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『点と線』東映 1958年11月11日公開 カラー 85分  配信期間 2023/12/29(金)21:00~2024/1/12(金)21:00  原作 松本清張 『旅』(日本交通公社)1957年2月号~1958年1月号

『点と線』
東映 1958年11月11日公開
カラー 85分

https://www.youtube.com/watch?v=vWMqgkSoKg4
配信期間
2023/12/29(金)21:00~2024/1/12(金)21:00

https://www.allcinema.net/cinema/138541
https://eiga.com/movie/38009/
https://ja.wikipedia.org/wiki/点と線

原作 松本清張
『旅』(日本交通公社)
 1957年2月号~1958年1月号
脚色 井手雅人
監督 小林恒夫
出演 山形勲 高峰三枝子 加藤嘉 志村喬

https://www.toei-video.co.jp/catalog/dutd02275/

北村薫(1949.12.28- )
「中野のお父さん
 清張と手おくれ 」益田ミリ画
『オール讀物』
2022年6月号
p.100-118
https://note.com/fe1955/n/nfee90ee328bd

「僕は、ミステリ専門誌の『宝石』を、古本まで探して読んでたから、よく分かる。『点と線』というのは、本格ミステリ好きのファンからは、とても評判が悪かった。」p.109

「小説として、物語として、読む。自分と地続きのところで殺人が起こっている――という怖さ。だからこそ、本格ミステリを読んだことのない人たちにまで、読者の輪が広がっていった。『点と線』が、マニアの手からミステリを解き放したんだ」p.110

「「『点と線』は、ミステリの専門家が書いたんじゃない。小説家が書いたんだからな。本格アリバイ崩しとしては確かに穴が多い。――しかし、あの作品の、意味も栄光もそこにはない」
「普通の読者にも読めるものとなり、大ベストセラーになった」」p.115

https://ja.wikipedia.org/wiki/点と線
「原稿は毎月難航した。『旅』の他の記事が全て校了を終えた状態となっても『点と線』の部分だけが空白、という状態になり、編集者側で遅筆の清張に対する「清張待ち」という言葉が生まれた[注釈 12]。同じ時期に週刊誌に連載していた『眼の壁』に比べて『点と線』の反響は少なく[注釈 13]、「病気のため休載にしてくれまいか」との申し出が清張から続いたが、戸塚[文子編集長]は「『点と線』を休載するなら『週刊読売』の『眼の壁』など、他の全ての連載を休載にしてもらう」と迫った。結局休載することなく連載は続けられた[注釈 14]。
ある時、締め切り日直前に担当者が『点と線』の原稿を取りに行くと、清張は「失踪」していた。戸塚は羽田空港に電話し乗客名簿を調べさせ、松本清張の名を発見した。そこで飛び立つ寸前の搭乗機にストップをかけ「原稿をいただかないことには飛ばせない、降りていただきたい」と交渉したが、清張は「博多で書いて渡す」と言い、その場を「逃走」した。これで「蒸発」できると清張は考えていた(1957年当時、直通電話は警察関係と国鉄関係機関にのみ設置され、一般的ではなかった)が、しかし戸塚は直通電話を使い、博多の交通公社支社長に「松本清張先生を板付空港で「逮捕」」するよう手配、清張は板付空港で「御用」となった。「乗り物に関しては、交通公社に関するかぎり逃れられない。新聞社よりもすごい」と、清張は言ったという[注釈 15]。」

「男子バレーボール日本代表チーム(1964年東京オリンピックで銅メダル、ミュンヘンオリンピックで金メダルなど獲得)の監督を務めた松平康隆は、本作のプロットからヒントを得て、おとり選手のジャンプで、敵のタイミングを外し、障害物の無い時間と空間を作り出そうと考え、「時間差攻撃」を思いついたとされている[注釈 22]。」

「単行本『点と線』の初版は5000部からのスタートであったが、20万部近くに達し、日本の推理小説の単行本としては空前の売れ行きとなった。2年後の1960年7月に刊行されたカッパ・ノベルス版では初版から10万部近くを刷り、カッパ・ノベルス版だけで100万部を突破した。」

松本清張(1909.12.21-1992.8.4)
松本清張の作品一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/松本清張の作品一覧

https://note.com/fe1955/n/n3a04834f8be5
北村薫(1949.12.28-)
『中野のお父さんは謎を解くか』
装画 益田ミリ
文藝春秋 2019年3月刊 336ページ
「ガスコン兵はどこから来たか」
『オール讀物』2016年8月号
「[明治も末の四十二年]神様は、[しゃべってしゃべって止まらない、物語の缶詰のような]二人の赤ちゃんが生まれるのも六月と十二月に分け、初めにしゃべる子は北の、津島という家に、後の子は南の、松本という家に行かせた。
名字が出て、分かった。
太宰治と松本清張ですね。同じ年に生まれたんだ。」p.14

https://note.com/fe1955/n/n1474f3c18934
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
第一回 初めての女性誌連載」
『小説新潮』2022年8月号
「「なぜ清張作品は愛され、読まれ続けているのか。
没後三十年、その秘密を解き明かす鍵とは――」目次

「明治四十二年(1909)に生まれている松本清張[1909.12.21-1992.8.4]は、太宰治[1909.6.19-1948.6.13]と同い年である。没後三十年が経ってなお、生々しい現役感のようなものを放ち続ける松本清張と、歴史上の偉い作家という印象の、太宰治。両者の印象は同い年とは思えないほどに異なるが、その原因はそれぞれが活動していた時期の違いによるところもあろう。」p.36」

https://note.com/fe1955/n/n5789709a4899
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
 第二回 『ゼロの焦点』の表と裏」
『小説新潮』2022年9月号

https://note.com/fe1955/n/n3f15b2dc39d9
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
第三回 お嬢さん探偵の限界」
『小説新潮』2022年10月号

https://note.com/fe1955/n/nd73f79dc9dd9
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
第四回 初めての恋愛小説」
『小説新潮』2022年11月号

https://note.com/fe1955/n/ncc1a2176c33c
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
 第五回 転落するお嬢さん達」
『小説新潮』2022年12月号

https://note.com/fe1955/n/n644b2c0ce468
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
第六回 『婦人公論』における松本清張 1」
『小説新潮』2023年1月号

https://note.com/fe1955/n/n8eac57685aef
酒井順子(1966.9.15- )
「松本清張の女たち
第十一回 女性会社員の変遷」
『小説新潮』2023年6月号

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