自分は「たいしたものではないけれど、案外いい奴かも」と思えたら、人生が楽しいらしい

いつもありがとうございます😊




もともと、人間はたいしたものではありません。




自分がたいしたものではないことを受け入れたら、なにを言われても動じません。




人前でなにかするとき、あがる人がいます。




あがる人の共通項は、上昇志向があることです。




「いい評価をしてほしいと思う」から、あがります。




「いい評価されたい」と思うから、苦しくてつらくなります。




自分自身はろくなものではないし、たいしたものではないし、普通の人ですから、「いい評価」をされなくても淡々とこなして、帰ってくればいいわけです。






いちいち評価を気にして落ち込まなくていいのです。




自分の「あら探し」をする必要はなくて、


人間は、誰でも「未熟」だから、あら探しをすれば、欠点はたくさん見つかります。




僕自身も、「あら探し」をしたら、


た〜くさん見つかります(笑)


自分の欠点は考えないようにしています。




「自分で自分を見つめる」とは、自分の「よいところ」を探して、「自分で自分に惚れる」ということだそうです。




「自分はたいしたことないけれど、案外いい奴かも」と思えたら、人生が楽しくなります。




自分のよいところ、好きなところを100個書けますか?




200個でも書けるという人は、「自分ってすごくいい奴だな」と思えますよね。




ほかの人の「評価」は関係ありません。


他人の評価ではなくて、自分自身の評価で生きる。




自分のよいところを100個、200個見つけれるようになると、きっと、あたたかい人生になるでしょう。




最後まで読んでくださってありがとうございました😊



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