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『マルチバース』という劇薬

 みなさんは『マルチバース』という概念をご存知だろうか?

多元宇宙論またはマルチバースは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説である。多元宇宙は、理論として可能性のある複数の宇宙の集合である。

(Wikipediaより抜粋)


 可能性のある複数の宇宙の集合――なんて格式張った言い方をしているが、要するに"もしもの世界"であり、"パラレルワールド"のような概念と相違ない。皆さんも一度はドラえもんの『もしもボックス』のエピソードを見たことがあるだろうから、なんとなく想像は出来るだろう。

 さて、この『マルチバース』という概念だが、近年は国内・国外を問わずにあらゆる創作で濫用される傾向にある。

 

現在のMARVEL映画
日本のマルチバースアニメ。傑作。


 世界で最も売れている映画シリーズはマルチバースサーガなんてのをやっているし、日本の漫画・アニメ・映画でも頻繁にマルチバースは用いられる。読者諸兄にはあんまり具体例がピンとこないかもしれないが、日本の作品の場合は、マルチバースという単語は使わずに『パラレルワールド』とか『もう一つの世界』とかそういうワードで出てくることが多い。

 筆者的には具体例を出そうと思えば無限に出せる――というかむしろ長寿作品で『パラレルワールド』のような概念を使ったことのない作品の方が少ないぐらいなので、それについて長々と羅列していくことも出来る。
 が、しかし、別にそんなふうに個々の作品を攻撃したいわけではないのでここではあえて名前を出さない。

 もうここまでで察してる方も多いかと思うが、私は『マルチバース』という概念が好きじゃない。先程、私は"濫用"という表現を持ち出した。これは非常にマイナスな意図を帯びたチクチク言葉的な表現である。  


 何故、私はマルチバースが好きではないのか? それには大きく3つの理由がある。


①サプライズ最優先になる。



↑歴史を変えたサプライズゲスト映画


 "サプライズ"とは字の如く驚きの展開を指す。
 例えば
 ――――過去に打ち切られた別の映画シリーズのキャラクターが『マルチバースからやってきたヒーロー』として出てきたり。
 ――――仲間たちが恐るべき敵によって全滅!しかし、それはパラレルワールドの出来事。この未来になるのを防ぐために生き残ったキャラが過去の世界へ!的な展開をやったり。
 ――――パラレルワールドには2つの地球が存在していて、それらが接近。融合しかけてお互いの世界が崩壊し始めたり。

 皆さん、正直に言ってほしい。今、例として挙げたこれらの展開にバリバリの既視感があるのではないだろうか?
 『パラレルワールド』『マルチバース』という概念は、もはや驚きの展開をやるための布石でしかなくなってきている。そして、近年はもはやそのサプライズが既定路線と化している。
 海外映画は一番上のパターンだ。過去作品のオリジナルキャストを呼んでサプライズ! こればっかりだ。スパイダーマン、ドクター・ストレンジ、フラッシュ、スターウォーズ、ジュラシックパーク、インディージョーンズ。とにかくサプライズゲストを呼びまくる。
 そしてそんな懐かしのヒーローを見た海外のムービーナード達は拍手喝采感涙雨あられ。ディ○ニーもワー○ーもニヤニヤ。
 これが現代のスタイルだ。

 上から二つ目は日本の創作物でよく見るパターンだ。ぶっちゃけ、もう『悲惨な未来を変えるためにやってくる未来人』は飽和状態だ。どんだけ希望がないんだよ未来は。現代が未来人でパンクしちまうよ。

 ここまでボロクソに言ってきたが、サプライズをするだけならなんの問題もない。むしろ大歓迎だ。驚きの展開はあったほうが楽しいし、物語にも緊張感が出る。"既定路線"なんて言ったが、それは"王道"とも言い換えられる。それそのものは物語を盛り上げる素晴らしいスパイスだ。

 が、近年は『サプライズ』がメインになりすぎているように感じてならない。
 もはやヒーロー映画なんかは、どのキャラクターがサプライズ出演するかでしか話題にならないレベルになってしまっている。

 これは恐らく『スパイダーマン ノーウェイホーム』の影響なのだが、この作品の功罪については後々述べるとして、次はこの"サプライズゲスト"が齎す悪影響について語ろう。


②どんどん内輪ノリになっていく


サプライズゲストは良いんだけどさ……


 サプライズゲストを続けていくとどうなるか?
 それは、極々当たり前の誰にでも想像できる末路を辿る。

 出す人がいねぇ!


