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第2話『八百万の神と多神教』第3話『グレートリセット』

第2話『八百万の神と多神教』第3話『グレートリセット』

日本という国は一神教ではない。
明治から神仏は分離されたようだが、
以前はお寺も神社も同じ境内にあったのかもしれない。
そもそも明治より以前の生き字引はいない。
学校で習う江戸も明治も、ましてそれ以前の様子など誰も知る余地が無いとなれば、
自分の直感を頼りに『過去を思い出す』
この作業が未来を創るという事なんだろう。
過去を思い出す=未来を創る
なんて、いままでの常識で考えれば、逆の事がいま起きている。
いま苦しいなら、良くなり、いま良いなら反転する事はある。
日本の多神教と、古来からの自然信仰である
『八百万の神』の宗教観は一緒で、
万物に神が宿り、万物の声を聴く。
すべてのものからメッセージを受け取り、すべてのものに耳を傾け、すべてと調和していく、和(わ)の国。
それが日本なのであろう。

人々がいま起きている事に気づいたなら、リセットが起きる。起きている現象は鏡であり、本当は心の中で起きていること。
そして心と心はつながっている。
こんな社会現象として起きるのかもしれない。
『100匹目の猿現象』

【100匹目の猿現象】
宮崎県に幸島という島があり、百匹ほどの日本猿が住んでいる島に、
霊長類を研究している研究者たちが、サツマイモの餌づけを試し、
観測をしたことがあるそうです。

泥のついいたままのサツマイモを猿たちは手や腕で汚れを払って食べていたんですが、
あるとき一匹のメス猿が川でサツマイモを洗って食べ始めたそうです。

しばらくすると、若い猿たちや母親猿たちは、
このイモ洗い行動をマネするようになっていきます。

===中略===

やがて、幸島の猿たちは、みんなサツマイモを
海水で洗って食べるようになっていたとのことです。

さらに不思議なことに、その頃になると、遠く離れた別の島でも
猿たちはサツマイモを洗って食べるようになっていたということです。

とても幸島の猿が泳いで渡れる距離ではない、
遠く離れた島でも同じ現象が観測できるようになった。

良いと思えることを、ある一定の数の者たちが共有しあうと、
人知を超えた拡がりで伝わっていく

この現象を、百匹目の猿現象と名付けられ、
いろんな学者さんたちが実験と観測を繰り返しているとのことです。

この、芋を洗って食べるという習慣を1匹が始め、例えば100という一定数を越えたところで瞬く間に全体に広がるという仮説、とても面白いと思いませんか?
架空の話とも言われていますが、様々な研究者が実験と観測を繰り返しており、不思議としか言わざるを得ない現象も実際に起きているようです。

私は、この現象は量子と量子が相関していて、遠く離れていても情報伝達ができる、ということなのではないか、と思うのです。
もしかしたら、人間や物質の微細な構成要素が量子だとすれば、人間同士が自然と情報伝達するというのは、可能なのではないか、と想像することができます。

もしそうなのであれば、皆が「愛の意識」を持っているとそれは波及するのではないかと思うのです。

このような現象からも、
『一人が気づけば皆が変わる』
そう信じて疑わない。


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