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自転車とアレコレあって、成長した


自転車とは、何かとぶつかった。

私は自転車に乗れない。

今は、あえて乗らないという選択をしている。

以前の私は自転車に乗れない事を、ただただ恥ずかしいことに感じ隠していた。
家は、祖母、母、私と代々続き自転車に乗れない。
祖父、父、兄は乗れる。
心のどこかで、女は自転車に乗れなくても良いと思っていた気がする。

では、自転車に乗る練習を全くしていなかったのか? というと、そうではなくて練習は祖父や兄が何度も長い時間をかけて教えてくれた。
しかし、一向に乗れる気配がなかった。

その頃の私に「自転車に乗れるようになりたい!」と強く思う心がなかったからだ。

兄は最後に「自転車に乗れなくても、大人になってから免許をとって車に乗ればいい」と言った。
その日から自転車の練習はしなくなった。

教えてくれた事への感謝と乗れなくて申し訳なさと、もう練習をしなくてもいいという喜び、色々な感情がグルグルした。
そして大人になった今、車の運転にも全く興味がなく免許を取らなかった。

 保育園の頃、仲良しのT君の家に結構な頻度で遊びに行った。
T君からは、いつも粘土のような香りがした。
私からはきっと、猫の香りがしていただろう。

T君が絆創膏をしていたとき、大きな蜘蛛に噛まれたと話してくれた思い出がある。
なのでしばらく大きな蜘蛛に怯えた。

思い出の中のT君の家はいつも薄暗く、あと部屋の間取りも珍しい感じだった。
T君のご両親はとても静かな方で、T君もおとなしいタイプの子だった。
(私や何人かの友人たち以外の前では)
当時の私にはとても居心地がよかった。

まだT君の家がそのまま残っているなら、もう一度みたい。

そして、その日は急に来た、いつもはT君の自転車にあるはずの物がなく、大騒ぎしてしまった、あれがないと私は自転車に乗れない。
あれがあるから、楽しく自転車で遊べていた。

その時は、まだ自転車と友好関係だった。

祖父の自転車の後ろに乗ってどこかに行くのも好きだった。
(中学頃まで乗せてもらっていた)

補助輪は私と自転車もつないでいた。

しばらくは私が来るときは、補助輪を付けてくれた。
けれど、私のためだけにつけてもらうのが、子供ながらに申し訳なく思い自転車で遊ぶのをやめた。
T君は、いつも私と同じぐらいのレベルだと思っていたのに、急に私をおいて、大きく成長をしてしまったように感じ寂しく、つまらなく、そして自分を恥ずかしく思った。

 小学生の時には、高校生のお兄さんの自転車にぶつかった。
お兄さんは彼女らしき人と自転車を押しながらだったか、ゆっくり乗りながらだったか(どちらか忘れてしまったが)進んできた。
私もお兄さんも、お互いに避けようとして、私はアクティブに自転車にぶつかって、すっころんだ。
私のことだ、きっと予想外の動きをしたのが原因だろう。

お兄さんとお姉さんに、すごく心配され、お姉さんはお兄さんのことを軽く責めていた。

私の不器用さが招いたことなのにと、恥ずかしくなり
「大丈夫です」 と言いその場から逃げた。
あの時どこに向かっていたのか覚えていないが、家とは正反対の道だった。

それからは自転車に乗った人にも、またぶつかるのじゃないかと、おびえていた。
歩いている人にさえ、ぶつかりそうになるのに。

 小学生になると当たり前のように、周りの友達は、いつの間にかみんな自転車に乗れていた。
私が自転車におびえているうちに。

 大きな公園に、自転車の見た目をした、一人または二人でレールの上を、ただペダルを漕ぐだけでバランスなど必要としない乗り物があった。
それさえ、自信を持てず乗るのがこわかった。

 いつも私をいじめてきたRちゃんが、一度だけ私に自転車の乗り方を教えてくれたこともあった。
何かの気まぐれだったのかもしれない。
その日はいじめられなかった。

 中学になると、自転車に乗れるのが当たり前のことすぎて、「自転車に乗れる?」などの質問はされない。
なので、私も自転車に乗れる奴だと認識されていただろう。

みんなで遊ぶ時は自転車で行くであろう場所には参加せず、電車で行く場所を選んで参加した。

 通っていた中学では一年に一度、地域の大掃除があり、
その年は学校から自転車に乗って掃除場所に向かうことになった。

それを聞いてから、何度も休みたいと思いながらも、成績が悪いが真面目な私は休まなかった。
当日、自転車のヘルメットだけは自慢げに持ってきた。
(兄が中学の時に使っていたもの)
先生にヘルメットを忘れず持ってくるように言われたので持ってきたが、もしかしたら私は持って行かなくても良かったんではないかと、今でも思う。

友達に自転車に乗れないと言えなくて、「うちの人が使っててない」
(そもそも私の自転車はない)と言うようなことを言った。

自転車がない生徒や乗れない生徒は先生のとこに集まった。
予備の自転車が何台かあり提案されたが、先生には覚悟を決めて、乗れないことを伝えた。
私と何人かは先生の車に乗り現地に向かった。
その時誰と一緒だったか、もう覚えていない。

