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むらかみのもり

村上龍か、村上春樹かという話は、世間はきのこたけのこ論争と同じくらい聞きあきている。中学生のさなかに「限りなく透明に近いブルー」からはいってしまったのでどちらかといえば私は村上龍派だ。むしろ村上春樹が苦手である。

「ノルウェイの森」上下巻は(もちろん赤緑のセットで)実家においてあり、トライしたものの冒頭5ページくらいで放り投げた。その後、松山ケンイチで映画化されるとききつけて再度本を購入し、読み進めたがやはり10ページあたりでギブアップした。この文体が、主人公がどうにも受け付けなかった。

前と同じスチュワーデスがやってきて、僕の隣に腰を下ろし、もう大丈夫かと尋ねた。「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It's all right now, thank you. I only felt lonely, you know)」と僕は言って微笑んだ。「Well, I feel same way, same thing, once in a while. I know what you mean(そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります)」


思い起こせば、ハルキストは周りにたくさんいた。高校の先生、サボリ仲間だったTくん、バイト先のピアスだらけの先輩、図書館の司書、アメリカ&日本でお世話になった教授陣、つきあってたひと、友人たち。私の親も「村上春樹は気に入らないけど教養として読むのはあり」というひとだったので数冊は実家に置いてあった。ただあまりにも男性の描き方が(当時の価値観からすれば)ふぬけでなよなよしているように感じていた。90年代に勢いをつけていた中国で村上春樹が大量翻訳されベストセラー、なんてニュースをみたとき、「どんどんハルキを読んで去勢されてしまえ」という意見を耳にして、今振り返るとすごく乱暴な言い方だけれど、当時の自分は協調していた。ハルキストってふにゃふにゃしたロマンチストなんだろうと、勝手に信じていたのだ。ひどい偏見である。


不思議なことに彼のエッセイは好き。走ること~はランナー村上春樹の真骨頂なので読み応えがあるし、ボストンのチャールズリバーを、真夏のギリシャをオリンピアを模して走りこむおっさんの姿はかっこいい。おっさん、かっこいいよ!(失礼)

とくにお気に入りの4冊
・走ることについて語るときに僕の語ること
・翻訳夜話
・ラオスにいったい何があるというんですか?
・もし僕らのことばがウィスキーであったなら


村上春樹はきらいなのに、村上春樹っぽさをネタにされると好きになってしまう。真顔日記さんのパン屋は元気がなくなったときにカンフル剤のごとく読み直してる。


村上春樹(本体)の文体はそこはかとなく「日本語に翻訳された外国語」の体裁をもっている。ゆえに英語や多国語に変換して輸出しやすい反面、私のような肌にあう翻訳者じゃないと読めないタイプは拒否反応を持ってしまう可能性があるのではと勝手に分析している。

村上春樹(本体)がいつかノーベル文学賞をとったとして、私のなかのハルキが目覚める日がくるのだろうか。その前に三島由紀夫とか川端康成を読破したほうがいいんじゃないか、ハルキが好きなひととは永遠に分かり合えない呪縛はとけるのか、悶々としそうなのでノーベル文学賞はとらないでほしい。


村上龍は「恋はいつも未知なもの」がマイベストです。


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