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こまきさわこ プロフィール  高校編 -4-

《自分のことを一番否定し、信じていなかったのは、”自分自身”でした》

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また、私が幼い頃から両親は神道を信仰していた。(新興宗教ではないです)
お神楽を舞っていて幼い頃から神社の境内の中に入っていたし、神さまというものがとても身近にあり、生活の一部だった。

その中でも神道はご先祖さまを大切にする宗教で、『親がどんなに親らしくなかったとしても、敬わなければならない』などと耳にしており、親を悲しませるということは、神さまに背く、ご先祖さまに背くということ。
このことは私にとってはものすごく大きなことであり、神さまに背いているのではないかということは、ずっとずっと心に引っかかり、とても怖かった。
これもかなり心の負荷になっていた。

一度、親とのことを話した時に言われたのも、『足ることを知れ』。
要は、『こんなに恵まれてるのに、何をわがまま言っているんだ』ということ。


成績が坂道を転がるように地に落ちていった私に対して、両親や周りの人たちが何も言わないはずがなく、そして、一般的には“ダメなやつ”の典型。許されるはずもなく。

地元の名家。そして、金持ち。父は事業も成功し、友人は多く、皆に慕われ、ロータリークラブや商工会で大活躍。母は美しく、出しゃばらず、父が成功している分、いい奥さんで通っている。

何一つ問題のない家庭です。

こんな家庭で育って文句言うとか、わがままでしかない。


そんな中、周りと馴染めず、うまくやれない私は 子供の頃から“ 問題児 ” 。
せっかく入った良い高校で、勉強をドロップアウトして、好き勝手なことをしようとしてる時点で、金持ちの人生なめたぼんぼん(女ですけどw)に見えていたのだと思う。
どう考えても、そのまま勉強していく方が、“大正解”。

そんな100パーセントみんなが『正しい』というのとは真逆を行くわけですから、風当たりは相当なこと。

誰も私の状況が見える人がおらず、もちろん理解してくれる人も、擁護してくれる人もいなかった。また、自分の中にも自信なんてこれっぽっちもなかった。


そんな中、夢に向かってなんとか進みたいと母には何度も話をするが、その度に大げんか。
最終的には「専門学校はバカがいくところ」という母を納得させるために、フランス留学を持ちかけ許可をもらう。

「留学だったら体裁が保てる」から。案の定オーケーが下りる。
本当に行きたかったわけではなく、親に許してもらえる方法がそれしかなかったから。何をするにも親に認めてもらう必要があり、そのために大博打を打つしか道がなかった。

確か、留学が決まったのは、だいたい3年生になって1学期くらい。それまでは、なんとか親の望むようにできないかと、無理やり勉強してみたりしつつ、違う夢を設定してみたりしたこともありました。国連で働きたいなとか思ったこともあった。(今考えると無謀も無謀ですね。それこそ、エリート中のエリート。笑)

とは行っても勉強するのを、体も心も全力で拒否していたのと、周りがとにかくめちゃくちゃ優秀なので超落ちこぼれ。笑 赤点の半分の青点とかとっていたほど。
それくらい勉強をするということにこの頃は拒否反応が出ていた。

留学はベストな方法でも、望む道でもなく、まして遠回り、ちゃんとたどり着けるかもわからない。それでも、行きたいわけではない大学にさらに4年も使って行かなくて済む。
遠回りかもしれないけど、少しでも前に向かって進めると決まった時は、すごく嬉しかった。

そこからは、フランス語の勉強に行ったり、留学の準備をしつつ、全く勉強はしないで学校に行ったり行かなかったり。笑
よう考えたら、学校の先生よく許してくれたな。笑
(というより、みんなは受験に向かって最後の追い込みラストスパート。こんな落ちこぼれに構ってる暇なんてなかったんでしょうね。笑)

そして、お気楽な気持ちかっていったら、全くそうではなく、彼のこともあったし、フランスに行くとは言ったものの、それで自分のしたいことができるわけではない。大学に行くよりもほんの少し近いというだけ。自分の将来が不安でしかなかった。


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どんなに家庭の中がぐちゃぐちゃだったとしても、閉鎖的な家だったら、内側で起こっていたことなど、見えない。
どんなに苦しかったかも、いろんなものを抱えていたかも、見えない。

そうなると、どこからも正しい視点というのが入ってこなくなる。
歪んでいたとしても、比較対象がないからそれが“当たり前”“正しい”となってしまう。

違う家庭だったならば、修正がきいたり、そもそも問題にすらならないようなこと。
それでも閉ざされた関係性だと是正されることもなくそのまま行ってしまう。

本当に孤立無援でした。

そう感じていました。私には、そんな世界でした。


そして、そもそも、話したって誰も理解できなかったし、こんな感覚を共有できる同級生なんて存在しない。大人だってそう。
そんな中でも、私の苦しさを慮り、理解しようとしてくれたのは本当に限られた彼氏と親友だけでした。

それでも、心配してくれていた人はたくさんいたと思います。
応援団の仲間も、親戚も、周りの大人の中にも。
でも、誰も助けることなんてできなかった。
また、ちゃんと理解することだって、できなかった。
手出しなんてできなかった。

当時も、私が感じられなかっただけで、そんなあたたかな光はきっとあったはずなのです。


『親を悲しませてなんてダメな娘だ』

『最低で最悪な自分なんて幸せになんてなっていいはずがない』

『どうせ無理じゃないか、お前になんて何にも出来ないんだよ。期待すんな』

『そもそも、その夢なんて本物な訳?嫌なことから逃げたいだけなんじゃないの?』

『はぁ?“好き”とかそんなもので行動するなんて、ただのわがままで身勝手で無責任でしかないわ』

これらの言葉は最初は親を含めた他人から言われていた言葉でした。


そして、私が私のこともまた、同じように思っていたのです。

いつの間にか、

私自身が、周りの人たちのこの声を採用していた。


いつの間にか

自分が一番、自分に価値がないと思っていた。

自分が一番、自分が最低で、最悪だと思っていた。

自分が一番、自分なんていなければいいのにって思っていた。

自分が一番、自分が害悪だと思っていた。


たくさんの人から否定される中で、

そして、大切な人の手を離してしまったせいで、

私が私を見捨てました。

私が私を一番責め立てて、罰しはじめました。



彼氏、親友、仲間たち、周りの人たち。
その人たちの愛を心から信じられない自分もいました。

それは、その人たちが信じるに値しない人たちだからではなく、

私がそうされるにふさわしいと、自分で思えなかったから。


そして、信じてあげられないことは、自分にとって本当に悲しいことでした。

そして、そんな自分をまた、責めていきます。


ああ、完全に負のスパイラル!!

やってられん!!!w

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