Unforgettable. 3 【おっさんずラブリターンズ アナザーストーリー】
アジトに車が数台入っていった。人の姿は少なく、あいつら全員が集まるにはもう少し時間がかかりそうだ。いつものように夜食を口にしながら、突撃のタイミングを見計らっていた。
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一緒にいる時間が長くなると、どんどん胸が苦しくなる。好きで好きで誰にも渡したくないくらいに好きで、親友に宣戦布告してまで手に入れたい人なのに。手を伸ばせば届きそうなのに、するりと俺の手をすり抜けていく。
「和泉教官、来年あたりは本部って話聞いた?」
警察学校で、たまたま耳にした教官たちの会話に、俺は思わず立ち止まった。コーヒーの自動販売機の前で、あくびをしながら話に夢中なため、俺の存在には気が付いていないようだった。
「みたいだぜ?さっき、警視総監自ら教官室入っていったからさ。何度も本部から人が来てるし。」
「結構な頻度で本部から人が和泉教官たずねてくるわけよ。本人から聞いたわけじゃないけど、公安に来ないかって」
「もったいないよな、射撃の腕はもちろん、柔術全般に秀でて品行方正。本部長みずから公安に引き抜きだぜ?」
「後は、本人次第じゃないか?」
確かにな、教官たちは笑いながらその場を去っていった。もし、あの人が本部に戻ったら?俺が公安に配属になったら会えるのだろうか。ぬるくなった缶コーヒーを握って、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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気が付いたら目で追っていた。警察学校卒業して、公安に配属になって。あの人の姿を見た時、めまいがするほどに渇望した。あの時より俺は大人になり、好きな気持ちはさらに大きくなっていく。
一緒に仕事して、長い時間同じ空間にいる。アプローチをしているのに、気づいていないのか、知らない振りをしているのかもわからない。振り向いてもらえない、気づいてもらえない気持ちで息が苦しい。
もやもやした気持ちを抱えながらの張り込み3日目。さすがに、今日あたりは決着つけてスッキリしたい。待ちつかれた俺は、大きなため息と一緒に口を開いた。
「和泉さん、コレいつまで待つの?俺に行かせてくださいよ」
「黙れ、ガキ」
毎回のことでもう慣れた。俺は負けずに言い返す。
「あんなの、5分あれば片付けますって」
和泉さんは黙って眼前の敵の動きを見ている。近づいたと思ったのに、それは錯覚で、この人の目には俺なんか映ってはいないのだ。それでも、この瞬間、俺は隣にいる。それが夢ではなく、現実であることだけが真実。
しびれを切らした俺は体を起こし、あの人に声をかけた。
「だいたいアイツらさ」
「伏せろ!」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。ほんのりと、香る整髪料のにおい。あの人の顔がすぐ近くにあって、心臓がバクバクしているのを聞かれるのではないかと心配した。俺より一回り大きな体が、俺を庇うように覆い被さっている。
車のライトが、掠め流れて行く束の間。あの人の体温を、今までになく近くで感じていた。このまま俺を抱きしめてくれたら、好きだって言うのに。
大きな深呼吸をして体が離れていった。
体にかかる圧力がゆっくりと解放され、俺も顔を覗き込むように動きが止まる。さっきよりも遠いのに、俺をとらえている瞳がはっきり見える角度で。
「ジャムなんか付けて、子供かよ」
そう言って、鼻先に付いていたイチゴジャムを指で拭った。
俺の心をかき乱だし、知らない顔をするなら、優しい顔で見つめないで。もう、あふれ出る思いを隠せないほどに、この人に愛されたい。動悸が早くなっていた体から、俺を意識しているのは分かっているのに。この胸のざわつきを止めなければ、この人と一緒にいられない。
本当に一瞬のことで、自分がなにをしたのかもわからなかった。
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「和泉さん…」
鼻にジャムをつけている秋斗は、少し怒ったように俺の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「ジャムはこうやって取るんだよ」
秋斗の甘い吐息が顔の近くに放たれる。まるで猫のように、唇を手繰り寄せ唇でジャムを拭った。
「クソガキ」
軽く触れた秋斗の唇の感触に、俺は激しく動揺し黙ったまま運転席に座り直す。
『なんの冗談だ』そういって、頭を小突けばよかったのか。それとも、『寝ぼけてるのか』と笑えばよかったのか。ただ、胸の動悸がおさまらず、秋斗の顔も見れないまま黙るしかなかった。
