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こまきさわこ プロフィール  中学編

《さらに深い底が待ってましたっ 》 中学生時代 〜暗黒期〜

小学校では車を校門に横付けされて、毎日1時間半かけて塾に連れていかれていた。夜ご飯は車内でお弁当。山道の中で予習。

車に酔ってもやめさせてもらえず続けさせられる。(これはどうにかして愛されたかった私が、親が喜ぶかと思い、車の中で本を読んで酔ってるのにも関わらず『酔わないんだ〜』と一度言ったことがあるから。自業自得かもしれない。いやいや。自業自得じゃないわ。笑)21時くらいに終わり、帰ってきたら22時半くらい。そこから横で見張られながらの復習。「勉強を頑張れば愛されるのでは?」といやいやでも、頑張る。


ものすごい苦しいスパルタだったが、それでも頑張って私立の学校に通る。鹿児島市内だったので知っている人はほどんどいない。「やっといじめから解放される」と安堵したのもつかの間、その中学校でもっとひどいいじめにあう。

教室でもずっと聞こえるように悪口を言われ続けるので、長いお昼休みはその場に居たたまれず、でも行く場所もなく、そんな一人ぼっちな惨めな姿を見られるのも嫌で、先生にバレて親に言われるのも嫌で(あ、小学生の時に家庭訪問で学校の先生が”さわこさんはいじめられてます”と母に言った。その後母から言われた言葉は一言 ” いじめられる側にも原因があるんだからね ” )トイレに逃げてお弁当。

流石に口に入らない。食べられなくて、でも行く場所もなくて、校内をずっと用事のあるふりをして歩く。人の目が怖い。誰の目からも逃げたい。苦しくて苦しくて、どうにかなりそうだった。

この頃の記憶は断片的にしかない。

そして、トイレご飯から食べられなくなり拒食症発症。一気に8キロ痩せる。(でも嬉しかった。綺麗になったのも嬉しかったし、母から「そのくらいの体型がいいよ」といってもらったから。)

でも、過食症になりそれは一瞬で終わり、リバウンド。毎日炭水化物やスナックなどすぐ吐けるものを胃の中に詰め込み、その後太る恐怖から手を口に突っ込んで吐き続ける、完治するまで10年ほど。毎日10時になると頭が割れるほど痛くなる、ストレスから胃潰瘍など、心身症を発症したのもこの頃。


小学校でも中学校でも通っていた塾や学校以外のコミュニティでは仲の良い友達もでき、先生たちにも期待してもらい、可愛がってもらう。

それが気にくわないいじめっ子たちは『塾では取り巻きつれて・・・』と色々口にしてきたが、一番辛かった体験は、家の近所にあるジェラート屋さんのノート(お客さんが自由に書けるあれです)に『小牧佐和子のイヤなところ100』と称して、ひどい似顔絵とともに、私の悪口を100個書かれたこと。

そのジェラート屋さんは塾の近くでもあり、友達も同級生も先輩も後輩も皆が行くところ。そんなところに見開きで最悪な似顔絵とともに名指しで書かれ、その悪質さにも泣けたけれど、一番辛かったのは仲の良い塾の子や私を知らない人にまで、私とわかるように書かれたこと。その惨めさや屈辱、どうにもできない苦しさ、恥ずかしさ、ショック、そして、その悪口たちを見て「違う!」と言ってくれる人もおらず、自分自身でも「私はこういう人間なのかもしれない。そうなんだ」とはねのけられなかった。

なので必死に涙を堪えながら、その見開きのページを見つからないように破り、折りたたんでポケットにしまって持ち帰った先の家でも、「こんなもの」と捨てることができずに、何度も眺めては「これが自分なんだ。だから嫌われて当然なんだ」と「ちがう。。」と思っていても、その悪口たちを信じて、自分の内側に入れてしまうほど、私には否定される経験が膨大にありすぎ、そして、自己肯定感がなかった。


