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情報の侵略

こんにちは。note書くの久しぶり

てか、文章書くのが久しぶり。最後に書いたのは確か去年の5月くらいかな。

高校生の時はほとんど毎日部活終わりの夜にブログを書いてたんだけど、いま26歳になってそれが継続できないで、今まで書き続けようと始めてみては3日で終わったり。

毎日継続することが大切とか、勝手に流れてくる知らない人が呟いたツイッターを見たりどこかの記事を見たり、自分の頭の中にそれがいつの間にか定着して、自分の行動をいつもストップをかけていた。


でも自分はブロガーでもないから毎日書く必要はないんだよね、好きなようにこのサービスを利用すればいいだけだから。なんか今思うとすごくバカバカしい笑


それと同時に視覚的情報って毎日見てると、本当に怖いね。いつの間にやらそれらが自分の家の中に気軽にお邪魔しまーすって来て、いつしか玄関からトイレ、お風呂、寝室、リビングまでに全ての部屋の中を侵食してく感覚。自分の考え方や思考が、誰に向けて発信されたか知らない言葉や本当か嘘かも分からない情報にいつしか染められていく


人それぞれ違う環境で生きてきて色々なことを経験してどう感じて、それらをどう考えるか、そして自分の意見はなんなのか。

寛容性という意味で全ての部屋のドアを開けておくことはいいかもしれない。誰か知らない人が入ってこようとしたら一回その人と対話して、そこで自分はどう感じて何を思うか。

全ての人を自分の部屋に入れる必要はないと思う。

大切なことはドアを開けて、自然と入ってくる情報を一度止めて自分の頭で考えてみること。そしてそれを自分の中に蓄えるか判断すること。

それの積み重ねで自分の中の芯が太くなっていくと思う。


本当は、『「疲れさせない」ことの価値 (https://note.mu/qzqrnl/n/nc8643b99ab1c)』を読んだ感想を書こうと思ったんだけど、全く違うこと書きたくなったから笑、次回はそれについて書こう。


では

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