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不在という存在感

新型コロナが感染拡大している今、行きたい場所に行けなかったり会いたい人に会えない人は世界中に溢れている。

その分リモートやオンラインでの関わりが増えて時代が一気に変わったけれど、本質的に見つめるべきはそこじゃないと思っている。

人の想いやエネルギーは時間も場所も超える。量子力学的には、私たちが影響し合うのに距離は関係ないことになる。

会っていなくても、関わっていなくても、見えないエネルギーのやりとりは行われているのだ。

私はコロナ以前からあまり人に会わない。友達や誰かに会いたいと思うと「会いたいと思える相手がいること」自体に素晴らしさを感じて満たされてしまうから、連絡しないで終わることが多いのだ。

家で絵を描いたり編み物したり猫と遊んでいるだけで十分人生を謳歌していると思っている私にとって、実際に「会う」のはよっぽどのことかもしれない。あるいは宇宙のタイミングか。

だって大切な相手って、会わないくらいで大切じゃなくなったりしないから。

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BTSのメンバーSUGAが、肩の手術のためにしばらく休養していた。

その間のステージはすべて残りの6人でパフォーマンスしていたのだが、誰かがSUGAのパートを歌ったり、SUGAがいるはずの立ち位置を詰めたりは一切しなかった。

彼の分のスペースを保って踊り、ある時はSUGAが描いた絵を展示したり、雪だるまを彼に見立てたり、AIを駆使して登場させたり、あらゆる方法で「不在」を表現していた。

「SUGA」を表現しているのではなく、SUGAが「いないこと」を表現しているのである。

その結果、SUGAが推しじゃなかった人も彼の回復を本当に願い、彼の復帰を心待ちにするようになった。

それは、そこにある愛を感じたからだと思う。

彼らはあらゆる方法でSUGAへの「愛」を表現し続けていたのだ。

「不在」は、他の誰かで埋めなくていい。そもそも誰かが代わりに埋めることなんてできない。

いつかまた会える時まで「不在」は「不在」のままでいい。

五感を超えて「不在」という存在感を味わうことで、会いたい人の大切さを感じることができる。

その大きな空席にいるのは「会いたい人」でもあり、「自分」でもある。

私たちは今、誰かの「不在」を通して自分自身の愛し方を学んでいる。

コロナが地球にもたらしているのは、そういうことだと思っている。



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