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「テレビ」との距離

父方、母方とも、従兄弟が多い。ほぼみな所帯持ちで、その子供たちも所帯があったりするので、全体ではなかなかの人数になる。

我が家はいわば本家でもあるから、それなりの頻度でその人数のうち何割かが訪れる。

このところ私は奥さんの介護を最優先にしているためろくに相手もできないながら、従兄弟たちの考え方というのはおよそ把握していると思う。

まず、マスクをしてやってくるような者たちは、テレビとの距離が近すぎる。というのは、テレビの似非専門家や芸人のコメントがそっくり自分の考え方になっていて、それが自分であり自分の判断だと思いこんでいて疑ったこともない。

その対局にいるのが、テレビは見ないが自分で情報を集めて考えるという私のような者。これはめったにいないと見ていい。

従兄弟の中にはマスメディアで何十年も情報配信をしてきた者もひとりならずいる。そのうちひとりは某国営放送本局で全国ニュースの番組を作っている主力スタッフだが、ここ十年ばかりは会っていないから、現在の情況をどの程度知っているのか、まだ聞いていない。まあ、おそらくわかっているのだろうとは思うが、上からの指示に反抗することもなく高給をもらっているはずだ。

私自身も、これは地方局でのことだが、自分で台本を書いたラジオ番組に一年間出演したり、一時間もののテレビ特番に自著を原案として出演したりもしているから、メディアのやることというのはおよそわかっている。若いころは東京でCM制作会社にいたこともあるから、テレビ屋さんたちの空気も経験している。最近では、サンドウィッチマンと長嶋一茂さん出演のテレビ番組制作チームにロケ地のコーディネートなどで協力もした。彼らを現地に迎えて自分のカメラで出演者を撮らせてももらったが、そのときまで長嶋さんしか知らず、サンドウィッチマンという人たちをまったく知らずに恥をかいた。(それからは YouTube などでよく見るようになったことも付け加えておく)

テレビとある程度かそれ以上に距離を保ってこられたのは、自分がコンテンツを作る側にいた(作る側の視点で見てきた)からだともいえるかもしれない。映画やドラマを見ても、まっ先に脚本家や監督の知性や技量に目が向くし、ニュース番組なら、何を知らせないかに注意を向けることもできていると思う。

とはいっても、自分が今まで知らなかった分野から、ある日突然大きな異変が発生したというようなとき、もしテレビ報道が第一報だったら、そこで最初の刷り込みをされてしまうことがある。そんなときでも、どこかで反論、反証がなされていないかに意識を向けて、自分の中の結論を最大限に保留としておくのが賢明だ。

そんな芸当はできないし、考えたこともない──もしほとんどの人たちがそうだったとして、ほとんどの人たちが洗脳されてしまうのかというと、案外そうでもない。

自分軸というものがあるかどうか──大きいのはこれだろうと思う。

思えば、優等生的な人、できれば優等生になりたかったタイプ、優等生を決して否定しない人、権威を無条件で受け入れてきた人──こういう人たちがテレビにより濃く洗脳され、無用の薬物やマスクで死んでいくのだろう。

我が家を訪れる親戚には、うちではマスク不要と釘を刺した上で、9・11のころからの馬鹿げたテレビ報道がいかに嘘であるかを話して聞かせることがある。もちろん、誰ひとりとして反論できない。あるいは、あえて反論して恥をかかないようにしているだけだということかもしれない。

とにかく少しでも気づいてほしいと願う。彼ら全員を正しく導くなんてことができるほど自分は神でも仏でもないから、とにかくほんの少しでもいい、なにかひとつでも疑問を持ってほしいと願うばかりだ。

もっとも、テレビとまったく異なる「情報」を私から聞かされて、大いに不快に思う者も中にはいる。不快であることを表情ににじませたり、マスクを頑なにはずそうとしなかったりする者たちは、おそらくもううちには来ないのではないかと思う。

それもまた、現象のひとつと諦めるほかないだろう。

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