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−愛すること−


あなたは「愛する」って、どういうことだと思いますか?

「愛する」とは、シンプルに言ってしまうと
「誰かを大切に思う。そして、信じる」ということなのかもしれません。

私は、愛とは動詞だと思います。

誰かの幸せのために、想うだけではなく実際に働きかけること。その人のために動くことが「愛する」ことだと思います。

つまり、“自ら与えていくこと”。


「愛って、そもそも自然に生まれてくるもので、行為じゃなくて状態なんじゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

だから、増やせないんじゃないの?と思うかもしれません。

また、許すこと、受け入れること、導くこと、自分より他人を優先させること、自己犠牲、人によって様々な意見があると思います。

そして、愛というと、一般的なイメージとしては、どこかフワフワとしていて、温かく包み込む、そんな印象であることが多いような気がします。

しかし、愛というのは、いろんな色があり、形があります。

誰かを厳しく叱ることも愛になりうるし、ある意味戦争も愛と言えば愛、なのではないかと思います。

家族を守るために戦いに行った方々などは、特にそうでしょう。


自分やその人の人生をよくするために動く。

親友や家族が道を踏み外しそうになったら全力で止める。

たとえ、それが本人にとっては邪魔をされたと感じ、嫌われることになっても、それでも止めるというのは立派な愛です。

そうかと思えば、自信のない同僚が何かに挑戦するとき、「あなたならできるよ」と励まし応援し続けるのも愛です。

単純に、大好きな人のことを「幸せになって欲しいなぁ」と祈るのも愛です。

誰かが誰かに”幸せになってほしい”と願い、そのために行動することが、愛することです。

相手が自分と離れることを心から望む場合、自分はそばにいたくても手放してあげるというのは究極の愛ですし、

相手を信じて、一切手助けをしないというのも愛です。

愛というのは、いろいろな色があり、形があります。


しかし、本質は

誰かを本気で思い、その人の人生がより良くなってほしい。

その人が幸せになってほしい。

輝いてほしい。

その人を大切にしたい。

笑顔でいてほしい。

そういう思いなのではないでしょうか。


その思いが「愛」で、そのために実際に行動に移すことが「愛する」ということ。

「愛するとは、すなわち動くこと」なのです。


そして、この対象には自分も含まれているし、みんなも含まれている。

自分の嫌いな人、どんな人のことも、尊重し、排除せず、理解しようとし、大切にできる。

それが、愛の大きな人なのだと思います。


生まれた時から愛の大きな人はいません。

形のないものは”与えると増えていく”のです。


愛があるから与えるのではなく、

「もうこれ以上愛せない」そう思った時にこそ、

「愛せない」と思う自分を疑い、

自分自身の愛とパワーを信じて、

自分と、相手と、世界を信じて、

それでも、与えていく。

そうやって生きる人が、結果愛の大きな人になるのだと思います。


あるから与えるのではなく、

「もう与えられない」そう思っている

ちっぽけなエゴの声を聞き入れず、


自分の頭の中の制限を外し

自分が愛の存在だと信じ、

なりたい、在りたい自分へむかっていく。


自分が大きな愛であることを信じ、

大きな愛であるとコミットする。


自分自身を信じる。

世界を信じる。

そして一歩踏み出す。


それはつまり、本来の自分を知り、それに沿って生きる。

そういうことなのだと思います。





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