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違いを受け入れること

みなさんこんにちは
残暑の候、いかがお過ごしでしょうか。
私は、暑すぎて溶けそうだし、大気は不安定だし、早く秋が来ることを願う毎日です。(なにせ雷恐怖症ですから笑)

さてさて、ようやく試験系がひと段落しまして。
noteを書いています。
私も彼も大学院入試には無事に合格し、教員採用試験も一次試験に合格しました!先日二次試験を受験し、結果待ちです。

ということで、塗り絵をしたり、買ってから一年経ってしまったジグソーパズルを進めたり、クレヨンしんちゃんの一番くじをやったりと、
好きなことを好きなだけさせてもらっています笑

さて、最近の恋人との関係はというと、、、
良きですね、大変に。
7月の末にうなぎ事件がありましたが(それはまた後で…)それ以降は全く喧嘩という喧嘩をしていません。

これには大きく私の振る舞い方が関係していると思います。

うなぎ事件。
ここでは詳細は省きますが、カッチーーーンっていう内容だったんです、本当に
今まで、ふたりの喧嘩はふたりの問題であって、ふたりにしかわからないことも山ほどあるから、喧嘩の愚痴とかあんまり言わないようにしていたのですが、
今回ばかりは母親にも愚痴ってしまいました。
たぶん、というか絶対恋人が100悪いような言い方していましたが…
まぁいいんです、こちらとしては言えたこと、聞いてもらえたことが大きいのですから。
それで、私はこの母との会話の中で、学びました。

人付き合いは妥協だ。どこまで許せるかだ。と。

私はいつも不思議に思っていました。
なぜ母と父はこんなにも喧嘩をしながらいつまでも一緒にいるのだろうと。
そんなにムカつくならさっさと別に暮らせばいいのではと。
でも一緒に住んでいるのですから、何かしらいいところがあるんでしょうね。
そっかそっか、こういう人だったと思わなければやっていけない。と笑いながら言っていました。
でもきっとそういう人だと思えるのは、相手を妥協することができているということなんでしょう。そして、それ以上に一緒にいる理由?面白さがあるんでしょうね、娘の私には分かりませんが笑

友達や知り合いなら、自分と違う、自分には理解できないことがあったとしても
割り切れる自信があります。
でもそれが恋人になると違う。
自分を好きになってくれた人だから、自分が好きな人だから、
なんでも自分の思い通りになると、自分と価値観が100同じだと
思ってしまっていました。
でもそんなことない。
違う親のもと、違う環境で育ってきたんだもの、自分のこと全部なんか理解してないし、自分も恋人のことを全部なんか理解していないって気づきました。

それから、何かあっても
なるほどね、あなたはそう考えるのね、と、妥協ではなく笑、
受け入れられるように、認められるようになりました。
(譲れないところは譲りませんが笑)

違いを認めるってこんなにも身近にあったものかと、
そして自分は違いに日々触れ合っているものの、認めることはこんなにも難しいものなのか、と学びました。

これからまた忙しくなりそうです。
でも恋人とは今後も一緒に時を刻みたい。
だから、ふたりでお互いの違いを楽しみながら、少しずつ受け入れていきたいと思います。
またnoteも更新します。

みなさま、お身体には気をつけて。


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