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コトバはどこから生まれてきたのか Re:name

大好きな詩人である谷川俊太郎さんが福岡にやってくると聞き、こんなチャンスはもうないと行ってきました。

冒頭の発言から、自分の語彙力では到底理解できない語が連なってまだまだ勉強不足だな~と嬉しいショック。皆さん知ってます?「キッチュ」な美術品ていうこの「キッチュ」。ドイツ語で「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」を積極的に利用し評価する美意識とのこと。こんな感じで頭フル回転させながら、お話に引き込まれました。

いわゆる自由律の現代詩のある種対極に位置する谷川さんには、日本語独特の「しらべ」がわき上がってきて作品を生み出すそう。韻を踏むことに近い感じでしょうか?語と語のつながりが♪の連なりのように感じると。そこから生まれた代表的なものが「ことばあそびうた」ということで、その中から「かっぱ」と「ののはな」を朗読して下さった。あとオノマトペが好きっていうのは激しく頷いた。谷川さんの詩は面白いオノマトペたくさん使われているものねぇ。

そんな感じで始まったお話の中に、ちょいちょい出てくる「大岡信」さん(国語業界においてかなり名の知られている御方)とか「寺山修司」さんという錚々たる面子。しかし考えてみれば、同じ時代を生きているんだよなー。あとは、ちょっと昔の「萩原朔太郎」「宮沢賢治」も出てきた。

メインは現代詩の変遷と、谷川さん自身の言葉に対する想い。

日本の詩人は第二次世界大戦以降「暗唱性」に優れる詩をタブー視していた。なぜなら、世界大戦中に詩人たちはたくさんの戦争を賛美した七五調の韻律詩を生み出してきたから。それを反省して、現代詩は韻律を封印した。でも、海外の詩はいかに韻を踏むかというところに音楽性と暗唱性を求めている。確かに。谷川さんの詩はその点、韻も踏みつつ「声に出して楽しい詩」を作って下さっている印象がある。そして共感できて分かりやすい。その作風の原点は面白おかしくお金が必要だったから、人々の需要に応えていた。と言われていたけれども、とても優しい人だなと思った。私たちの近くに居てくれるという詩人はなかなかいない。

谷川さんから溢れる言葉は荒れ地からすくいとるような感覚で生み出されるそうだ。理想は沈黙から生まれるという形らしい。沈黙とは言ってみたら混沌(カオス)のことで、言葉になっていない声を発していない存在にせまるということが一番可能であるのが詩だと思うとおっしゃった。

そして、感情>言葉だからそもそも『言葉を信用していない』と言われて、いつも言葉に向き合っている人だからこそそう思うのだろう。私も言葉を扱う職業の端くれとして、信用していないけれどもそんな中で一生懸命もがいて探している。

そんな話をされていて、その前日に福岡入りされて1日で書き上げたできたてほやほやの作品を発表していただいた。『Re:name』今回のイベントのテーマでもあるこの言葉を題として、このnoteのタイトルから始まる詩。言語論に迫るものであり、人間がずっと模索し続けるテーマをさらりと分かりやすい言葉で表現されていて、聴いていて思わず涙ぐんでしまった。

その後ポンポンと愛用のMac(!)(谷川さんは根っからの機械好きらしい)から未発表作品を引っ張り出してきて読んで下さる大盤振る舞い。『ホモサピエンス』『それはさておき』『新聞休刊日』言葉のシャワー浴びているようだった……。幸せなひととき。

終盤にさらりと言われた言葉が私の一番お気に入りの言葉に。

谷川さんは望遠鏡で星を見るよりも、顕微鏡でプランクトン見る方が好きなんだという話から、

「世界の広がりの中の一端で新たな発見があると生きるのが嬉しくなります」

生きるのが嬉しくなるってなかなか人間言えない。

知らないものに出会って新たな世界が広がっていく喜びを大切にしなきゃいけないなと思った次第です。

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