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薄情だった話


結婚式+披露宴or 2次会に出席したのは35年間生きてきて、たったの4回。これは少ない。確実に少ない。会社の付き合いで2回、高校時代の友人で2回。
機会はいくらでもあった。実際断った数は10件以上。休みの日も仕事を優先して出なかった。後悔はしていないけれど、ずいぶんだったなとは思う。


当時の私はかたくなに、「出る理由がない」と思い込んでいた。

幸せのおすそ分け?いらん。
晴れ姿をみてほしい?いらん。
新郎新婦を紹介したい?いらん。

顔出すだけでもいいんだよ、気持ちだよってひとはいうけれど、そんなんじゃない。お金と時間をつぎこんで、そのひとの「幸せな」顔をみたいから行くのだ。裏を返せば、4名には心からお世話になったと、恩を感じていたから出席したのだと思う。


結婚式にも同窓会にこれっぽっちも出ない私は、パンダかツチノコ扱いである。あえたらラッキー、くらいのアイテム。メタルスライムか。


情が薄い、と言われればそれまでかもしれない。
いまも考えは変わっていなくて、お祝いの場に呼ばれても二つ返事でいくとは限らない。八方美人で誘いやすかった(だろう)昔と違い、誰とでも一定の距離を保っている。


同年代のヒャダインさんが面白い話をしていた。高校時代に「おまえは友達ランクBだから」と仲良しだった友人に言われ、ショックだったと同時に、よし、シャットダウンしてもいいんだ、と悟ったらしい。

その時、やっぱり傷ついたのかな。これが友情だと思っていたら、彼にとってはもっと高いものがあったと聞いて、すごくがっかりして「だったらいらねえや」と思いました。悩みを聞いて涙したり、一緒に何かと戦ったりしなきゃいけないんだと思った時、すーっと冷めて、引くわーとも思った。元々、人と壁を作りたがる、逃げようとするところがある。その時も、ばっさりいかれたので、逆に逃げることを正当化された気がした。得意の「逃げる」コマンドを押せるぞ、友情を信じなくてもいいエクスキューズをゲットだ、と思ったのを、覚えています。

ヒャダイン「高校時代は暗黒でした」人間関係に悩んだ末の転機


私が中高生の頃はスクールカーストやマウンティングなんて言葉はなく、「遊んでる系」「ガリ勉」「普通」「オタク」のラベルだった。自分は「ガリ勉」以外の3つをさまよっていて、暇さえあれば大人のひとと遊んでたから、逆に学校に居場所なんていらなかった。嫌なやつからは逃げればいい、同級生には敵を作らず、先生にめちゃくちゃ嫌われてもけなされても、卒業できればいいや、くらいの感覚で過ごしていた。なめくさったガキだったと思う。


大人の社会は政治と配慮が必要で、やりたくない役回りもまわってくる。身内で手いっぱいだと内心騒ぐ私は、他人とのかかわりはなるたけ少なくしていたい。でも。ここ数年、少しだけ生き方が変わった。映画のオフ会で友人ができたり、ビジネススクールでバカ話しながら学べる仲間に出会ったり。30半ばでようやく、バランスがとれてきたようだ。


BBC シャーロックの「バスカヴィルの犬」で、"I don't have friends!"と叫ぶ姿は昔の私だ。知り合いはいるけど、友人はいらない。ひとりでできるもん。放っておいてくれ。なのにいまでは、シャーロックにとってのジョン(複数)がいるわけで。彼らに出会えたことが、ものすごい宝物なのだと、改めてみにしみる。


「僕ら出会って十年たつけれど、ようやく人間味がでてきたね」と親友に言われて、たぶんジョンが増えたからだよ、と伝えた。もちろん君もその一人で。だって振り回されるの嫌いじゃないでしょう?(´∀`*)ウフフ これからも見捨てられないように頑張るので、みなさんよろしくお願いします。


以上です。


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