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2018年9月~10月に見た映画

天高く馬肥える秋。最近みた作品の感想をつらつらと。ネタバレありです。ご注意ください!



クワイエット・プレイス**

感想:ポップコーンが食べられない**

新宿TOHOにて鑑賞。怖すぎて連れが笑う((´∀`))ケラケラくらいずっと震えていた私。エミリー・ブラントと旦那さん(監督兼主役)の子役ノア&ミリセントちゃんのビビり演技が上手くて天丼でした。ポップコーン食べるのにあんなにひやひやしたの、セッション以来だわ。

モンスターの聴覚が異常に発達しており、ゆえに超音波に弱いって設定がヴェノムとかぶっていた気がする。見た目もグロさも似ていたし。後日、飲み会で話していたら「モンスターが音に反応するしきい値があいまい」「裸足で歩く必要ある?靴下はけや」「布袋が引っかかったときに引っ張る神経がわからん」と、ディテールが気になってダメだった派もいましたね。あとラストの「俺たちの戦いはこれからだ!」感に笑った。

裏テーマでは「声を上げてはいけないひと」を描いているというレビューもあり。たとえば老人、女性、障がい者、ワーキングプア、LGBTQ等の社会的弱者が主人公一家であり、それを踏みつぶしていくモンスターが声の大きいひとたちっていう解釈もあります。アメリカはそういう視点でも受けたみたい。

こちらの感想を読んで「なるほどな」と思ったのは男女の役割とロケットの使い方について。うーん気付かなかった!これだから映画レビューを読むのはやめられない。

そこでは男女の役割もハッキリしていて、父が姉ちゃんを食料調達に連れて行かないのは、聴覚障害のせいよりも女だから=子孫を残す貴重な存在だからという側面が多分ある。これって今の世の中ではSFでないとなかなか描けないんじゃないだろうか。ヒトが野生動物同様のサバイバル状況になったときに、家族とはまず第一に生殖のための集団である。だからこそ、集団の利益のために各個体が互いにリスク背負いこむという一見無謀な決断が必要になる。(そして実はこの構造こそが、現実に家族関係をある種の呪縛たらしめている根本にある。)このあたり、SF的にとてもよく出来てると思いました。その視点で見ると、新生児が「男の子よ」「男か…」というシーンは含みがあるように思うし、「ロケット」によって欠けた家族が「ロケット(花火)」とともに新生児を迎えるのもエモいし、なによりお母さんがお父さんを追い詰めるシーン、本当に怖いよね。「今度は何があっても子どもを守って(あなたの命と引き換えにでも!)」


クレイジー・リッチ!**

感想:金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる**

シンガポールを舞台に不動産王の御曹司である恋人と、彼の裕福な一族との間で揺れながら本当の幸せを探す独身女性の葛藤を、アジア系キャストをメインに描いたハリウッド製ラブコメディ。ニューヨークで働くレイチェルは、親友の結婚式に出席する恋人のニックとともにシンガポールへと向かった。ニックは実はシンガポールの不動産王の超有名一族の御曹司だったのだ!2人の交際をよく思っていないニックの母や家族親戚一同、さらには元カノとの対立と、レイチェルは苦境に立たされてしまう。 eiga.comより

日本橋TOHOで鑑賞。アジアン・ビューティ(筋肉含む)が詰め込まれたラブコメ。ペク・リンとオリバーが最高ですね!音楽もSNS大活躍な情報拡散シーンもうまかったな~。海外レビューをみると、25年前に同じくオールアジアンキャストで撮影された「ジョイ・ラック・クラブ」と比較されがち。ジョイ~は2世の娘と母親たちの物語。エイミ・タン原作小説が大好きで映画もみました。あちらにくらべるとクレイジー・リッチのほうが、ABC(American Born China)やバナナ(外は黄色く仲は白い)の描き方が柔らかくなっていたけれど、移民に風当たりの強いトランプ政権のいま、本作を上映してくれた意義は大いにあるとおもいます。ちょうどオールブラックキャストのブラック・パンサーも今年公開だったので、いい意味でムーブメントに乗れたんじゃないかしら。最後、ちゃっかり彼氏のプロポーズにのっちゃうレイチェルに総ツッコミだったけど。麻雀でレイチェルがニック母を越えるとこ(試合に負けて勝つ)、アマリンタとコリンの結婚式の演出(アカペラのプレスリー名曲)好きな場面を上げたらきりがない!ゴージャス!!


タリーと私の秘密の時間/Tully**

感想:いつかあなたの松葉杖**

どっかの紹介記事でみかけた、観たひとが元気になる、女性を励ます、というエッセンスは微塵もないです。

甘えさせてよ、という意味で be my crutch といったりする。crutch = 松葉杖

仕事に家事に育児にと何でも完璧にこなしてきたマーロだったが、3人目の子どもが生まれて疲れ果ててしまう。そんなマーロのもとに、夜だけのベビーシッターとしてタリーという若い女性がやってくる。自由奔放でイマドキな女子のタリーだったが、仕事は完璧で、悩みも解決してくれ、マーロはそんなタリーと絆を深めることで次第に元の輝きを取り戻していく。タリーは夜明け前には必ず帰ってしまい、自分の身の上を語らないのだが……。

