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自分が一番苦しいと感じるのはエゴだ?

ほとんどの人が、自分が受けた痛みこそ最も酷い痛みだと感じる。
ちょっとした行き違いや手順の間違いがあっただけで、世間から拒絶されたように感じてふさいでしまう。

 自分に降りかかって来た災厄(さいやく)や病気や事故を世界でもっとも酷(こく)なものだと感じるのは、自分を中心に物事を考え価値づけているからだ。だから、他人が蒙(こうむ)る災厄を「それくらいのことでおおげさに・・・」と軽視(けいし)し、本当にそのように感じるのだ。

・災厄=日本語の言葉であり、一般的には災難や不幸な出来事を指します。これは、自然災害、災害、あるいは人為的な出来事によって引き起こされる悲劇的な状況を指すことがあります。例えば、地震、洪水、台風などの自然災害や、戦争、テロ攻撃、疫病などの人為的な災厄が含まれます。

言葉の使い方は文脈によって異なりますが、一般的には困難で厳しい状況や試練を指すことが多いです。この言葉はしばしば、災厄が個人や社会全体に影響を与える場合に使用される言葉の意味です。

・蒙る=日本語の動詞で、「受ける」や「被る」などの意味を持ちます。以下はいくつかの用例

  1. 知識を受ける: 例えば、「知識を蒙る」という表現は、ある知識を学ぶことや受け入れることを指します。

  2. 加害を被る: 「被害を蒙る」という表現は、何かしらの害や損害を受けることを指します。例えば、自然災害や事故による被害などがこれに該当します。

  3. 寵愛を受ける: また、「寵愛を蒙る」という表現は、特別な愛情や世話を受けることを指します。

この言葉は、状況や文脈によって異なる意味で使用されますが、基本的には何かしらの影響や作用を受けることを表します。

軽視=他者や物事を軽く見なすこと、あるいは軽んじることを指します。これは、相手の価値や重要性をあまり考慮せず、軽い気持ちで扱うことを示します。軽蔑や無視に近い意味合いもあります。

例えば、他人の意見や感情を軽んじる行為や、重要な問題に対して軽率に対処することが軽視と言えます。言葉や態度で相手や物事を軽んじる場合もあります。軽視はコミュニケーション上の問題や人間関係の悪化を引き起こすことがあります。


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