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朝の十分作文✏️埋め立て地

埋め立て地に住む人の
気がしれない。
ながく ながく
そう思っていた。

幼少の時、
田んぼだった土地を
地主が売り払い、
その場に建売住宅ができた時に
親が言った。

「あんな地盤の緩いところに
家を建てて大丈夫なのか」と
心配していた事が
根深く私の構成要素として
刻まれたことが原因かと思う。

親のせいではなく
自分の捉え方でそうなった。

🏖️

それから何年も経ち
一昨年から
埋立地ではないが
憧れだった、「海ぞい」に
引っ越してきた。

海は
レジャーで行かなくば
見られない土地に住んでいたから
私にとっては
特別な場所。

🏖️

住む場所が変われば
遊びに行く場所も
変わる。
自然、彼の地
「埋め立て地」に建立された
商業施設へ足を運ぶことが
多くなった。

そこで思いが変わる。

この開放感
たまりませんな。

だだっ広い土地に
どこまでも開いている高い空。

モノレールなど
同じ高さになければ
カーテンを開け放したままでも
景色を楽しみながら生活できるし
視界が良いだろう。

本土のマンションやら
ビルやらが乱立する
ほとんどのところでは
なかなか味わえないヨ。

🏖️

いいなあ。埋め立て地。
すっかりファンになった。

たしかに津波や地震はこわい。
水質やら何やら
住んだら何かしら
あるだろう。

家がいくつも持てるならば、
埋め立て地も候補だ。

🏖️

おかしいのは
何かあった際、
「別宅に移ればよい」
と考える自分がいること。

その「何かあった際」では
「自分は死なない」事が
大前提であるところが
ハッピー回路で
問題だ。

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