母親

帰省中にゆっくり母親と話す時間があって、いろいろ話したんだけど、心地よかった。
生きてきた時間が違う。世代が違う、住んでる場所が違うから、普段見ているものも当然違って、でも目線はやはり同じようなものを見据えている感覚があって・・・。
田舎に住んでる親世代と話が合うだろうかとか思ってたけど、世界に対する姿勢とかはやっぱり母親譲りなのかなって。そんなもん遺伝すんのかよとも思うけど、まあ、そう思ったって話。

「お前、そんなんで仕事なくなったらどうすんだよ」
飲み屋のおじさんの言葉
「いざとなったら、田舎帰って畑でも耕します。」
僕の言葉。笑いを誘う調子で話してるけど半分本気。
「じゃあ親が死んだらどうすんだよ」
笑いながら責めるおじさん
「親が死んだら俺なんてどうなってもいいでしょ」
お酒の勢いで出てきた僕の本気の言葉。
自分でビックリした。
そうなんだ。
親が居なくなったら、俺、けっこう本気で、生きるのどうでもいいんだ。
生きる理由、親なのか〜ってびっくりした。

薄々気付いてたけど、自分で恥ずかしいと思ってたことを今年に入って初めて口にした。
「愛されたかったんだ。母親に。愛されてなかったわけじゃない、もちろんそんなわけないけど、もっと愛されたかった。けど、子供ながらに母親にそんなこと言えなかった、言える状況じゃなかった。辛い思いをしてる母親をただ困らせるだけだから。母親を救いたかったし、守りたかったし、愛されたかった。」
そんなことをぼんやり心の奥底に秘めながら、ただ自分の無力さから目を背ける子供時代でした。
恥ずかしいのは、なんかの物語の主人公みたいだから。男が描く男の物語で自分というものを突き詰めていくとだいたい母親って存在に行き着くのが、なんか、ね。
けど、結局それみたいです。
俺の行動原理。たぶん、そう。
この文章、母親には見せづらいよね〜。どう思うんだろ〜。

Twitterの固定ツイートを「性暴力に反対します」みたいなやつにしてるんだけど、「ボケなのかな?」と思われてるらしくて、
まあそういうコミュニティに属してたし、その頃の自分のキャラとは乖離してるし、そういう価値観の人からそう思われても仕方ないかなとも思うけど、なんか、
「こっちは生きたくもねーのに、生きる意味とか信念探して必死に生きてんだよ!」
みたいなことを思った。から、上記のことを思い出して、書いた。
あ、やっぱり母親には見せづらいな。これ。

一時期、お笑いを頑張ったけど、自分は結局お笑いには救われなかったって文章を書きたいと思ってるけど、書けてない。
コメディとか今後もやっていくと思うけど、なんていうか、逃げて縋った先がお笑いだったけど、結局逃げてただけだったなぁって。前には進めてなかったのだと振り返って、思う。

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