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【ドイツ事情】統一前の東ベルリンを私は見た #390

※ 音声はコチラ↓ stand.fm で平日の毎朝7時に配信しています。

Hallo zusammen!
Mein Name ist Hiromi Shirai.
『白井博士のドイツ語講座』へようこそ。
白井宏美です。


毎週水曜日はドイツ事情について、私の体験も踏まえてお話しています。


先週の第385回では「ドイツで日本食を作るなら」というテーマでお話しました。

今日は「統一前の東ベルリンを私は見た」というテーマでお話します。


昨日10月3日は Tag der Deutschen Einheit(ドイツ統一の日)でした。
ドイツでは祝日になっています。


1990年10月3日東西ドイツが統一されて33年になりました。


ドイツ大使館の X(旧 Twitter)では、東西分断から再統一までの歴史がアニメーションで紹介されています。


ドイツの国だけではなくベルリンの中も東と西に分断されたんですよね。

私は統一前、まだ東西に分断されている時にベルリンに行ったことがあります。

当時、西ベルリンから東ベルリンへ行くためには、一度西ドイツを出国してから東ドイツに入国する必要があったんですよ。

まず、アメリカ占領地区とソ連占領地区の境界線上にあるチェックポイント・チャーリーという国境検問所で検問を受けます。

そして、強制両替と引き換えに24時間ビザが国境で取得できます。

強制両替というのは、西ドイツの25マルクを東ドイツマルクと交換することでした。
東ベルリンを出て西ベルリンへ戻る際、使いきれなかった東ドイツマルクは没収されます。

ですから、東ドイツへ入った観光客は東ドイツマルクを使い切りたいのですが、買うものがなかなか無いのです。

そもそも買い物できるようなお店もほとんど無いので、本屋さんに観光客の行列ができていました。

今でも鮮明に記憶に残っているのですが、西ベルリンから東ベルリンへ入った途端、カラーの世界から白黒の世界になった感じでした。

町は静まり返っていて、あちこちにある監視塔から監視員が睨みを利かせていました。

車も建物も洋服もなにもかも古く、遠い昔のまま時が止まっていたのです。まさにタイムスリップしたようでした。

占領する国によってこんなにも違ってしまうものかと驚いたとともに、社会主義・共産主義の恐ろしさに背筋が凍る思いがしました。

なんだかいろいろ思い出してきましたので、続きは来週にしたいと思います。

それでは、このあとも素敵な1日を!
Einen schönen Tag noch!
Tschüs!


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