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親が、学校にできること

 小1の娘が昨年の夏休み明け「学校に行きたくない」と言い出してから、「娘にとって望ましい環境」と「学校」についてずっと走りながら考えてきた。いろんなところに出かけて、価値観を書き換えられてきた。
 この一年間で、自分の中で固まったスタンスをこのnoteを書くことで明らかにしていきたい。

学校に行けなくなった当初、私は学校を恨んだ。

 娘が学校に行きたくない理由として、最初に言葉にして言ったことは「保育園では、何かあると皆が納得できるまで話し合っていたのに、小学校にはそれがない。先生が怒るだけなのが嫌だ」ということだった。
 保育園は、その子の良いところを見て合った対応をしてくれるだけでなく、年長では集団での問題解決を自分たちでやらせることを大事にしていたので、娘の言わんとしていることはよくわかった。
 
 その他、強い口調で叱責する、平仮名を何度も正しいポジションで書くまで終わらない……など、厳しすぎる指導に、私自身が辟易していた。「字が見違えるようにキレイになる」と喜んでいた親御さんもいたので、合う家庭もあったのかもしれない。でも、ウチの娘には合わなかった。 

 最初は、学校と先生に「変わってもらいたい」と考えていた。子どもの見方・指導方法を変えてもらいたい、我が子にあった形で接してもらいたい、学校として担任の先生に指導してもらいたい。ということで、てっとり早く解決して「もらいたい」私は、校長室に乗り込んだ。
 けれども、あくまでも指導については担任に任せている、とのことで、担任との面談を勧められた……。

 娘は、唯一小学校で接する大人である担任の先生がすっかり怖くなってしまっていたので、副校長やスクールカウンセラーにつないでもらい、家に遊びに来てもらったりと良くしてもらい信頼関係を築いてもらったのだが、それでも娘が「学校に行ってもいい」と思うことはなかった。
 私立の自由な校風の小学校を見学し、転校のための受験もしようとしたのだが、娘は「やっぱり近くがいい」と言った(今考えると、まだ他の選択肢を考える時期ではなく、心の傷を癒さなければいけない時だったが……)。

 私は大学卒業以来ずっと働いてきて、仕事を辞める気はさらさらなかったが、家で過ごす小1の娘をこれ以上一人で放っておくことはできなかったし、仕事に集中することができなかった。

    辞めることになった時は、正直、小学校を恨んだ。夫婦二人で稼ぐことが前提で成り立っている我が家の家計、どうしてくれるんだ、私のキャリア、どうしてくれるんだ…と。

「対立」からは、何もはじまらない。必要なのは「対話」。

 私が住んでいる世田谷区の保坂区長が出る場にも参加してみた。
不登校によって、働く納税者が一人減ってしまいますよ。
これが一人ではないとしたら、社会的な損失ですよ…と思ったので。

 それまで行ったことのなかった、こんなイベントにも行った。ちなみに、こういうイベント、区長は区政の一環としての参加ではなく私人として参加する。教育ジャーナリストだっただけあり、とにかくめぼしい世田谷区の教育イベントにはだいたい区長がいらしている(笑)。

  そして、他の自治体がどうなのかわからないが、世田谷区のこういったイベントには、話を聴いた後のディスカッションの時間(自分の意見を述べる場)が必ずある。
 「対立」ではなく、「対話」なのだ。

 当時の私には、自分の辛い状況を訴えることしかできなかったんだけど、参加しているメンバーには、行政に求めるだけでなく学校のこんな制度を使える、とか自分たちが動いて得られること、変わることはあるのではないか、というスタンスが圧倒的であり、驚いたのを覚えている。
 企画するのもPTAとかではなく、保護者による有志の方が多い。保坂区政は今年から3期目になるが、それまでの2期8年にわたる住民参画型のスタンスが、根付いていることがわかった。

 そして、校則がないとして有名になった、世田谷区立桜丘中学校の保護者の方たちが企画した上記のイベントに参加して、思った。
「実は、『学校が変わらない』と諦めているのは、親の方なのかも…」「もっと親にできることはないだろうか」

 学校も、多くの仕事がある中で一人ひとりの親の要望に応えていくのは大変だ。先生たちに余裕がない。  
 目的は、学校や先生に何かやってもらうことではなくて「子どもの心身共に健全な学びの環境をつくること」だ。
 そのために、私たち親ができることはないだろうか……。

現在、我が家にとっての学校とは…? 親の私ができることとは…?

