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他人軸|相原昌典

profile
#62  相原昌典
出身高校:麻布高校
ポジション:FW
スピードとドリブルに長けた快速FW。3年次には1年間の海外留学を経験し、帰国後、最終節でリーグ戦に復帰した。

相原昌典からのラストメッセージ

引退から2ヶ月半、卒業旅行を満喫する同期を横目に、ひたすら就活に明け暮れる日々を過ごしております。

他人や周りの目を強く意識してしまう自分。

「てつおが、、」「やぶたが、、」自分の親しい友達の就活状況を知ることに日々怯えながら生活をする自分。

留学経験で自分は変わったと言い聞かせてきましたが、やっぱりこの「他人軸」である性格は変わってなくて本当に嫌になります。

その一方でこう考える自分もいます。

「他人軸」である自分だからこそ感じたことや学んだことも多かったのではないか。周りが気付かないことに気づいたり感じたりすることが出来たのではないか。

そこで、この卒業ブログでは、他人から影響を受けやすい自分だからこそ感じることの出来たものや学ぶことの出来たものを振り返っていこうと思います。(2年前のブログと重なる部分が多いですが卒部ブログということで大目に見てください。あと、会社の人事を務めている方がもしいたらここで読むのをやめてください。)


「弱音」


「私は初めの2年間挫折をしました。」


面接では毎回この文言から部活の話をしている。しかしそれは挫折と言えるのだろうか。本当は自分でもわかっていてそれは「挫折」なんかではなくただの「弱音」だった。ただ単に自分が弱い人間なだけだった、そう感じる。

確かに自分は同期内最速でAチームに上がったし、あのナベよりも早く、コバよりも早くAチームの練習試合に出場した。元日本代表の戸田さんに認められている感覚がとても嬉しかったし、戸田さんからのLINEはもはや毎日の楽しみだった。

しかし、Bチームに落ちてから僕のサッカー部人生は180°変わってしまった。焦りと悔しさが膨れ上がっていった。同期が続々と公式戦で活躍していく姿を見ることはつらく、しまいにはCチーム(※1週間限定で生まれた幻のカテゴリー、練習参加権がもはやなかった笑)まで降格していた。戸田さんからのLINEはピタリと途絶え、本当にまれに来る連絡は叱責の内容であった。

このような環境で自分は腐ってしまった、弱音を吐くようになっていった。目標としていた公式戦出場に対する思いや情熱を失い始め、私生活では出来るだけ予定を入れて部活動のことを考えないようにした。

練習への遅刻や欠席は増加し、事業活動では直紀やその他のリクルートメンバーに迷惑をかけた。留学に向けた勉強に勤しむ時期だと自分を正当化させていた。

今この時期を振り返ってみると思う。ただ逃げていた、現実を直視したくなかっただけ。自分の弱さを受け入れることをしないほどに自分は弱かった。


「成長」

きっかけは突然だった。近岡監督からの期待の詰まった叱責だ。そこで自分は変わろうと決意した、いや変わることが出来た。ふと周りを見てみると、自分と同じような状況でも必死に食らいつこうとする同期、公式戦に出場することが出来ず、とてつもない悔しさを抱えているはずなのに常に僕たち後輩のことを気にかけて、Bチームを導いてくれる先輩がたくさんいたのだ。


そこからはひたすら練習に励んだ。自分たちを日頃から支えて期待してくれていたスタッフや監督、先輩達の思いに応えるためにも努力した。


自分のことばかり考えていたこれまでの自分を反省し、チームへの貢献を強く意識するようになったし、戦術理解という自分の課題にも逃げずに向き合うようになった。


3年が始まると同時にBで一緒にプレーする同期は自分含めて3,4人に。それでも毎日の練習後、Bチームを俺たちで引っ張っていこうと#63米 凜太朗と励まし続けた。


そんな中で米が公式戦に初出場を果たした時には悔しさでいっぱいではあったが、今回は諦めることはなかった。自分がBチームを先導し、Bの監督だった藤村や近岡に貢献するぞという気持ちで努力を継続した。


すると、その瞬間は自分にも訪れた。怪我人が続出した影響でAチームに上がると、2022年5月1日の都留文科大学戦で公式戦初出場を果たした。そのままAチームに定着すると、留学で休部をするまでの10試合弱、全部途中出場ではあったがチームに貢献することが出来た。

毎試合与えられる時間は10分ほど、もちろんスタメンで出場したいという気持ちは強かったが、何よりもチームのためそして近岡監督のために少しでも恩返し出来ている感覚が心から嬉しかった。


1年間の長期留学から帰ってきた後も、最後の3か月で出来るだけチームに貢献したいという気持ちの下で練習に励んだ。そして、(近岡さんの恩情采配と周りから揶揄されもしたが)最後の週にAチーム昇格、優勝のかかった最終節に途中出場を果たすなど、予想もしていなかった光景を最後に手にすることもできた。


同期に抜かされ、監督からも認めてもらえない環境で弱音を吐き、自分本位の下で現実逃避を続けてきた自分が、他人から気づかされたとはいえ、チームや周りからの期待やサポートに感謝し、他者のために頑張ることが出来るようになったのだ。


「他人軸」で生きてきた自分にとって初めの2年間は人生で一番つらい時間ではあったが、「他人軸」だからこそ近岡監督や諦めずに努力をする同期、公式戦に出場することが出来なくても毎日僕たちを引っ張り支えてくれた先輩やスタッフの方々に影響されて成長を遂げることが出来たと感じている。


「最後に」

自分の思いを振り返ってみると改めて部活動を選んでよかった、ア式を選んでよかったと感じます。むしろ、人から影響を受けやすい自分みたいな人にとって、信念を持って本気でサッカーに打ち込むメンバーの揃う、このサッカー部という環境は最大限の成長を見込める理想の環境だったとマジで思います。

部活かサークルで迷われている方、部活の中で思うようにいかずやる気を見失ってしまっている方。もちろん部活は楽しいことばかりではないしつらいと感じることも多いかと思いますが、その分必ず成長の糧にできるものはあるし、部活に入って続けてきてよかったと感じる日が来ると思いますので是非、ア式の下で最後まで全力を注いでほしいです。


そして最後にはなりますが、自分の挑戦を応援してくださった家族、友人、そしてア式の皆様本当にありがとうございました。自分の力で成し遂げたものは何1つとしてありませんでしたが、こんなにも充実した4年間を送ることが出来たのは真に周りのサポートがあったからです。心から感謝いたします。

相原昌典


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