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 connecting the dots(点をつなぐ)

どーも!

最近スティーブ・ジョブズの偉大さを知った小田です。

#遅いわ

#ちなみに半沢直樹も6年後くらいにみて

#1人だけ時代遅れの倍返しだブームをしてた



今日の記事は長くなります。

読むのに10分くらいかかります。

時間に余裕がある時に一気に読んでください。


connecting the dots




この言葉は人生において最強の言葉な気がしてきました。



人生に迷ったとき、きついとき、悩んだとき、こんな時に今日の記事を思い出してくれたら嬉しいです。



まず、この言葉は日本語で



『点をつなぐ』



という意味です。



この言葉を聞いて、あなたはこの言葉をどう理解しましたか?





この意味は、

『将来の目標を達成するために必要だと思う事を沢山やりましょう(点を打ちましょう)。

この点を繋いで言って、最終的に目標を達成しよう。』















だと思った人?



結論からいうと不正解です。





不正解になって不機嫌にならないでね。

これからの話をフラットな気持ちで聞いてください。



絶対に絶対に今後の人生の役に立ちます。





そして、『connecting the dots 』の意味の正解を最初に言ってもいいのですが、敢えて、今からする話をただただ読んでください。



そして、今からする話を読みながら、正解は何なんだろうと考えて見てください。



それではどうぞ。







私は、5人家族の末っ子の長男として、佐賀県の武雄に産まれました。



父は不動産、土木、建設系の仕事がメインで

母はパートです。



姉が2人いて、現在姉はハッピースタジオという子供向けフォトスタジオを経営しております。



幼い頃から興味がある事はどんどんやっていくタイプの人間でした。



そして、友達からサッカー部一緒に入ろうと言われて、0.1秒で入る!っと言いました。

私は小学校3年生からサッカーを始めて、どんどんのめり込んでいきました。



小学生、中学生はキャプテン、高校は副キャプテンをしてました。

サッカーのレベルは

県の選抜(小学校〜高校まで)に選ばれる

中学の時は県準優勝で九州大会

高校の時は佐賀東高校で全国5回出場

新聞にも沢山載りました

34歳になった今でも社会人チームで続けてます



って感じです。



まぁ学生時代は佐賀県の中ではなかなかの有名人でした。



高校生の時に全国大会にいった際は、遠征費を捻出するために、クラスメイトや友人に記念タオルを販売して1000円ずつ支援を集めました。

そのお金で何とか全国大会に出場することができました。





小学校何年生か忘れましたが、父が突然帰って来なくなりました。



元々夫婦喧嘩が多かった家庭で、家族5人で旅行に行った記憶はありません。



いつも父が泥酔状態で帰ってきて、家で暴れていました。



母が作ったハンバーグが乗ったお皿を手裏剣のように投げて、皿が割れて、母と子供3人で泣き叫んだ記憶があります。



実は私は幼い時の記憶があまりありません。



妻と話したりしてて、妻はよく小さい時の話をしています。



しかし、私は同じ年齢くらいの時の記憶がすっぽり抜けてしまっています。



おそらく、『恐怖』が原因であり、生きていくために脳が勝手に記憶を消してくれたのでしょう。



まぁそんな感じでしたので、父が帰って来なくなったら、当然家のローンが返せなくなり、その家を売却して、祖母の家にみんなで引っ越しました。



要はとても貧乏な家庭でした。



母からあとから聞いた話でしたが、祖母がいなければ、一家心中をしようと思っていた。

というくらい家庭は追い込まれていました。



しかし、その時は色んな人からの支援があって何とか私たちは生活することができました。

特定の1人から大きな支援を貰ったわけではなく、ご近所さんや友人達に少しずつ助けて貰いながら何とか生き続けることが出来たのです。

本当に感謝しています。



そこから結婚するまでは祖母の家で暮らしていました。



現在両親は、離婚はしていないですが別々に暮らしています。



今は父も落ち着いており、盆と正月+αくらいで会います。





私の家庭環境とスポーツ歴はザッとこんな感じです。



19歳の時に夢であった消防士になりました。



消防士になって沢山の先輩ができました。

200人の内年齢は199番目でした。



どうにか先輩達と仲良くなりたいと思っていた私は先輩からの遊びの誘いに全て参加しました。



誘いがあれば0.1秒でいきます!!と言いました。