そういえば、最近はあまり聞かなくなったが、自転車のことをケッタと言った。
ケッタが方言だったと知ったのは大人になってから。

 高校は電車で通った。

大人になり仕事先もなるべく駅に近いところを選んでいた。

駅から離れた職場で働いたときに、駅から歩いてきていると言ったら
「家に使ってない自転車あるから使う?」と、自転車トラップが発動される。
「歩きたいので大丈夫ですよ」と答える 。

 大人になり、「免許をとらないの?」 と色々な人に聞かれた。
自動車の免許がないことは、自転車に乗れないの? より全然恥ずかしくなかった。
けれど、聞かれるとあまり気分は良くなくて、
何気ない質問で、そこに悪意がないのはわかるが、モヤモヤした。

私はこれを「免許をとらないの? ハラスメント」と名付けた。
(略して免ハラ)
コレは、もしかしたら、同じように感じている人がいるのでは? とネットで調べたらやはり免許ハラスメントはあった! 
仲間を見つけたように嬉しくなった。

「免許ないんです」と、みんながいるときに、まとめて発表したいと毎回思う。
最近は人に会う回数が減り、そもそも聞かれない。

 23歳頃、ひとり暮らしをしたら急に自転車の練習をしたくなり、購入することにした。
場所はデパートに入っていた自転車屋さん
キレイな色の自転車を選んだ。
「高さの調整しますので、一度乗ってみてください」と自転車屋のお兄さんは爽やかなハッピースマイルで言った。

固まる私。
とっさに、「あっ、あっ、これ、プレゼント用の自転車で……」と、ごまかした。
きっとバレていただろう。

自転車と一緒に歩くことはできるようになった、まるで散歩している気分になった。
重い荷物があるときにも助かった。
仲良くなれそうだと思ったが、関係に進展はなかった。

しばらくして、その自転車は父の勤めていた会社で可愛がられることになった。

 それから、何年もたち自転車とすっかり縁もなくなった頃、とあるチェーン店で働いていた。
そこそこ離れた場所に新しい店舗がオープンする、離れてはいるが、うちの店舗が一番近いので、しばらくの間、毎週土曜日に、スタッフ4人が交代で応援に行くことになった。
駅からお店までは歩くと距離がある。
なので、部長が自転車を用意してくれた。
これを使って行ってねって。

自転車と接点のなかった生活を何年もしていて油断していた。
いつも油断した頃に自転車トラップにかかる。

だが、土曜日なのは私にとって、かなりの幸運!
自然な流れで
彼が土曜日休みで、送ってくれることになり自転車は使わないこと伝えた。
万が一彼が土曜日に仕事になっても問題はなかった。
その時は早めに行き歩くつもりで、前もって駅からお店まで歩いて確認していた。
無事に完璧な計画で自転車トラップに勝てた。
(彼は今の夫)

 一度パートのお姉さんに「自転車に乗れなさそう」とズバリ言い当てられビックリしすぎて、なんて答えたか覚えていない。
顔に出ていたのか、普段から自転車に乗れなさそうな顔をしているのか、雰囲気やオーラが出てしまっているのか、他に自転車に乗れない誰かと重ねていったのか? もしそうなら、自転車に乗れないタイプの特徴などあるのか知りたい。

 たまに、自転車に乗れないキャラクターや人を見たり知ったりすると、勝手に親近感がわいた。
大抵が、乗れるようになるので、少し切ない気分になるけれど、ご卒業おめでとうございます! と祝う。

 長崎県は坂が多いから自転車に乗ることが少ないと聞いて、憧れの地
にしていた。
兄はその憧れの地に今住んでいる。

 結婚をして、夫が自転車を購入して、私に自転車の乗り方を教えてくれることになった。

この自転車の練習に嫌な気持ちはなく、今までで一番楽しく練習した。
何度も練習をしていくうちにコツを掴めた気がした今までで一番乗れるようになった。
「ヤッホー! コツを掴めた!」と大はしゃぎで練習をしたとき、突然すっころんだ。
私の上には自転車が乗っかかり、倒れた自転車は思ったよりも重くて驚いた。
夫は薄ら笑いを浮かべながら、私を助けてくれた。
夫の自転車にキズをつけてしまい申し訳なく思った。

大げさなほど痛々しく、私の膝はケガをした。
その時に使った、キズパワーパッドの力は凄かった。
そこから愛用している。
直ったら練習を再開すると言い、今に至る。

 もう、ありのままの私を愛することにした。
今、聞かれたら、誇らしげに長所を説明するように伝えます。
「私は子供の頃から自転車に乗れません」
そうすると、それを聞いた人は
「まぁ! 大人で自転車に乗れないなんて、なんて貴重な存在なのかしら! 素晴らしい」と言って拍手され、もてはやされると予想される。

多くの誰もができることを、出来なくても時には素晴らしくもあると思う。
それさえもネタにして、受け入れたら心が軽くなった。
これからもどんどん、受け入れたくないことに出会ったとき、それと向き合い、考えて選択して、それを受け入れ認め楽しみながら心楽に生きよう。

ありがとう自転車。


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