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ジョーカー

TOHO日本橋で鑑賞。バットマンシリーズの映画はすべてみており、キートンとベンアフ版が特に好き。コミックは未履修です。レゴ&ニンジャバットマンもお気に入り。ネタバレ注意!!

あらすじ:道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。第79回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、DCコミックスの映画化作品としては史上初めて、最高賞の金獅子賞を受賞した。
映画.com


感想:泣きも笑いもできない地獄の120分が終わり、帰宅即ワイン1本空けてしまった。映画にここまで精神を削られるのは久しぶりで、たぶん怒り以来。「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカー、緑の髪、横一文字に裂けた唇、狂った高笑い、ピエロ(クラウン)私が知っているのはこれくらい。ホアキン・フェニックスは今年の前半ドント・ウォーリーという素晴らしい映画をみていたので演技にはだいぶ期待していた。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーという名だたる名俳優(ヒースにいたっては伝説)が演じてきただけに、どんな新解釈のジョーカーになるのかまったく予想がつかなかった。蓋をあけてみて知ったのは、原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーであること、70~80年代のニューヨークを模したゴッサムシティが舞台であること、R15にふさわしくちょっと残虐な描写があること、ジョーカーは精神異常者ではなく、ハンディキャップをしょっていること、キング・オブ・コメディやタクシードライバーのオマージュがあること、現代のアメリカや日本といった資本主義を大いに映す鏡のような作品であること。


みている最中、わたしは、ダニエル・ブレイクを思い出していた。燃え盛る貧者の葬式でアーサーはジョーカーとして生まれ変わる。最後のキリストの復活(リプライズ)を模した演出や、ブルース・ウェインと交わっていたかもしれない運命線、社会が生み出したというにはあまりにも儚い姿をエンターテインメントとして消化することは正直できなかったし、同情も共感もしたくないというのが本音。ただ、「おまえはこれを見過ごすのか」というメッセージがスクリーンからじわじわと伝わってきてつらかった。


精神的に不安定なアーサー母はかつてウェイン家に勤めており、当時ブルース父と関係を持っていた、アーサーはふたりの子どもだと主張するけどそれは彼女の妄想で、恋人の暴力からも幼いアーサーを守れず、病棟にいれられていた。細かく語られないが、大人になったアーサーも一定期間精神病棟にいた描写があり、幼いころ頭部に受けた傷が原因かもしれない。隣人のシングルマザー(デッドプール2の運がいいお姉さんが演じていた)との逢引きも妄想してしまうくらい病気の根は深く、このあたりの描き方はえげつない。実際、20kg近く減量したホアキン・フェニックスの体は気味が悪いほどに痩せていて、作中のアーサーの体にも消えないアザがいくつかあった。


Put on a happy face – そう母に教えられたアーサーは涙を流すかわりにいつも笑っていた。いつからかクラウンはピエロとなり(道化師のなかでも涙マークがつくものをピエロという)笑いの病なんです、とカードを差し出すときも、社会保障を打ち切られ行き場がないと知ったときも、かれの笑い声は泣いているようだった。アーサーは自分が自分たりえるために、自分をおとしめるものを消してゆく。選ばれしエリートたち、母、職場のランドル、コメディアンのマレー。最後にジョーカーの亡霊が殺すのはトーマス・ウェイン。父性を求めて与えられなかったが故の父殺し、なんて言葉にはおさまらない root of anger がある。それは鏡をのぞき込むアーサーにしかみえない。


唯一優しかった同僚を逃がしてTV局に向かうあたり、階段の踊り場で舞うジョーカーは、とても美しかった。これが悪なのか、悲しみなのかわからないけど引き込まれてはいけない美しさなんだということだけ、わかった。


後半、なんども流れるシナトラの曲がこびりついて離れなかった。「That’s Life」はベスト盤にはいってたのでよく聞いていたし「Send In The Clowns」も好きな曲ではあったのでよけい悲しみがつのる。最後のシークエンスなんてクリーム「White Room」ですよ。鳥肌ヴァァって感じでした。

音楽センス、最高。


Send in the clowns

Isn’t it rich
Isn’t it queer
Losing my timing this late
In my career
But where are the clowns
There ought to be clowns
Well maybe next year


追記:MCUは父性、DCは母性に重点を置いてるというのが私の考え。MCUはアイアンマン、アスガルドなどの印象から。ひるがえってDC映画はここ10年、スーパーマン、BvS、ワンダーウーマン、アクアマン等を通してとかく「母親」という存在を大切にあつかってきたので今回アーサーが母殺しになるのは(ヴィランだし、ストーリー上想像できたにせよ)だいぶショッキングだった。




なぜジョーカーはシナトラを口ずさむのか?



監督インタビュー



フランク・シナトラ That’s Life


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