 「楽しい」を原動力に動く娘にとって、学校に行くメリットは今はほぼない。家は居心地がいいし、学校の友達ともボチボチ遊んでいるし、ホームスクーラーの友達と遊ぶ機会も結構ある。自分に合う習い事や地域の居場所も見つかってきた。特性があるので、私も基本はホームスクールが娘には合うだろう、と思っている。


 でも、一年生の時の担任の先生が合わなかっただけで、学校の全部を嫌いになってしまうのも、もったいないとも私は思っている。現在の担任の先生がとても楽しそうな学級運営をしているようなので(映像を見せてもらったり、保護者会に娘も参加したりしている笑)、少し気になっている様子もある。

 学校に対し、親の私ができることは……と考えた時に、今年実際に企画してやってみたのが、小学校での「サマーワークショップ」だった。娘は「企画し、実現すること」が好きなので、何もないところから作るプロセスに同席させてみてはどうだろう、と思ったことがはじまり。私が前職で、学生向けの職業体験学習プログラムの企画・運営をやっていたので、ある程度の勘どころはつかめていたこともあった。

 夏休み期間、親や地域の方が先生となり、学校ではなかなか教えられないということを教える、という主旨でママ友に声をかけてみた。趣味で「ヨガ」を教えられるレベルまでやっている方と、チョコレートの会社で技術職をやっている方が見つかった。そして私のコアスキルは「編集=伝えること」なので、今流行りの動画を題材にして計3プログラムを提案することにした。
 実は夏休みの超直前の提案だったのだけど、学校と学校運営委員会(地域とPTA、学校が協力する組織)の協力をいただいて、実施にこぎつけることができ、しかも定員を上回る申込みをいただくことができた。

 娘は、副校長先生との打ち合わせから実施までのすべての機会に参加し、「企画側」として娘なりに楽しんでいた。参加してくれた子たちも、チョコレートを味わったり、お母さんとヨガしたり、普段は学校に持ってきちゃいけない「好きなもの」を持ち込んで動画で紹介したり……と、いつもとは違う「学校」を楽しんでいたようだった。

 学校が、先生から何かを教える場だけでなく、自分のお父さんやお母さんから何かを知ったり、一緒に創ったりする場であってもいい。(もちろんその他の役割がもっとあってもよいけど…)。娘にとってはそんな学校は、行きたくなる要因なんだよなーと思った(行きたくなければ、絶対行かない娘が学校に来たので)。そして規模は小さくても、決して不可能ではないんだな、ということがわかった。

要望でなく、「協創」のための対話の場を作りたい

 もちろん、サマーワークショップなんて超部分的な話。でも、やることがまずは大事、だと思うし、コミュニティスクール、という親だけでなく地域も学校運営に関わっていく制度があることも知った。
 参加している「多様な学びプロジェクトatせたがや」では、私たちが、学校や学校以外の学びに対して、親として、地域としてできることを、一緒に考える機会もつくっている。
 要望ではなく、「協創」のための対話の場。特に一緒に子どもを育てていく身近なママ友パパ友や、学校の先生と一緒に話したいと思っている。(現在は終了)

アンケートも協創のための対話、に使っていきたいな

 今、ホームスクーラーの仲間と一緒にやっている、子育ての「再」デザインプロジェクトでも、「ホームスクーラーへの10の質問」ということで、学校や周囲、行政と対話するためのアンケート、を企画し実施している(現在は終了)。

 これも私自身は、誰かに何か「求める」ために必要だとはそんなに思っていない。だけど、何かを誰かと「一緒に創る」ためには活用できると思っている。例えば学校と、例えば行政と、例えば企業と…。


 親も一緒に創る。このスタンスで、子どもたちにできることは広がっていく気がしている。

娘との共通の趣味「銭湯めぐり」に使わせていただきます!