだ。

上履きをならして廊下を歩く。昼休みだからか、案外生徒の数は少なかった。三年二組の教室は、階段を上がって二つ目だ。

そっと教室を覗くと、先輩は本を読んでいた。黒縁眼鏡に、白い肌、肩まで届く黒髪。いつもシャツの上に着ているカーディガンが、今日は珍しくニットベストになっている。初対面から変わらない。いかにも文学少女然とした雰囲気の持ち主だった。

いつまで経っても気付かれなさそうだったので、ドアの近くにいた人に呼んでもらう。友人と話していたときは適当な話し方だったその人も、先輩に声をかけるときは丁寧な気がした。

先輩が気が付き、ゆっくりとこちらにやって来る。その動きまで上品だった。制服のスカートが優雅に揺れる。

「ああ、久しぶりだね」

「こんにちは」

先輩とは、図書委員で知り合った。一緒に仕事をしたのは数回だけだったけど、私たちは仲良くなった。今では、本の話ができる数少ない友人の一人だ。

「上まで来るなんて珍しい。どうした?」

 いかにも大和撫子なこの人は、意外とこんな口をきく。

 その問いに答える前に、持っていた紙袋を差し出した。

「今日、誕生日ですよね。おめでとうございます」

先輩の目が大きくなり、すぐに優しく細められる。

「覚えていてくれたんだ。ありがとう」

 開けていい?と尋ねられ、頷く。中身は新書サイズのブックカバーとシャープペンシルだった。ブックカバーは、わずかに紫がかった赤と白の麻の葉文様。シャープペンシルは一見すると鉛筆のように見えるものを選んでみた。

 先輩は、わあ、と嬉しそうに見入っていた。最近和柄にはまっていると言う先輩に合わせてみたのだが、私の選択は間違っていなかったようだ。こちらを向いて、笑顔で礼を言う。

「センスがいいね。流石は絵を描く人だ」

 最近新書を読むことが多かったから助かるよ。早速使わせてもらうね。

 何気ない言葉の数々に、顔が熱くなった。

「先輩は秋色好きですよね」

 話をそらそうと発した言葉に、先輩が苦笑する。

「春生まれなくせにね」

「いえ、そういうことではなくて••••上品な感じがよくお似合いだなと思って」

「そうかな。それは嬉しいな」

 先輩は、春夏秋冬読書の秋、という印象なのだ。私の中では。

「でもちいちゃんも秋のイメージだけどな」

 言葉がそう続いて少し苦々しい気持ちになる。秋は最も相容れない、相容れたくない季節だと思っていたのに。

「確か、誕生日も秋じゃなかった?」

「じゃあきっと、食欲の秋ですね」

 思わず茶化した。そのまま更に言葉を注ぐ。

「私、食い意地張ってますからねー。そうだ、今度一緒にカフェに行きませんか? 美味しいケーキセットがあるところを見つけたんです。先輩も気に入りそうな、雰囲気が良いところでしたよ」

「それはいいな! ぜひ案内してよ」

 案の定食いついてきた。この人も、見かけによらず食べるのが好きだ。

「はい、じゃあ今度の金曜日の放課後でどうですか?」

「金曜日ね••••うん、大丈夫。楽しみにしているよ」

「はい、私もです」

 昼休みもそろそろ終わりが近づいていた。ではまた、と会話を切り上げ、階段に向かう。

「ねえ、ちいちゃん」

 振り返ると、先輩がまださっきまでいたところに立っていた。少し申し訳なさそうにしている。

「なんですか?」

「秋のイメージだって言ったこと、気にした?」

「いえ、全然」

「すっかり忘れてた。ごめんね」

「本当に気にしてないですから。そんなことよりさっきの約束、忘れないでくださいよ」

 そう言い残して背を向ける。笑顔は自然だったはずだ。

 秋は嫌いだ。冬に向かっていくのは変わらないのに、足掻くように美しくなる。中身は変わらないのに、外見だけベールをかぶる。

 なんとも見苦しい季節だ。

 

  ***

私は冬が好きだ。

ひどく寂しい風景。あの余計なものをすべて削ぎ落としたような潔さ。ピンとした空気の張り詰め方。自然に暮らしている者が、少し油断すると死んでしまうあの冷酷さ。どれをとっても素晴らしい。

自然だけではない。イベントが沢山あるところもいい。リトマス試験紙のようなイベント。通常隠してきたものが日の元に晒される。この一年、どんな風に過ごしてきたか、周囲とどんな関係を結んできたか、一目でわかるようになる。今までごまかしてきたものを全部思い知らされてから次の年へ行く。

冬はごまかしを許さない。寒さが何もかも取り去った純粋な空気がより多くの音を届かせ、より多くの色を伝える。痛みさえも容赦なく鋭くなる。

だから私は冬が好きだ。

 ***

『だから私は冬が好きだ。』

打ち終わって、手をキーボードから離す。

もう一度、スクロールして最初から読み直す。

春、夏、秋、冬。 

悪くはなかった。

表示していた文章を閉じると、データの一覧が顔を出す。文章のタイトルの横に、最後に更新された日時と、データ量が表示される。

今まで開いていたファイルを右クリックし、「削除」を選ぶ。

その時、自室のドアが開く音がした。

「またパソコンやってるー、何書いてるの?」

従兄弟だった。小学三年生の彼は、何度ノックしろと言っても聞いてくれた試しがない。今日も、泥のついたジーンズのままズカズカと部屋に入ってきた。この寒さで、外遊びとは恐れ入る。

「書いてたけど、消しちゃった」

「ええー、見せて欲しかったのに。どんなの書いてたの?」

「ばかばかしい話だよ。当たり前のことしか書いてない」

彼はもう興味を失ったらしく、ふーんと空返事を返す。パソコンよりも、その横に置いていたチョコレート菓子の方が魅力的だったようだ。手渡すとパッと目が輝いた。単純明快。これくらい分かりやすい方が、きっと生きていて楽しい。

「あっ、そうだ、ちーちゃん、おばさんがお茶入ったよって」

彼が本来の用事を思い出したのは、チョコレート菓子をすっかり食べ終わってからだった。

わかったと返事をして立ち上がる。廊下は寒いからと黒のニットカーディガンを羽織る。

「多分切り株ケーキだよ。お母さん、今日来る時買ってたもん。ちーちゃん好きだからーって」

 ブッシュ・ド・ノエルのことだろうか。

「それは楽しみね」

 彼はふふっと笑った。よく笑う子だった。彼を見ていると、この世にはそんなに面白いことがあっただろうかと思う。

「ちーちゃん冬好きでしょ? 名前、千秋なのに面白いねー」

え。

自分の顔が強張ったのがわかる。誤魔化すように、ゆっくりと聞き返す。

「……なんでそう思うの?」

 彼は得意げな顔をして言った。

「だってちーちゃん、チョコ好きじゃん。冬はチョコのお菓子、たくさん出るもんね」

 ああ、そういうこと。

 納得して、思わず苦笑する。

「うん、そう。そうなの」 

やっぱりー。

従兄弟は無邪気に笑う。私はカーディガンを体にきつく巻きつけた。


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