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こまきさわこ プロフィール  小学生まで 編

自己紹介をしておりませんでした。

私をご存じない方も多いと思いますので、改めてプロフィールを掲載しようと思います♪

今は過労気味ではありますがw、めちゃくちゃ幸せです^^

昔では信じられない未来、絶対に私には手に入らないと思っていた、まさにミラクルの現実を生きています。

3年ほど前まで、うまくいかないことの連続でした。

「きっともう大丈夫だろう」と本当に心から安心して思えるようになったのは、実はここ1年ほど。

そんな私がどうしてこんな人生になったのか。

トラウマの総合商社と名乗るその由来を記していきます。笑

総合商社なもんで取り扱っている商品がありすぎて、

ひとつひとつご紹介するととてつもなく長くなるので分けていきます。笑


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【 こまきさわこ(小牧佐和子)プロフィール】

1980年 鹿児島県 薩摩郡生まれ

生まれた時は首にへその緒が巻きつく難産だったそうです。


《背景紹介》

・母親はパーソナリティ障害(診断なし。チェック項目全て当てはまる)
・いわゆる毒親
・母に抱っこ、抱きしめられた記憶が一切ない
・目を合わせてニッコリされた記憶も一切ない
(この二つに関しては祖母が叔母にこぼしていたのを大人になってから聞かされるので、記憶の捻じ曲げではない)

・私は赤ちゃんの頃はいつもにこにこして、穏やかでハッピーで泣かない、手のかからない子だったらしい。(父談)



《 幼少期〜中学 しょっぱなにきた1度目の人生の底 》
” どこにも居場所がない ”小学校時代 


精神的に不安定な母親は恐れが強く社会に対しての猜疑心が強い。

そして、極度の心配性、極度の被害妄想より、すぐヒステリーを起こす。


そんな母に巻き込まれ毎日喧嘩の絶えない家。急須が飛ぶなど日常茶飯事。

安心とか穏やかとか笑顔の絶えないとか、感じたことがない幼少期。

毎日毎日、何度もなんども、般若のような顔をしながらお互いを罵りあい、怒号が飛ぶ。

そんな環境だったので、私も不安感や緊張が抜けず、悲しみ、苦しみから「笑顔をどうやって作ればいいんだっけ?」と考えるような子供だった。

自然体、ナチュラル。私の辞書にはそんな言葉はない。

いつも怯えている。が、それを見せないように虚勢を張っていた。

見せると怒られるから。


学校ではいじめられ、除け者にされ、低学年の子から廊下で名指しで文句を言われ、言い返せない。

自己肯定感のかけらもない。


家ではスパルタ教育。97点のテストに「あと3点は?」の世界。


批判、非難、争いの絶えない日々の中で、どんどんと自信を失い、自分がいない方がいいという思いを強めていく。

恐れが強すぎて、怯えきっていて、でも弱い自分を出したら終わってしまうから、心を開くことができず、誰も信頼できない。

誰一人心を開ける人がいない。みんなが敵に見える。守ってくれる人も頼れる人もいない。

気づいてくれる人も誰1人いなかった。

問題が起これば「私が悪い」。

そんな私だから、誰かから愛されたり、大切にされたり、私も誰かを愛したり、大切にすることもできなかった。


自己肯定感などかけらもなく、どこに行っても忌み嫌われる私は

「私はいない方がいい」

「私という存在は人に嫌な思いをさせる」

「私さえいなければうまくいく」

「私がトラブルの元だ」

「自分は愛される価値がなく、厄介者でしかない」

と本気で信じる。


ビリーフの出来上がり。

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人生のしょっぱなにしてこのビリーフたち。笑

先が思いやられますね。

だいぶ重いですが、ご安心ください♡

そうそう簡単には、軽くなりませんwww


くっそー。おぼえてろよー。←なんの悪態だw




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