九州地区限定の「朝課外(0時間目)」は,福岡を離れた人間からだとこう見える

 1年に1回くらい,九州の高校で一般的に行われている「朝課外(0時間目)」のことが話題になる。新聞報道などがきっかけになるのだが,何も変わらないまま沈静化してまた翌年・・・,の繰り返し。先日も

高校の「朝課外」揺れる現場 強制か選択か、賛否の声 在り方見直す学校も 福岡の県立高校

という記事が私の手元にも流れてきたばかり。18歳まで福岡で育ち,現在埼玉在住の私から見ると,残念ながらこの議論自体が「時代遅れでアホらしい」としか思えない。いわゆる「コップのなかの嵐」というやつか。ちょっとだけ時間を費やして,福岡を中心とする九州地区の高校が置かれている現状を分析してみる。

「朝課外(0時間目)」が効力を発揮したのはいつまで?

 私が高校時代を福岡で過ごしたのは80年代前半。「親不孝通り」の象徴だった水城学園が「九大・西南福大」の実績でブイブイいわせており,薬院に河合塾がきた頃の話。この頃は2つの意味で「朝課外(0時間目)」の効果はあった。
 1つ目は「関東・関西を目指す者に適した予備校がなかった」こと。このレベルを目指す生徒に対しては,平常授業が「九大に行ければOK」という生徒のレベルにあわせていたであろう各高校にとって,別に時間を設けて対策をとってあげる必要があった。
 2つ目は,あまり語られることがないが『新設高校が,既存の有名高校に「追いつけ追い越せ」のために必修化せざるをえなかった』ことにある。
 筑紫丘高校には「筑紫丘学館」,修猷館高校には「修猷学館」という敷地内併設の予備校があった既存の有名校に対し,新設校は「じゃあ現役で合格させよう」というコンセプトで立ち向かうしかなかったのは事実。よって「朝課外(0時間目)」を生徒の都合に関わらず必修化させたのは必然であり,この発想は現在にも続いていると思われる。
 しかし,実態はどうだっただろうか。私が覚えている限りでは「教科書が終わらないから0時間目も教科書やります!」みたいなことが行われて,明確なテーマを持って平常授業とは別内容を走らせるような,ちゃんとした理念を持つ教員ばかりではなかった記憶がある。

「朝課外(0時間目)」は今の時代にマッチするのか?

 私の経験をすべてとする気はないが,少なくとも朝7:40から数学をやっても頭は動かない。演習課題を解いてきたうえでの解説・肉付けであればまだしも。
 英語や国語(特に古典)はどうだろう。予習して解説を聴き,自身の脳みそに焼き付けて保存ボタンを押す。その題材に根拠なり理由なり,または将来の受験に向けての道筋があって,それを理解させた上であれば意味はあるかもしれない。しかし,前述のような「ただ時間割に1コマ増えただけ」の朝課外には,私のよう怠け者の生徒には「やらされ感」ばかりが強くなる。
 
 今の時代,生徒たちには「自学する習慣」が全体的に足りない。中学時代から当たり前のように「課題をやってきた」ことをゴールとしてそこから一歩踏み出そうとしない者,「わかるとできる」の違いがわかっていない,あるいは体感した経験のない者が増えている。
 自学する習慣が身についていない者への「朝課外をやってあげてる」という押しつけは生徒の成長に寄与しないし,学校側の「生徒のためだから」という論は,勉強に限らず「あなたのためだから・・・」と言ってくる大人の提案にろくなことがないことであると気づいているイマドキの高校生にはまったく響かないだろう。

 私が現在住んでいる関東では「朝課外(0時間目)」なんてほとんどやっていない。もちろん通学時間(教員の通勤時間も)が長いからという理由もあるだろうが,一番は「自学する暇がなくなる」からだろう。少なくとも私国立のトップ校ではやるはずがない,という感じ。やったら逆にクレームの嵐だろう。やるとしたら,これから実績を増やして進学校にシフトしていきたい学校が「何から何まで面倒みますからご心配なく」という主旨で行う場合くらいか。こうした学校はある一部の層には人気があるが,その人気は生徒の実力とは反比例しているケースがほとんどである。

