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尊敬する人は?

昔から「尊敬する人は?」という質問が苦手だった。

今でこそ知識量も増えて特定の人の名前を答えられるが(まだその答えを披露する場面に出くわしていない)昔は、特に小学校の頃は頭を抱えるくらい悩んだものだった。

この質問は、なぜか小学校時代では「将来の夢は?」という質問の次ぐらいによく聞かれる質問だった。

よく「両親」と答える人がいたが、私の脳裏に「両親」が思い浮かんだことはなかった。
両親のことを考えると苦しくなってとても答えられなかった。

あまりにも困って「ねえ、なんて書けばいい?」と、その質問の候補者から早々に排除された母親に聞いたことがあった。

「じゃあ『じいじ』って書けば?」なんて言われた私は、とりあえずその場しのぎにその通りに書きながらも、内心では全くしっくり来なかったのをよく覚えている。


祖父は確かに尊敬できる人物だったが、遠い存在だった。亡くなった今となってはさらに遠く、まるで神話の登場人物のようだ。

私にとって母親は、確かに尊敬できるところもあったが、手放しで尊敬できる人ではなかったし、大人になった今となってはますます反面教師的な資質を彼女から見出さずにはいられない。
父親に対しても、状況は違うが似たようなものだ。

幼少期から、父親の悪口ばかり言われながら育った。高校生の頃にその歪さにようやく気づいたが、時すでに遅し。父親との精神的距離は埋められないままだったし当然今でもそうだ。
そしてさらに大人になると、父親が、悪口を言われても仕方のないことばかりしていることにも気がつく。だけどそれは「子どもに父親の悪口を吹き込む」ことを正当化できるものでは到底ないのだ。


話を元に戻すが、
大人になれば誰もが、ある程度は自分の両親が抱える人間的限界について理解するようになると思っていたので、壮年の大人がその質問に対し「両親」とサラッと答えているのを見ると驚きを禁じ得ない。

と同時に、羨ましくもある。

禍根を内面に残されずに、ちゃんと育ててもらえたんだな、と目を細めたくなるような、だけど禍根だらけの自分と比べて悲しくなるような、そんな気持ちになる。



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