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Hygge Table -里山の命をいただくテーブル-

7年目を迎えた、一年に一回の食事会。

Hgyye-居心地がよく、快適でリラックスをした気分を表す北欧のことば。

人と人がつながり、一緒に過ごすことで幸せな気持ちを感じられる橋渡しができたら…そんな想いで<Hygge Table ヒュッゲテーブル>と名付けて、2015年から開催しています。

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シェフは多治見で欧風レストランを営むhoshizumiさん。

私たちが育てた野菜や米を使用して、特別なテーブルだからこそ並ぶ手の込んだフルコースをご用意します。

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その発想力と創造力は鳥肌がいつも立つほどで、華美ではないのにお皿から放たれるオーラ…そう、何か力を放っているようなものに私たちは感嘆し、その深い味わいに言葉も出ないほど。

12席限定のテーブルはいつもすぐにご予約でいっぱいになります。

今年はコロナ禍ということもあり、お席はご予約の組ごとにご用意。

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例年のように他のテーブルの方との交流はできませんでしたが、今回の会では特に参加の方たちと共有したかった、「命をいただく」ということ。

テーマを<里山の調和と循環の真んなかにあるテーブル>としました。

田畑や動物の命の調和と循環…

私たちはこの春から合鴨農法を取り入れ、羊を飼い、山羊を飼いはじめました。野菜や花を育て、にわとりの卵をいただいている。でもさらにその先にもっと多様な動物とともにある暮らしを取り入れていくことにしたのです。

そのなかでも春にヒナでやってきた合鴨は秋には命をいただこう、と家族で決めていました。

約半年の間、外敵から守り、田んぼの草を食べてもらい、子どもたちと追いかけっこをしながら育ててきた4羽。

テーブルの5日前、hoshizumiさんと農夫の手で、その命に手をかけました。

涙が出ました。泣くつもりなんてなかったけど、胸が締め付けられるようでした。

ありがとうとか、かわいそうとか、そんな単純な気持ちではなく…本当に食べるべきなのか、食べるために育てることは必要なのか、そもそもこの合鴨を食べなくても私たちは生きていけるはずなのに。入り乱れる複雑な気持ち。何度も何度も繰り返した問いの向こうに、正解は見つかりませんでした。いや、そもそも正解なんてあるのだろうか。

そんな思いが交錯していても…hoshizumiさんの想いが込められた合鴨のディッシュは本当においしかった。

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お皿から放たれる「ひとつの部位も無駄にしない」という強い意志。食べた人の記憶に必ず刻み込まれるであろう慈悲深い味わい。

こんなにも愛を感じるディッシュは初めてで。それがいわゆる<ストーリー>というやつなのでしょう。

なんて単純なんだろう。おいしくて、おいしくて、それをhoshizumiさんやお客様と共有することがこんなにも幸せなんて。


食べることは当たり前ですが、命をいただくことです。

それ以上でもそれ以下でもない、でも本質が見えにくい。命って見えにくい。第一次産業に携わる私たちですら、命に向き合えばオロオロすることもある。

何が正しい、正しくない、というジャッジメントをするのではなく、ひとりひとりが食の当たり前に気が付き、どうすれば循環が気持ちいいのかを自問自答していくしかないのかもしれません。

ぴりぴりと感じたあの胸のいたみ、食べる必要があるのかと自問自答したことに意味があるのだと、そんなふうに今は思います。

当たり前に食べているものに意識を向けること、今回のテーブルが食に携わる私たちの大きな一歩になったと信じて…。

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