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第6回:ファイナルファンタジーらしさとゼノギアス

●この記事を書く為に参考にした資料●
【ゲームウォーカー 1998 JANUARY No.39】

1日で3回目の記事になってしまいました...。
多すぎるぞ、と感じた方スミマセン。
色々書きたくて、楽しくなってしまいました。

さて今回は、ファイナルファンタジーを定義付ける  FFらしさとは何かについてのお話しです。

"今作ってホントFFぽいよねぇ〜"
"なんかFFぽくないんだよね..."

ファイナルファンタジー好きな人と話すと必ず話題にのぼると言っても過言ではない"FFらしさ"。

みなさんは、どういった要素にFFらしさを感じますか?

実はこれって言語化するのがナンセンスなのかもしれません。というのも、百人十色のFFらしさがあると考えるからです。

FFをプレイしていると言っても、初代から熱心に全作品手を出している人、かたやVIIやXなど何かと話題になる作品をやってみた人、XIVしかやらない人などなど、人にはそれぞれプレイスタイルがありますよね。

したがってFFらしさとは何かをそれぞれ聞いたとしても、中世ベースにSFが混じる、イケメン美女が沢山出てくる、皆でワイワイ楽しめる、と言ったように色々な意見が出てくると思うんです。

なのでFFらしさは人それぞれなんだ、という事に落ち着くのですが、今回のテーマにしている以上は、ひとつの答えを作りたいと思っています。

ファイナルファンタジーの生みの親の1人である坂口博信氏の言葉を借りるなら、"FFらしさ"とは"おもちゃ箱"なのではないでしょうか。

誰もが子どもの頃、おもちゃ箱を見て、ひっくり返してワクワクした時があると思います。その誰もがワクワクする要素を内包している事が"FFらしさ"なのではないでしょうか?

具体的には、
⚫︎剣と魔法とサイエンスフィクション
⚫︎心躍るお話
⚫︎その時代の限界に挑むグラフィック
⚫︎ジャンルに縛られない音楽
⚫︎粋な演出
⚫︎マニアックだが懐の広いシステム
⚫︎基本真面目

私が思うFFらしさとはこのような感じです。
一言で表すなら、

⚫︎なんでもアリ

なんです。元も子もない結論になってしまいましたが、まさに"おもちゃ箱"ですよね。坂口氏は、例えがお上手だなと感じます。

が、そんなおもちゃ箱たるファイナルファンタジーでも許されなかった、ファイナルファンタジーになれなかったFFのお話をして終わります。

それはゼノギアス。

今でこそ確立した唯一無二の雰囲気を持つ意欲作。この作品について私があれこれ語るまでもないでしょう。

さて、そんなゼノギアスの世界観は、もともとファイナルファンタジーVIIの為に高橋哲哉氏によって考えられていたものです。高橋氏は、VIで登場した魔導アーマーの設定を更に推し進めた、言うなれば巨大ロボットが跋扈する機械文明を構想しました。しかし、この構想は、FF独自のファンタジー性に富んだ世界観から極めて逸脱しているとされ、高橋氏はこのアイディアを断念しました。

なぜ、おもちゃ箱であるFFでも受け入れられなかったのでしょうか。ロボットなど過去のファイナルファンタジーにも度々登場していたのにも関わらずに、です。

それは、私の憶測に過ぎませんが、あまりに壮大かつ難しい設定ゆえに、開発陣の大多数に受け入れられなかったのではないでしょうか。

ファイナルファンタジーは、VIまでは基本的に比較的分かりやすいストーリーだと思うんです。それに比べ、ゼノギアスのお話は、とても複雑で、様々な方面の教養がなければ完全に理解する事は難しいと私は思います。

その複雑さが仇となって、ファイナルファンタジーVIIになる事が出来なかったのではないでしょうか。

しかし、その後高橋氏は、projectXとしてゼノギアス開発を始動し、ファイナルファンタジーVIIの2倍の製作期間をもって完成させたのです。

ちなみに高橋氏が、元々ファイナルファンタジーVIIの為に考えた機械文明の設定の一部は、神羅や神聖ソラリス帝国として日の目を見る事になりました。この事からファイナルファンタジーVII以降SF色が一段と強くなったのは、高橋氏のお陰とも考えられますよね。

ゼノギアスも、今ではゼノシリーズとして語り継がれる作品群の記念すべき一作目です。当時、高橋氏の構想がファイナルファンタジーとしては受け入れられなかった事は、ゼノをこの世に生み落とそうとした必然だったのかもしれません。

ファイナルファンタジーを生み出した坂口博信氏、ゼノギアスを生み出した高橋哲哉氏。
お二方には敬意を表します。これからも沢山のゲームを生み出していって欲しいです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!

次回もお楽しみに!

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