また、母親に将来の夢を打ち明けたら、喫茶店という場で、さめざめと泣かれたのもこの頃。本当は服のデザイナーだったが反対されるのは目に見えてるので、最初はぼかしてファッション雑誌の編集者にしておいた。笑  話す中で、ちゃんと話さなと思ってきちんとデザイナーって伝えた。

そうしたら「お針子にさせるために今まで育ててきたわけじゃない」と言われ、さめざめと泣かれる。” 自分自身で生きるなんて叶わないし、許されない。自分としていきたいと伝えるだけで、誰かをこんなにも傷つけるんだ ”』と絶望する。

応援されないことも、公共の面前で泣かれたのも、自由がないことも、本当に辛かった。(親に泣かれるって子供にとっては莫大な破壊力ありますね。本当に自分が”あかんやつ”なんやと感じるには十分でした。)


プラス、子供の頃から「みっともない」と言われて育った。

近所の人たちと話している時も「この子みっともないでしょう」と言われていた。そして、毎日のように「そんなに太っていてみっともない」「そのお菓子どれだけ油とお砂糖入ってるかわかってんの?」等言われる。

髪型を好きなのにしても、好きな洋服着ても、「あんたには似合わない。それはスタイルの良い人が着るもの。やめなさい恥ずかしい。笑われてるよ人に」と言われていました。

(いまだに母のセンスじゃないものを身につけてるとみっともないとは言われなくても「おかしい」とは言われます。笑 私、プロのパーソナルスタイリストでしたよー。お客様、ついてくださってましたよー。喜ばれてましたよー。笑)


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中学だけでもこのボリューム。笑

すごいっすね。


まぁ、要は、この時代も

そのままの自分では受け入れられない。

その場にいるだけで恥。

何者かにならないと、愛されない。

頑張ったところで、愛されない。

そしてその ”何者” のレベルは エベレスト 並でした。笑

私の挙動不審レベルも、 エベレスト 並でした。笑


どうでしたか?

さらに重くなりましたね。笑

私がいじめられてたとかいうと、

ほぼ全員「そんな風に見えないっ」とおっしゃいます。

大したいじめじゃなかったと思ってる人も結構いると思います。

んまぁ、別に暴力振るわれたわけじゃなかったし、

ゆーてもそんなにひどくはなかったんでしょうけど、

私のひとりSMみたいな部分もあるしねw


でも、他の要素も相まって、ダメージは相当でした。

瀕死レベル・・・w


また、

子供の頃から大好きなこと、

結局2度目の鬱でその道が断たれるまで、

なりたくてなりたくて仕方なかったもの。

本当に人生かけていたもの。

服のことを考えるとわくわくし、アイデアもたくさん出てきた。

それほど、ファッションデザイナーになる夢は”自分自身”でした。

そして、さきどりになりますか、後の留学先でも、専門学校でも評価はとても高かったのです。

成績も良く、実技もデザインもパターンもAをよく取ってました。

ルミネとのお金が実際に動くプロジェクトのリーダーも任された。(これがきっかけで燃え尽きるんだけど。苦笑)


それを、それほどのものを、

何の正当性もなく、

親の気分で反対されること、

自分自身を大切にされないこと、

自分自身を生きられないことが、

本当に苦しかった。

結局24才で親に頭を下げ、根負けさせ諦めさせるまで反対され続けました。

そうやって勝ち取ったのに、それまでの扱いで自己肯定感が低すぎて、それをもダメにしてしまいました。

応援されなくても、すんなりと高校卒業して専門学校に行っていたら、あんなに苦しまなくてすんだんじゃないかって今だに思います。

好きなこと、やりたいことを制限されることのナンセンスさ、

自分自身で生きないことのナンセンスさ、

理不尽さ、苦しさ、絶望 を知ってるので、


やりたいことはやるべし!!


と思っています。


そして、

幼い頃に作ったビリーフ、

ものの見事にそれに沿った人生になっています。

こうやって頑張っても報われず、転落していくんですねー。

それにしてもビリーフってほんと怖いわっ!!w



こんちくしょー!!! 

↑なぜか悪態シリーズ。昨日友達に気に入ってもらったので、調子にのりましたw

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