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どんなことをされたとしても、それを使って傷ついたのは、自分。

どんな人も、自分で幸せになれます。
その力はある。
 
私がどんなことをしたとしても、その人が傷つくかどうかはその人の選択。
 
逆もそう。
どんなことをされたとしても、それを使って傷ついたのは、自分。
傷つかないという選択、全て、愛だと見る選択肢も、私たちは持っている。  
変化するのがこの世の中。
全て、無常。
だとするならば、ただ、自然にそって、自分らしく生きて行くことで、誰かが傷ついてしまう(その人の選択なんですけどね)のは、もう避けて通れないと思っています。
 
これから先、人生の中で、たくさんの矛盾、理不尽なこと、苦しみ、痛みがある。
でもそのどれも、そのまま受け入れて、ただ悲しみ、ただ苦しんで行こう。無防備にあろう、その痛みに自分を委ねて行こう。
 
 
悲しいことをただ、悲しむ。
痛みを受け入れただ、苦しむ。
それが本当の強さ。
そう思います。
自然界における植物や、動物のように。
  
誰も悪者にしない。
自分も含めて。
  
傷つくことも、苦しむことも、人生で素晴らしい時間。
命そのもの。
 
自分が傷つくこと、不幸になること、それらを受け入れたので
『誰かを傷つけること』
『誰かを不幸にすること』
にそこまでの抵抗がなくなりました。
それでも幸せになれるって知っているから。
  
もちろん、故意に傷つけることは絶対に違う。
でも、自分の魂を大切にするための選択、行動を、誰かを傷つけないようにセーブするというのは違うんじゃないかな。


 
人生のどの要素も、あって素晴らしい。
全部を受容する。

『あらゆる存在を全肯定する。』
 
そうなった時、傷つく、不幸になる。その概念すら、不確かなものになるんじゃないかな。
だって、それも一過性のもの。
その後いくらでも書き換えられるし、愛に持っていけるんだから。
 

 

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