 そもそも映画に出てきてサプライズになるキャラクターなんてのは中々居ない。圧倒的な知名度と人気がなければ、出てきても「誰?」もしくは「ほ〜ん」で終わってしまう。どんなに人気を博したコンテンツでも精々居て2〜3人だ。 
 そうなると、多数のファンに受けるのは諦め、より先鋭化した(オタク向けの)ゲストを出すしかない。
 こうして、どんどんと内輪ネタだらけの映画と化していく。往年の古参ファン以外はさっぱりのゲストキャラクターが我が物顔で現行シリーズにお邪魔してきて、堂々と闊歩する。残念ながらそんな映画も多い。

 『ザ・フラッシュ』は素晴らしい映画だったが、このサプライズを全面に押し出したマーケティングは本当に好みじゃない。
 ニコラス・ケイジのスーパーマンなんてのはその極致だ。

 分からない人のために、どういうものか解説すると、
 25年前、撮影開始前に残念ながら頓挫してしまった映画の計画があった。それはニコラス・ケイジを主演とした『スーパーマン』の映画だ。これはコアな映画ファンだけが知っているような知る人ぞ知る幻の映画であった。
 そんな誰も見ることができなかったニコラス・ケイジ演じる幻のスーパーマンが、なんとサプライズゲストとして/別の世界のスーパーマンとして『ザ・フラッシュ』に登場したのだ!

……………で?


 こんなもん、ごくごくごくごくごくごく一部のオタクしか理解できないし喜べないだろう。
 昔に公開して大ヒットした映画の主人公がカムバック!とかなら分かる。しかし、そんな映画の裏話みたいなほんの一部のオタクしか知らないようなキャラクターとも言えないナニカを出して何になると言うのだ。  
 無論、この映画は彼がそういうキャラクターである事を知らなくても楽しめるような作りにしてはある。
 しかし、インタビューなどを見るに、事実として制作陣は『こういうサプライズしたらウケるやろうなぁ……w』という意図のもとでこのキャラクターを登場させているようだ。
 
 ファンサービスと言えば聞こえは良いが、実態はひたすら内輪ノリでしかない。

貴方は東方Project最新作に冴月麟が出てきたら嬉しいか?

『東方Project』の幻の没キャラ

貴方はONE PIECE最新話に没になった麦わらの一味の初期案キャラクター達が出てきて嬉しいか?

麦わらの一味の没案


 よっぽどのオタク以外は「誰だよ」とか「へぇ〜」としかならないはずだ。
 その例外のオタクだって、「没キャラが本編で流用される」というシチェーションが好きなだけで、別にそのキャラクターが好きなわけではないだろう。
 そりゃそうだよ。だって没キャラに愛着もクソもねぇもん。

 没キャラを全面に押し出すとはこういうことだ。

③なんでもアリになる


 マルチバースはなんでもアリすぎる。『別の可能性の世界』なんてやりたい放題できるじゃないか。
 最強の敵が居たとして、その最強の敵を倒せる別次元の別の可能性の自分を連れてくれば良いだけだ。 
 地球が滅んだって、宇宙が滅んだって、別の宇宙は無事だからそこから干渉可能。 
 恋人が死んだって仲間が死んだって恩師が死んだって、簡単に感動の再会ができる(その時はだいたい、「この人は私の世界のあの人じゃない」みたいな展開もセットだが)

 なにかしら強い制限がないと物語に緊張感がなくなる。それマルチバースで解決できるよねとなってしまうのは面白い物語とは言えないだろう。

 以上が私が『マルチバース』という概念が嫌いな理由である。



 さて、そんな『マルチバース』だが、必然性を持って物語に組み込む方法がある。
 それは「主人公に別の可能性を見せ、自己を見つめ直させる」というものだ。こういった展開は主人公の成長の糧として扱われ、非常にユニークなモチーフとして機能している。
 こういう扱い方なら、私のような逆張りオタクも素直にマルチバース展開を楽しむことができる。物語としての完成度を上げるスパイスなら積極的に使うべきだろう、とすら思っている。

 その例として、①サプライズ優先②内輪ノリ③なんでもアリの三要素を持ちながら、マルチバースに必然性を持たせた映画がある。私はその映画が今でも大好きである。



 そう、それこそが先述の映画『スパイダーマンノー・ウェイ・ホーム』!


本日二度目


 この映画は功罪が凄まじい。
 この映画のせいで現代のサプライズ重視の風潮が生まれてしまったし、この映画のおかげで高品質なマルチバース映画が生まれたと言える。

 そんなスパイダーマンノー・ウェイ・ホームは本日(11月10日)のよる9時から地上波初放送!

 いますぐ録画しよう!

 

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