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じゃあ、何をしたって許されるっていうこと?

昨日、『自己肯定感をあげる3つの方法 その3』

というブログを書きました。


思ったより反応が良くて、実はちょっとびっくりしています。

すごく嬉しいです。

ありがとうございます♪


昨日のブログを読んで

憤りを感じる方や

疑問に思われる方もいらっしゃるんじゃないかなと思ったので

ちょっと補足します。


『どんなに悪い人に見えたって

本質は愛で、善い人だ

だから、許しましょう。

そして、善い人だと信じて接しましょう』


昨日お伝えしたことは端的にいうとそういうことです。


『じゃあ、何したって許されるわけ?』


そんな疑問をもたれる方もいらっしゃると思います。

『どんなに悪いことをしたって許されるなんて、

真面目に生きてることが馬鹿らしくなる。

真っ当に生きてる人が馬鹿を見るなんておかしい』


そんな風に感じた方もいらっしゃることと思います。



それにお答えしますと、

『やったことの責任は自分で取るしかない』


です。


存在として善い人だと許してもらったとしても、

それはチャンスをもらえたということであって、

罪自体がなくなるわけでもなければ、

やったことがチャラになるわけでもありません。


” 最終他人がどう感じるか ” や

” その結果の現実がどうなるか ” は

コントロールできません。


なので、嫌われることが瞬間的に覆ることもなければ、

信用が回復するわけでもありません。

※後から書きますが、長期的には話しは別です。


ただ、どんな行動をとったとして、

” その結果を自分で引き受ける覚悟があるならば ”

何をしたっていいと思います。


それはその人の価値観であって、人生です。

そして、自分を曲げて人の意見や思惑に従うより、

100パーセント自分としての決断をして失敗する方が

よっぽど覚悟が決まってますし、

肚が座ってますし、

成長しますし、

清々しいです。


そうやって自分の責任として100パーセント自分として生きる方が

自分に対して、人生に対して、また周りの人に対して、

そして”いのち”に対して

誠実だと私は思います。


『罪を憎んで人を憎まず』

これは

『その人を許しはするけれど、

行動ややったこと自体がなくなるわけではない』

ということ。

だからこそ、

どういう在り方なのか、

どういう行動をとるのか、

がとても大切になってくると思います。


道が違うことで

誰かの思惑から外れてしまってがっかりさせたり、

「裏切り者」と思われたり、

一時的に「悪者」になったとしても、

自分にとっての真実を歩み続けることで

結果を出して認められることもあります。

伝わらなかった価値観を周りが理解する時が来ることもあります。

真摯で誠実な姿勢や在り方を貫くことで誤解が解けることもあります。


どんな道を歩んだって

何を選んだって

それに良いも悪いもありません。

物事に良いも悪いもないのです。

あるのはそれを受けての ” 解釈 ” だけ。


理解したいと思うことはあっても、

なんとなく推測することができたとしても、

同じような体験をしていない限り、

人が誰かと本当の意味で理解しあえることなんて私はないと思っています。


そして

万人が ” YES ” というような道も存在しません。

” こうしたら良い ” というような ”正解 ” もありません。

100人いたら100通りの”解釈”があり、

100通りの価値観があります。


そうなってくると、

大切なのは

” 自分でその結果を引き受けられるかどうか ”

もっというと

” 自分がその選択で死ぬ時に本当に後悔しないか? ”

ということ。

あ、こないだどっかで見たんですが

” 10年後もそれを続けているかどうか? ”

も、なかなか良い問いだと思います。

(この問いは分野を選ぶかもしれませんが)


結局自分のやったことのツケは自分で取るしかない。

良いものも、悪いものも。

誰かのせいにはできないのです。


とするならば、結局大事なのは

” 自分がどう考えるか? ”

” 自分がどうしたいか? ”

つまり

最終、 ” 自分が心から納得できるかどうか ”

なんだと思います^^




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