秋斗が俺に好意を持っているような態度は、今日が初めてではない。シャワー浴びてりゃ勝手に入ってくる。張り込みでホテルに入れば「1人で眠れない」といってやたらと密着したがる。この他にもあげればキリがない。
秋斗を横目で見ながら、あれこれ考えていると心拍数が下がらなくなる。
「ねぇ、和泉さん。何考えてるんですか」
「……」
「あ、なんかエッチなこと考えてたりして。和泉さんってSっけあるから、あんなことやこんなこと車内でやったらどうかなーとか?あ、想像したら、めちゃくちゃ萌えるかも。ねぇ、黙ってないで返事ぐらいしてくださいよ」
秋斗の口から捻りだされる、皮肉には不似合いな、震えたような泣きそうな声に、俺の体は無意識に反応する。起き上がろうとした秋斗を抑えつけ、口についたジャムを、親指でなぞるように絡めとった。ジャムをぺろりと舌でなめとり、そのまま秋斗の唇をなぞる。何をされているのかわかっているのか、わからないのか秋斗の潤んだ瞳は俺を凝視したまま動かない。
「さっきまでの勢いはどうした、ガキ」
指を唇に這わせながら、ゆっくりと口内に滑り込ませる。秋斗はジャムのついた指をなめ、俺を真っ直ぐ見た。
「さっ、お遊びはここまでだ。秋斗用意しろ、突撃する」
「……ドS」
「なんか言ったか」
秋斗は悔しそうに唇を噛む。
「噛むな。あとで嫌というほど嚙んでやる」
「その前に、キスしたい」
まったく、こいつといると調子が狂って仕方がない。
「我慢しろ」
秋斗は、俺にしなだれかかるように体を預ける。耳元に唇を近づけると、こう言った。
「約束ですよ」
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なんなんだよ、調子が狂う。ついこの前までは、俺がちょっかい出すと戸惑ってオロオロしてたくせに。ああいうのは反則だ、あんな和泉さんは知らない。
大人の余裕見せれば、俺が怯むとでも思った?和泉さんは、俺がいつから好きか知らないだろ?あなたに近づきたくて、俺の存在を焼きつけるために努力したことも。
公安部に配属になって、和泉さんの姿を見かけた時、俺がそんなに動揺していたこととか。和泉さん、俺さ、あなたがどんな遠くにいても見つけられる自信ある。どんな姿でも、絶対。
和泉さんが無線で作戦の打ち合わせをしているのを見ながら、きれいな横顔を見ていた。
「どうした」
さっきの官能的な遊びを思い出し体が熱くなる。早くこの熱を下げないと、俺が俺じゃなくなってしまう。
「キスしたい」
その腕で俺を抱きしめて、キスして俺の熱ごと奪ってくれよ。和泉さんは困ったような顔をして、長い指で俺の頬を撫でる。
「我慢しろ」
目をつむり、一呼吸おいて大きく深呼吸する。俺は和泉さんに少し体を預け、首筋に唇を寄せて囁く。
「約束ですよ」
重ねた体から、和泉さんの体温を感じた。危険が迫るほどに、この体は熱を持って熱くなる。今は感電したように、少し違う熱を帯びているはず。この体に残る熱を、あの人で冷やしたい。拳銃を放つ時と同じような興奮が俺の体を駆け巡った。
今は任務に集中しろ。あいつらを追い詰めて必ず仕留める。目をつむり気持ちを落ち着ける。沸騰しそうな体温も気持ちも、ほんの少しの時間抑えればいいだけだから。
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秋斗が呼吸を整える。そうだ、ここからは失敗は許されない真剣勝負の時間だ。何人もの仲間が、あいつらのせいで戦線離脱しただろう。思い出すだけで怒りがこみあげてきた。
「こっちは配置が完了した。お前らを援護する体制も整った。いつでもいけるぞ」
無線から足利さんの声が聞こえた。タイミングの取り方を間違えれば、それは死に繋がる。無線からも緊張感が伝わってくる。
「いつ出るんですか」
「俺が合図したら出ろ、いいか、いいって言うまで出るんじゃねぇ」
俺は体を低くして、ゆっくりと車のドアを開けた。
「足利さん、俺が車から飛び出したら、一斉に突撃に入ってください」
「わかった。和泉、無茶するな」
「今日は必ず仕留めます」
「秋斗、用意はいいか」
「いつでも、どうぞ」
「いいか、俺が合図するまで、絶対に出るな」
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「あー、もう。わかってますっ」
大きな手が俺を引き寄せるのを、俺はスローモーションのように見てた。行動とは裏腹に優しい口づけは、瞬間、俺の思考力を鈍くさせる。呆気に取られる俺を、助手席に残して和泉さんは車のドアを蹴り飛ばし外に飛び出た。
「くそっ」
渇いた音の銃声が耳に入った瞬間、俺はけん制されたのだと理解する。俺が飛び出さないように、自分が盾になるつもりだと気づいた。
「秋斗こいっ!」
その声を聞いて俺は車を飛び出して走る。この足に羽が生えていたら、すぐに和泉さんの側に行くのに。もどかしいくらいに障害物が多く、大きな背中に追いつかない。
俺の目が和泉さんをとらえた瞬間、大きな銃声が闇夜に響いたーーーーー。