飲みの誘いが多かったので、夜先輩から着信があると、内容を聞く前に出かける準備をして、誘われてから居酒屋に着くまでの時間が恐ろしく早い男という異名をもらいました。



そんな男でしたので、先輩からのお誘いはどんどん増えていきました。





そんな中で、ある先輩から糸島にあるサンセットライブという野外フェスに誘われました。0.1秒で着いていきます!と言いました。





そこで初めてサンセットライブに出会います。



楽しく飲んだり歌ったり最高なライブです。



そんな様子を見ていた別の先輩からサンセットライブでボランティアをしないかと誘いを受けました。0.1秒でやります。と言ってゴミの分別のボランティア2年間しました。





そんな様子を見ていた先輩から、サンセットライブで売り子をしないかと言われました。

0.1秒でやります!と言って全力でお酒を売りました。



そのお店はmanlyというオーストラリアのビーチ名からとった店で、社長さんはオーストラリアへのワーホリ事業をしたりしている方です。



その社長さんとは今年で出会って約10年くらいになります。





消防のお仕事も全力でやりました。



与えられた仕事を全力でする事は当然ですが、常に新しいことを考えて提案して行動してきました。





その中の一つとして、消防本部を広報するチームが発足して私はその一員になりました。



当時25才くらいだと思います。





その会議で私は誰よりもしっかりとした資料を作ってパワポも作り込んで、『消防筋肉カレンダー』を使って広報しよう。と言いました。



結果却下されました。





消防には労働組合のような消防職員協議会という団体があります。



私はこの組織の青年部長のオファーがあり、0.1秒でやります。と言いました。



この部長の経験で他の本部の消防士の知り合いができました。



この組織は、いろんな職場の課題を解決するためにあり、ここで労働環境や賃金のことについて沢山学びました。



この中で、公務員の定年延長問題を学ぶ機会があり、今後の自分がどうなっていくのかを具体的に考えるきっかけになりました。



これについては、簡単にいうと、定年退職は65歳に延長されて、私が60歳の時には54歳以上の職員が110人/200人になるのとを知りました。



令和元年に佐賀豪雨が発生しました。

私の地元は広範囲にわたって水没しました。



祖母の家のすぐ近くでも死者がでた他、3名の命が奪われました。



当日、水上バイクで15時間連続で救助活動をしており、幼い頃から見ている地元の姿が一変に救助活動をしながらも、『絶対にこの街を復活させる』

と心の中で誓いました。



そして、人命救助活動が3日後に収束した瞬間に、以前自分で購入した地元のゼンリン地図を用意して、インスタで呼びかけて、甚大な被害がでた街に仲間と共にいきました。



一件一件まわってニーズをゼンリンに書き込んでは発信して仲間を集め、休みの日は毎日半年間くらいに渡り、復興ボランティア活動を行いました。





市のボランティアセンターが立ち上がる前から消防士の仲間を中心に活動をしていたので

、市のボランティアセンターや民間のボランティアセンターと連携して行う形に移行していき様々な調整会議にもでました。





この時に、復興を進めるためには

人数と期間が大切だということがわかりました。

1人が100日連続でボランティアするのではなく、100人が1日ボランティアするようなイメージです。



詳しくは別記事の『ボランティアのあり方について(案)』をご覧ください。

※まだ公表しません。退職間際or退職して投稿します。



また、令和2年、令和3年にも佐賀で豪雨災害があり、ボランティアは3年連続で行うことになりました。

ボランティアのスキルはどんどん高くなってきましたし、色んな人と出会いました。



まぁやりたいと思ったらすぐにやるし、

誘われたらすぐに乗るし、

仕事でも何でも分からない事は積極的に調べて自分に落とし込む人間だったと言うことです。

ここに書いてある内容はそれの1/1000くらいのエピソードで、他にもいろんな話が仕事やプライベート問わず沢山あります。



時間は大きく流れて令和5年9月頃



救助シンポジウムという全国から1000人の救助隊員が集まって、選ばれし者の話を聞くという集まりがあります。





特別救助隊である私は、本当にこのシンポジウムに前から行きたくてたまりませんでしたが、私に出番が回ってくることは今までありませんでした。



そして今回こそはと思って、参加者を決める段階になったときに、参加を希望している先輩達に頭を下げて『どうしても行きたいんで私に行かせてください。』とお願いしました。



