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たよりがちな日々

ひとの家から出社するのは楽しい。知らない坂道を下って知らない駅に向かう。見慣れない景色、いつもより短い通勤時間。昨晩食べ過ぎたとか飲みすぎたとか、突然相手を呼び出して日付が変わるまでダベって家になだれ込んでしまったという罪悪感をリフレッシュしてくれる。

安心安全無農薬。そんな相手はまれである。最近仕事がつまらない、ひま、話したいことがある、きょうなにしてた、エトセトラエトセトラ。理由はなんでもいい。「呼び出したからにはネタあるんだろうな」と言われるたび、別に、顔見たかったから。くらいで済ましている。なにもなくても会いたい、ってなんだ、恋人にも言ったことがないくせに、これでいいのか。いいのだろう、多分。私が信頼している男性陣は全員つきあいも10年近く、ふたりで飲んでいても気が置けない距離になってきている。会話もまったりのんびり、寄り道しながら、帰路につく。男女の友情はないというひともいるけれど、少なくとも私の中では存在するし、彼らが恋人に(もしくは、私が彼らの恋人に)昇格することは決してない。そんなのお互い百も承知でつきあっている。普段着は外着にならないけれど、愛着があってずっと捨てられないままだったりするのだ。

悩みたい夜はひとりで過ごしたくて、悩みたくない夜は誰かといたい。この病を何て呼ぶのか、まだわからないままでいる。



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