悪者は存在しない part2

私たちは誰かの言動を見てジャッジする

「こんなことするなんて、ひどい」

とか

「あんなことをするなんてサイテーだ」

とかね。


でも、腹を割って話してみると

実際のところは全然違ったりする


じゃあ何でジャッジしてしまうのか?

それは

そこにビリーフと感情(感覚)があるから


子供は許す天才

じゃあ何で許せるのか

まっさらだから

人が”愛”で”善”だと疑ってないから


まっさらってどういうこと?

『○○は△△だ!』という方程式がなく(ジャッジの元になるもの)

その方程式にくっついている”感情(感覚)”がないということ


例えば

犬の噛まれて以来、犬が怖い人は

とても人懐っこくて絶対に噛みそうにないフレブルを見ても、やっぱり怖い

※トップの写真のようなね。笑


絶対に噛まないって頭ではわかってても

『犬は噛む』という方程式が恐怖とくっついており

その人の中では感覚レベルで真実になってしまっているため

どうしても近づくことができない


『犬は噛む』という方程式(これをビリーフと言います)があるから

この犬も噛むに違いない!というジャッジが行われる。

頭でいくら「違う違う」と否定しても打ち消せない。


どうして打ち消せないかといったら

それは恐怖という感情(感覚)が同時に沸き起こっているから

めちゃくちゃこわい。

この感覚があるのに、いくら「こわくないよー」って言われても

「うるさいボケー!こわいんじゃー!」となる。笑


恐怖が「この犬も噛む」といういわば妄想にパワーを与える

「この犬も噛むんだ」「この犬も噛むに違いない」「絶対噛むでしょこの犬」

「もう間違いないっしょ」とどんどん自分の中で信ぴょう性が増す

信ぴょう性が増すから、それに連れてどんどん恐怖が煽られる


何が言いたいかっていうとですね。

全部自分の中のフィルターを通しているってこと。


だから、「こいつマジ、ピーーーーーーーー」

て思ったとしても、それはあなたの方程式と感情(感覚)によって

そう見えてるだけかもしれないよってことです。


そんで、大概のことは本当に腹を割って話してみると

単純な行き違い、思い違いで、

紐解いた先はお互いに思いやりしかなかったなんてよくあること。


大切なのは

表層的な”言動”で判断しないこと

とはいえ、ジャッジも感情(感覚)も反応だから、

しないって言ってもできない

だったら、これは”妄想によるものだ”ということを知っておくということ


それよりももっと大切なのは

”本当はどうしたかったの?”

”その時に何を感じていたの(どんな感情だったの?)”

というところを見ること


そして、そもそものバイアスの元になる

自分の中の”方程式”と”感情(感覚)”をクリアリングしていくこと

なのです。


じゃー、この「クリアリングってどうしたらいいの?」

これについてはまた今度お話ししたいと思いまーす。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?