本当に優しい先輩達ばかりで、同じく希望をしていた先輩は署長に『私は降ります。小田を行かせてやってください。』と言ってくれました。



そして私は12月に行われる救助シンポジウムに参加できるようになりました。







しかし、私の心の中で大きな変化が生まれます。





『消防を辞めてあの事業をしたい』



それが消防筋肉カレンダー事業です。

この事業は既に世界中で行われている事業で、特にオーストラリアが有名です。

内容はイケメンマッチョ消防士の上半身裸の写真が載っているカレンダーを売って、その売り上げで、支援が必要な子供達を救う。というものです。

また、私が考えている商品の一つに世界初の全国から365人の消防士を集めた毎日カレンダーも作ろうと考えていました。



この気持ちは、1日では収まらずに日に日に大きくなっていきました。





そして10月某日にそれは決意に変わりました。







ドキドキしながら妻に相談すると

『せいちゃんなら大丈夫だと思うよ』



と言われました。



胸の中の炎が一気に燃え上がる感覚になりました。





そこから休みの日に遊びに使っていた時間と睡眠時間の一部は全て起業についての準備に使うようになりました。



そして、ある事を思います。







『救助シンポジウムどうしよう。』





そうです。あれだけお願いして譲ってもらったあの枠を、辞めると決意した私が使っていいのかと思い始めて、罪悪感が襲ってきました。





しかし、その罪悪感はある瞬間に消えました。





『誰よりも学んで、それ要約して職場に還元することが自分の仕事だ。これを全力でやろう。』



と気付いたからです。





私は明後日救助シンポジウムに参加するために東京にいきます。



そこで全国から集まった1000人の消防士と共に勉強します。





先程言いましたが、私が考えてあるカレンダーの商品の一つに全国の消防士を365人集めた日めくりカレンダー(実質写真集)があります。



私の事業は、全国の消防士さん365人を集める事が最大の関門で、365人のモデルさんを全国から集めないことには私の思い描く理想の形が実現しません。



全国にいる私と同じ想いをもった消防士さん達に一人一人に対して、丁寧に事業の説明をきて協力して貰わなければならないからです。





しかし、説明をしようにも繋がりがないと説明すらできません。私は県内や九州には消防士の知り合いがある程度いますが本州の方は数人しかいません。





ここが私の中でかなりネックだったのです。



そして、救助シンポジウムの数日前に参加者リストが届きました。





そこには、全国のとんでもない数の消防本部の数が書いてあり、合計約1000人が参加する旨が書いてありました。



そこで気付きました。

全国の消防士さんと繋がれる最高すぎる神チャンスだと。





私は持っていた名刺150枚全ての裏に

携帯番号とラインIDを書きました。



今は救助シンポジウムで熱い想いを持っている消防士さんに出会えることを楽しみにしております。





以上ここまでがエピソードになります。







みなさん、どう思いましたか?





ここまでの話を要約しながら、話を着地させていきます。



・幼少期は家庭の事情により支援が必要な状況で色んな人に助けて貰った



・サッカーの全国大会の時でも同じように色んな人から支援を受けて助けて貰った





・消防の広報のために消防筋肉カレンダーについて調べてプレゼン資料を作った



・オーストラリアに精通している人物に出会った



・定年延長問題があることを知った



・佐賀豪雨を通してボランティア行い、支援の本質を知った



・救助シンポジウムにいって全国の消防士と出会った(予定)





まぁ要約はザラっとこんな感じです。



そして、これは私が事業を立ち上げる至った要因の一部です。



立ち上げるに至った経緯を文にすると以下の通りです。



『私は、支援が必要な子供達を助けるために、自分が愛している消防士の力で、オーストラリアが発祥の消防筋肉カレンダー事業を立ち上げたいと思っています。



支援の基本的な考えについては、全国のたくさんの人から無理のない金額を長い期間支援していただく(ご購入いただく)形が理想です。



モデルさんは、救助シンポジウムの時に出会った全国の消防士さん達を中心に協力を募って行きたいと思っています。



また、将来的に高校生のスポーツを応援する事業もやりたいと思っています。(詳細は別記事参照)』

※この記事も結構あとで出します



もうわかりましたよね?





私が産まれて10歳頃からの経験が点となり、それが後から繋がっていって、私は今回起業という選択肢をしました。





あの時に

家庭の状況が悪くなかったら?



サッカー部入部の誘いを断ってたら?



消防士になっていなかったら?



先輩の誘いを断っていたら?



広報の仕事に本気で向き合っていなかったら?



青年部長になっていなかったら?