 「朝課外」の効果があるとしても,それを強制することがいかに不効率で時代からずれているかなんて,九州から出たことがない人にはわかるはずがない。特に強制を「当たり前」とされた方には。それが普通で疑問すら感じたことがないのだから。
 怖いのは,朝課外の効果有無じゃない。「自分の常識」を疑ってみることすらできず,時代のズレとすり合わせることもできず,30年前と同じ「当たり前だから」という理由のみで,立ち止まってみようともしない教員が指導者でも逃げられないということだ。

九州は置いていかれてしまっているよ

 ここで,主な九州各地の有名高校の合格実績を見てみよう。九州の人は九大が基準だけど,日本全体に目線をあげて東大で。

 この10年弱のあいだに,東大に合格する生徒が明らかに減っている。いや,早稲田や慶應も含めて東京に出てくる生徒が明らかに減っている。
 もちろん,私学を中心として一部は「東大≦医学部」という親のニーズに応えている結果だということもわかる。それ以外だとどうか。
 九州がいい,と積極的に残る選択をしているというよりは,東京に出てこられなくなっているのではないか?経済的にも学力的にも。

 「脱ゆとり」で学習内容の上限が撤廃されているのだから,そのプラスα分を朝課外(に夕補習)で戦略的にカバーするならば,東大の合格実績は増えていいはず。なぜ増えるどころか減っているのか。それは,

世の中は大きく変わった。でも九州の高校は何も変わっていない。

の一語に尽きる。2009年前後といえば,全国的に学区撤廃が進んでかつての名門校が復活した時期だ。その前後をピークに実績が下がったところは「これでいい,とばかりに改革の手を休めた」と考えられはしないだろうか。
私の住む埼玉でも,この時期には「公立高校の予備校化」が進んでいたものだ。あれから10年弱多くの公立高校が実績を落としている。

 勉強時間を無理やり増やす行為は,ある一定のレベルまでの学力向上には寄与するが「中途半端なところで成長曲線がとまる」というのが私の持論である。これの真偽も含めて,九州在住の高校生諸君は自分の頭で考え,情報を拾わないとだめだ。どんどんおいていかれるだけだよ,このままじゃ。
 厳しい言い方だけど,朝課外に夕補習で縛られるのが「当たり前」じゃいけない。その講座のコンセプトは明確か?西南福大対策でお茶を濁されてないか?最新の入試問題の研究をちゃんとやってる先生か?

 当たり前だけど,これが難しい。大学合格実績だけが高校の価値を決める基準ではないことはわかっているけれど,それを声高に語るならちゃんと実績を出してから言わないと意味がない。九州限定の九大実績で競ったり西南福大の数値を維持したことで満足している学校を通して自分の未来を見通すことができるだろうか。改革の手を止めた学校,惰性で授業をする先生,研究が足りない先生の下でいくら勉強時間を浪費しても効果は薄い。であれば自分のスマホで予備校講師の授業動画を探した方がまだマシだ。

 九州各地から福岡の大学を目指すのはいい。福岡でしか学べないことが色々あるのは知っているから。でも福岡しか見えていないのはダメ。同様に東京や近畿圏にも目を向けてみただろうか。どうして全国的に見ると学生が東京に集まるのだろう。首都圏の大学定員が絞られているのはどうしてだろう。そして,東京在住の高校生の中には「東京の大学で学ぶ」をゴールとせず東大すらすっ飛ばして海外に行く者が現れている(嘘じゃなく本当だ)。

はっきりと言おう。

九州の高校は,九州の教育環境は,すでに地盤沈下をおこしている


だから,ちゃんと自分の頭で考え自己責任で動け。トップレベルの高校はそれでも生徒の「地頭の良さ」が幸いして体裁を整えることができる。しかし2番手以下の高校の実状はけっして明るくない。大学選びでも就活でも「地元オンリー,地元の価値観サイコー」は通用しない時代だ。

 そして教員の皆様へ。海外を選択肢に入れ,自分であれこれ調べて「自分の学習と並行して未来にも目を向ける」高校生がいる時代に,「朝課外(0時間目」強制という仕組みそのものがどれだけ時代遅れであるかを考えた方がいい。高校生の可能性を自分たち大人の都合で縛ろうと思っても,もう生徒たちは思惑通りには動かない。

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