機内上映で鑑賞。シャーリーズ・セロンが3児の母役で主人公、という前情報のみ。予告もみておらず、しかしtwitter TLの感想が「つらい」「キツイ」「こんな結婚したくない」「子育てが不安」と褒めつつネガティブコメントてんこ盛りだったので映画館でみるのは及び腰でした。ライトマン監督の過去作品を調べていたら、結構みていた。

ジェイソン・ライトマン監督または製作総指揮作品
・サンキュー、スモーキング
・JUNO/ジュノ
・ヤング≒アダルト

・マイレージ・マイライフ
・CHLOE/クロエ
・セッション
・とらわれて夏
・雨の日は会えない、晴れた日は君を想う
・タリーと私の秘密の時間

太字の3作がディアブロ・コーディ脚本。主人公が作品を追うごとに大人になっていくのがミソ。

「JUNO」 10代での妊娠
「ヤング≒アダルト」 自分探しの未婚女性
「タリー」育児に追われる3児の母


シンプルでリアリティに富んだ物語

主人公マーロに3人目が産まれる→兄貴がお祝いにナイトシッター雇えとアドバイス→スーパーシッターのタリーに助けられる→めでたしめでたし…んなわけあるかーい オラー! (ノ`A")ノ ⌒┫


監督は本作で若さとの別れを描いている、と語るように活力あふれるナイトシッター、タリーはマーロの(脳内で作り出した)若かりし頃の姿。タリーはマーロの旧姓なのに、幻影を生み出した本人はそれに気づかず(深層心理に押し込めた?)日々完璧に家事育児を手伝ってくれるナイトシッターに感謝するばかり。実は朝も夜も1人2役こなしているわけで、どんどんボロボロになっていくけれど、周囲はまったく不自然さに気づかない。最終的に夜の街に幻影と2人繰り出して、飲酒運転して川にダイブ。こんな話あるかよ。ひどすぎる!

最終的には夫も協力的になり、ふたりで育児、皿洗いする場面で終わる。ベッドでヘッドフォンつけてゲーム漬けだった夫が改心したのは素晴らしいし、マーロもひとりで抱え込みすぎていた感が否めないから、これから二人三脚でがんばれよって話なんですが。ハッピーでもバッドでもない、オープンエンディングだからこそ「自分だったら…?」と考える部分が多くてつらかった。


自立とは、依存先を増やすこと

本作のタイトルにもあるように、主人公が頼れるのは「タリー」だけ。兄夫婦にも、同級ママとも子育てのつらさをシェアしない。マーロ、友達いない疑惑。独身時代ルームシェアしていた友人にあったときも、ぎこちない会話で「あんたら男関係で揉めたのか…?」と勘ぐってしまった。

以前別のnoteにも書いたけれど、自立するということは、できること・できないことの切り分けがキモになってきます。己を知る=誰に何を補完してもらうかを認識すること。すべて自分で抱え込むのは自立とはほど遠いことであると、マーロはわかっていない。近場にモデルケースがいないから、3歩戻って過去の自分(体力と知性と若さと創造性にあふれている)を呼び戻したのかなと。うん、つらいね!


タリーを演じたマッケンジー・デイビス。みたことあるな…とおもったら「ブレードランナー2049」の厚化粧な娼婦さん!「恋人まで1%」では情けないマイルズ・テラーに振り回される彼女役だった。(私達付き合ってるでしょ?え、違う?はぁぁ?)タリー役ではオーバーオールやボディラインぴっちりのTシャツ短パンで健康的。セクシーとキッチュさがいい塩梅に交じり合ってる。最後の病室でのかけあい、よかったな…


ブレードランナー2049はこれ

タリーはこんな感じ。かわぇぇ

TBSラジオ、宇多丸さんの本作についてのコメントが。読んでいると鬱々とする。産後クライシス・モンスター、育児ストレス・モンタージュという言葉の強さよ。「答えの出てないオープンエンディング」だからこそ、男性の宇多丸さんが言及してくださったのがよかった。以下引用。

これはでもやっぱり、家族のあり方っていうのを、一から模索していかなければならないことになったこの時代。前であれば、母の役割、父の役割、男の役割、女の役割……それらが「自明」とされてきたわけですけど、その自明とされたものがもはや自明でなくなり、「なんとかしなきゃいけない」っていう風に、みんなが模索しなきゃいけないこの時代にふさわしいような作品。ー中略ーこれを見て「こんなんじゃない」とか違和感を感じたりする方はいっぱいいると思うんだけど、まあ問題提起として、じゃあ、どう違うのか?って話すきっかけにもなる作品なのは間違いないと思いますし。あと、僕の立場で言えるのはやっぱりこれね、男が見た方がいいと思う。「オレたちは何もわかってない」ということをわかれ!っていう。


宇多丸さんのいうとおり、男性はみてください。独身でも関係ないよ。私は多分子どもを持たないし、男性と結婚もしない可能性が高いけれど、マーロのようなひとが周囲にいたら精一杯力になりたい。その感情が共有できなくても。そう思えた映画なので、みてよかったです。


監督のインタビュー


以前書いたnoteより。自立とは、依存先を増やすこと。足りない要素を他者に頼るという発想の逆転、ひとりではなにもできない「弱いロボット」という考えかたも、ありなのです。





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