地元に豪雨災害が起きていなかったら?



復興ボランティアをやろうと声を上げなかったら?



救助シンポジウムに行きたいと意思表示しなかったら?





もし、どれかが欠けていたら、私はこんな気持ちになっていなかったかもしれません。





しかし、起業するつもりでこれらの事をやってきた訳ではありません。



そうです。





点をつなぐというのは、目標に向かって必要なことをするのではなく、若い時はとにかくいたところになるべく大きく、濃い点を打ちまくることが重要なんです。





この点は小さくて薄くてはいけません。





なるべく大きく濃い点を打つのです。





そうすればいつかその点が勝手に繋がったりして、自分の中にアイデアのような形で降ってきます。



これは、たまたま降ってきた斬新なアイデアのように思いがちですが、絶対に違います。





これまでのあなたの生き様(点)が自動的に結びついて1つの絵(線)になっていくのです。



幼少期は父親が帰って来ないことにコンプレックスを覚えていました。



いろんなことを引き受けて実行するために、沢山の時間と頭を使いました。



時には、恥ずかしい思いをしたり、人に嫌われたりしながら、自分なりにやるべきことを全力でやってきました。

気付いてないふりをしていましたが沢山陰口を言われたり、悪評を流されたりも沢山しました。

今後も沢山の人から嫌われたり、叩かれたりするでしょう。



しかし、この経験の全てが今の私の原動力です。



辛かった過去の出来事にも今は感謝してます。





私がこれを読んでくださっている人に言えることは、1つです。



『今からでもいいから、大きくて濃い点を沢山打て』



です。





挑戦に年齢は関係ないとはいいますが、今まで色んなことに本気で向き合ってきていないで挑戦するのは無謀です。

残酷かもしれませんがおそらくそうです。

お前が成功してないのに何いってるの?

と思う人もいるかもしれません。



しかし、私は既に幸せです。

毎日挑戦してて新たな人や知識に出会えて楽しいからです。



そして根拠のない自信があります。笑

絶対に日本にfirefighter calendar事業を定着してみせます。



ここからは

現状に満足していない人

何かを変えたいと思っている人

だけが見てください。

その他の人は気を悪くするのでここで、読むのを辞めてください。











あなたへ

同じようなことをもう一度いいます。



まだ何になりたいとか何をやりたいとか決まってない人もいると思います。

やりたいことが決まっていたり既にやっている人もいるかもしれません。



しかし、そんな事は関係ありません。



今からあなた達がやれることは点を打ち続ける事です。



自分の生活を見直してみてください。

あなたの行動を見直してみてください。

毎日、他人の行動を気にして、他人の事を馬鹿にして、他人を下げることで自分が目立つようにして、毎日スマホのゲームをして、ギャンブルをして、酒を飲んで、ネットで芸能人の不祥事の記事を読んで、会った事もないよく知らない人に指殺人のようなことを毎日してませんか?毎日それでいいですか?飽きません?
話のネタなくなりません?
昔話だけで飲んでません?

自分の仕事に対する行動を見直してみてください。



このまま点を打たなかったら、あなたが話す内容は、過去の栄光話や他人の噂話、他人の悪口や世の中への不平不満しかありませんよ。

そんな話を子供にできますか?



子供には

今日はこれに挑戦したよ!

だけどダメやったんだ!

でも諦めないよ!明日もまた挑戦してくる!

君も挑戦しような!

って言いたくないですか?



何事も本気で向き合えば、それは未来では大きくて濃い点になっているはずです。



その点が大きなヒントになり、いつの日かあなたの人生の道標になることでしょう。





私はまだ何も成し遂げていませんが、過去に聞いて心に響かなかったスティーブ・ジョブズの演説の意味が今になって本気で理解できて、自分のエピソードとして言語化できていると言う事は、点を打てていた。

ということでもあります。



もちろん、これからも行動しながら大きくて濃い点を打ち続けたいと思います。



話が大変長くなってしまいました。

あなたの大切な時間を使ってこの記事を読んでくれてありがとうございます。





この長い記事を最後まで読んだこと自体があなたの人生の点の1つになってくれる事を望みます。





その時はいつかお酒を飲みながらあなたの『点を繋ぐ』話を聞かせてください。





#なんか最近熱い系の話ばっかりになっちゃってる照

#おそらく退職までの時間が近づいてきたから本当に大切な事を本能的に残そうとしているんだろう

#熱い記事に付き合ってくれてありがと





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