ツツジがいっぱい咲いているらしい
今年はツツジがいっぱい咲いているらしい。
もしかしたら、咲いて「いた」というのが正しいかもしれない。昨日にはもう地面にピンク色が落ち始めていた。
6月のはじめあたりに、Twitterで誰かが「今年のツツジはすごい」みたいなことを言っていた気がする。リプ欄で「今年のツツジはすごい」「ですよね!今年すごい!」みたいな会話を見た覚えはある。
それからツツジに注目するようになったのだけど、何がどうすごいのかは頭からすっぽり抜けてしまっていて、「あ~たしかに頑張って咲いてるな~きれいだな~」ぐらいの感想しか抱けないまま、落花の時を迎えてしまった。
今思えば、「今年のツツジの開花の勢いがすごく良い」「開花が早い」みたいな話であって、咲き方や量の話ではなかったような気もする。
「落花狼藉」という四字熟語があるらしい
今、花の落ち始めってなんていうんだろうと思って検索してみたら、検索結果に「落花」が出てきた。こうやって語彙を増やしていきたい。
それで、今度は「落花」を調べてみると、Googleの辞書ボックスの用例に
と出てきた。
私にとって、「落花狼藉」は音だけ聞いたことあるかも~(ないかも)程度でしかない。
私は、本はほとんど読まず、現代文単語帳はサボる、そんな中学・高校時代を過ごしたので、語彙の量に自信がない。思っていることを言葉にできない悔しさに、未だ母語使用時ですら涙を流すのだ。しくしく
四字熟語を知る辞典の情報欄に、「飯間浩明編」とあった。この方、Twitterでフォローしてる!こういう偶然、ありがたうれし~!去年のいつか、辞書に興味をもった時にフォローし始めたんだった。
それはそうと、女性を花にたとえるというのは、かなり納得できる約束事だけど、不思議なもんだな。「両手に花」とか。
誰が最初にそう言い出したんだろう。脆さとか繊細さに共通性を見出したのかな。他言語の文法的性ではどうなっているんだろう。いや、こういうメタファーと文法的性の関係は恣意的なのかな。
ツツジのピンク色は「躑躅色」というらしい。
↓こんな色(このサイト好き)
↓今見つけたこのサイトも好き
もっと長い横文字の名前を想像していたので、そのまんまじゃねえかと思った。
なんで長い横文字を想像してしまったのかと考えると、ふとハイビスカスが思い浮かぶ。
私は、幼い頃、通学路にあるツツジをハイビスカスだと思っていた。ハイビスカスといえば、沖縄とかハワイとか、そういう南国に咲く花だということは理解してはいたのだけれど、「沖縄とかハワイとかじゃなくても咲くんだ~」ぐらいにしか思っていなかった。
そういえば、ツツジってなんなんだ?
世界のどこに咲いているのか、野生なのか、いつ咲くのか、そもそも私がツツジだと思っているのはツツジなのか…?
「ツツジ」の由来
所説ありっぽいけど、総じて素敵~
毒の項目も見てみよう。
ブラッシュアップライフ思い出すな~。面白かったな。
「牛は体重の1%の摂取で死ぬ」!?!?!牛なの?!牛、ネジキ食べちゃったのかな…
真相やいかに。
ちょっと調べたら、牛はネジキを食べようとはしないけれど、無理矢理食べさせると中毒死する、みたいな話もあった。
ツツジに戻る。
!?
今までツツジだと思ってた花、サツキだったりする?!
↓こういうのとか、
↓こういうのとかなんですけど…
じゃあ、サツキとは…?
なるほど。
とりあえず、広義の「ツツジ」がすごいっていうnoteにしようと思います。
これがハイビスカスではないことは分かるからおっけー!
いつもありがとう、Wikipedia。でも紙のデカい図鑑欲しいな~。
ところで、ブロック塀が気になる。
見出し画像、
↓これ、
今年のツツジを写真に収めておこうと思って撮ったのだけど、どうしてもその左にあるブロック塀が気になってしまう。
またTwitterでの話だけど、ブロック塀の多様性を静かに、上品に教えてくれるアカウントをフォローしている。
どんな背景があったのかを考察してくれる(事実かも?)のが楽しい。
こういうツイートを見ていると、この世の中にとんでもない数の人間がいるんだなあって思う。多分私、このアカウントをフォローしていなかったら、何も考えずにブロック塀をスルーしていたし、ブロック塀という単語を繰り返すことなんてしばらく無かったと思う。
最近、何かに気付いてそれを表現することってすごく楽しいことだなと思う。
歌を聞きながら、「あ!そこ歌詞にしてくれてありがとう!」って思うし、なんなら学問だって、無を有にしているというよりは、有を発見してその仕組みを明らかにしようとしてるってことなのかなって思う(知らんけど)。
だから、人との会話やTwitter、大好き(^^)/~~~
3歩進むと何を考えていたか忘れてしまう
書きながら読み返すだけでも分かる。結構話にまとまりがなくて読みづらいかも(^-^;
でも、私の頭の中ではもっと色んな所に飛躍しているし、もっと色んなことをググってる。いつもこんななので、鳥みたいに3歩進むだけでさっきまで何を考えていたか忘れてしまうし(鳥に失礼)、用事があって先生のところに行っても、メモが無ければ頭が真っ白になってしまうという中学・高校時代の苦しみが思い出される。
noteを始めたのは、せっかく考えたこと・調べたことを忘れてしまうのが悲しくて、できる限り書き連ねたいと思ったから。
だから、少し読みづらくなっても、ほとんど自分の記録のためだし、後で読み返したときに、言っていることをなんとなく、私が、分かればいい。
こうやって開き直って生きていけばいいんだ。(サーヤのお母さんヒス構文の発声で)
🌺おしまい🌺
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